学会ニュース
☆寄付行為の一部改正について:2005年5月29日の理事会において、寄付行為の一部改正案が承認されました。現在、外務大臣に改正の承認を求めているところですが、いま実施中の評議員選挙など、すでに改正後の寄付行為に基づいて学会運営を行っています。改正のポイントは、理事の人数を44名から24名以内に、評議員の数を120名から44名以内に変更したこと、新たに「評議員選挙人」の役職を設け、「10年以上の会員歴を有し、会費が滞りなく納入されているすべての会員」が就任する、としたことです。新旧の寄付行為は学会のホームページに掲載されていますので、ご参照ください。
☆第三回アジア政経学会優秀論文賞の選考結果について:2005年9月10日開催の理事会は、選考委員会(委員長上原一慶会員)の推薦に基づき、厳正な審議の結果、、樹中毅「レーニン主義からファシズムへ――蒋経国と独裁モデル」(掲載誌『アジア研究』第51巻第1号、2005年1月)を、優秀論文に選定いたしました。なお、授賞式は、10月29日島根県立大学で開催される第59回全国大会当日(懇親会席上)行う予定です。
☆第59回全国大会の準備が進んでいます:今年度の大会は島根県立大学(〒697-0016浜田市野原町2433-2;http://www.u-shimane.ac.jp/)にて来る10月29-30日の両日にわたって開催されます(実行委員会委員長今岡日出紀会員)。共通論題として「アジア冷戦史の再検討」と「北東アジアをめぐる“超域”研究」(29日)の2セッション、分科会として「中国・韓国 『反日』の構図」、「アジア社会の少子高齢と社会保障制度」、「ヒューマンセキュリティとアジアの地域構想」、「東南アジアのテクノクラシー」、「北東アジアにおける価値共有に向けて」の5セッション(30日)が予定されています。「自由論題」は、29日午前と30日午後に全8セッション、計22報告が行われます。なお、大会への交通・宿泊は、「日本旅行グループ日旅サービス株式会社ゆめタウン浜田営業所」(Tel0855-22-1729;Fax 0855-23-1997)が担当します。個別にホテルなどに予約を申し込んでも取れない場合がありますので、同社からの案内により申し込まれるのが便利です。その他、プログラムの詳細と変更、および自由論題報告のフルペーパーが随時学会ホームページに掲載されますので、ご注意ください。
東日本大会、西日本大会開かる
☆2005年度東日本大会は、5月29日東京・明治大学駿河台校舎にて、また、西日本大会は6月11日京都・同志社大学今出川キャンパスにて開催された。以下会員による参加記を掲載する。参加記は一定の字数をお願いしたが会場ごとに事情があり長さがまちまちとなったことをご寛恕願いたい。
東日本大会
共通論題T「アジア冷戦史の再検討」 岡部達味(名誉会員)
冷戦が終わったといわれてから15年前後がすぎた。この間ヨーロッパなどでは冷戦が終わったと実感できただろうが、アジアにおいては果たして冷戦は終わっといえるのだろうか、又そういういい方をするならば、アジアに於ける冷戦とは何であったのか、アジアでは大きな熱戦が冷戦期に行われているし、冷戦後もアジアを含み世界各地で、熱戦が盛んに行われている。他方、ソ連の崩壊や30年ルールに基づく新資料の登場があり、国際情勢それ自身も、一部で期待された「平和の配当」が享受できる状態とはほど遠い物であった。特にアジアでは中国の台頭がめだち数十年後には(あるいはすでに)、「第二の冷戦」に入る(入っている)かも知れないという状況である。そのようななかで、新しい理論枠組、新しい資料で、新しい理論で冷戦史を振り返ることが、今後の国際情勢特にアジアのそれを考察する上に不可欠であろう。5月29日の東日本大会では以上のような観点から冷戦史の再検討を行った。
報告者及び討論者、司会者は以下の通りであった。報告者・伊藤 剛(明治大学)日米中関係、倉田 秀也(杏林大学)朝鮮半島、青山 瑠妙(早稲田大学)中国、小笠原高雪(山梨学院大学)東南アジア、討論者・下斗米 伸夫(法政大学・非会員)、司会・岡部達味(元東京都立大学・元専修大学、名誉会員、本稿筆者)
報告者四人であるので、報告20分、討論15分と予め決められていた。各報告者はおおむね時間を守って、それぞれに、新資料、新国際情勢、新視角等について重要な問題提起を行った。討論者は、各報告者に共通の問題としてアジアに於ける核の意味、国連が冷戦中、冷戦後に果たした役割について深く議論されなかったことを指摘し、さらに各報告者に対する個別の問題について疑問を提起した。報告者に対して、直ちに「手短に」発言を求めたところ、かなりの長時間にわたって、議論の補充がおこなわれた。従って、通例ではコーヒー・ブレイクを10分ないし15分取るのであるが、時間の問題と議論の連続性を確保するため、ブレイクを取らず、報告者の発言後直ちにフロアからの質問に移った。十人ほどの会員がそれぞれに質問を提起した。残念であったのは、ブレイクを省いてまで質問の時間を残したが、若い会員の質問、問題提起がおこなわれず、エスタブリッシュされた会員からの質問にほとんど限られたことであった。もっともそれだけに中身の濃い討論がなされたとおもわれる。
多少の時間超過を見込んで、討論者にも質問等がなされたので、討論者を交えて5人の人がさらに補充発言を行い、充実した内容の討議がなされた。もちろん簡単に要約や、結論ができるものではなかったが、秋の大会で、冷戦時代と冷戦後の比較をテーマにする由であるので、継続した議論が期待される。近来にない盛会であったことについて報告者、討論者、フロアからの討議者に感謝したい。
共通論題U「グローバリゼーション下のアジア農業」 池上彰英(明治大学農学部)
近年の急速なグローバリゼーションと経済の自由化の進展は、アジアの農業・農村にどのような影響を与えているのであろうか。共通論題Uでは、主にミクロの視点から見たアジア各国農村の実態とその変化について比較検討するために、フィールドワークにもとづく以下の報告をしていただいた。
その報告とは、1.米倉等会員(東北大学)「グローバリゼーション下のジャワ農村」、2.菅沼圭輔会員(福島大学)「中国における輸出向け野菜産地の組織体制と存立条件−浙江省・慈渓市のケース・スタディを中心に−」、3.藤田幸一会員(京都大学)「ラオス北部焼畑地帯における商業的農業の展開−輸出向けハイブリッド・メイズ導入の実態とその意義をめぐって−」の3本であり、佐藤宏会員(一橋大学)および大野昭彦会員(青山学院大学)の2人に総括的なコメントをしていただいた。
第1報告は、東ジャワ・マラン県の3つの村での実態調査にもとづき、通貨・経済危機後のジャワ農村における労働移動、土地制度と労働慣行(セーフティネット)、農地資源利用などの変化(と不変)の状況について詳細に分析したものである。第2報告は、中国沿海部の輸出向け野菜生産において、野菜の出荷調製・加工を行う企業が自社直営農場方式による借地雇用経営を展開しつつある様子を、企業と農民の経済的関係や地方政府の介入(支援)状況に着目して考察したものである。第3報告は、北部ラオスにおいて1990年代後半から中国・雲南省向けのハイブリッド・トウモロコシの生産・輸出が伸びている現象を取り上げ、その実態を種子の供給体制、土地保有・利用システムの変容、流通システム、農家階層間格差などの諸側面から明らかにしたものである。
2人のコメンテーターからは、労働過剰経済(ジャワ、中国)と労働不足経済(ラオス)の違いが決定的に重要であること、グローバリゼーションの与える影響は同じ国でも地域(たとえば中国の沿海部と内陸部、ラオスの幹線道路沿いと山間部)によって異なることの指摘や、企業による農業生産の組織化の方式の違い(農家との直接契約、合作社を経由、直営農場など)がいかなる要因によって決定されているかに関する仮説提示、などがなされた。
筆者は3人の報告を聴いて、変わらないジャワ農村と変わる中国・ラオス農村という印象を受けたが、その印象は調査村あるいは調査対象作物の特性に規定されている面が強く、全く逆の農村像を各国・地域で見つけ出すことは難しくない。ミクロ的な事例分析を普遍化していく作業の困難性を改めて痛感した次第である。また、筆者としては本共通論題の討議を通じて、現代アジア農業の研究にとって共通な手法があるのかどうか、あるいは適切な研究方法がいかなるものであるのかについて、少しでも接近できたらよいという野望を抱いていたのであるが、筆者(座長)の力不足と討議時間の不足によって、残された課題となってしまった。とはいえ、本学会においても農業・農村問題に対する根強い関心が存在することを改めて確認できたことは、大きな収穫であった。
自由論題分科会T「アジア諸国のマクロ経済運営」 末廣昭(東京大学社会科学研究所)
分科会1では、布田功治会員(東京大学大学院経済学研究科・院生)「タイ中央銀行金融政策の再検討―プラザ合意から通貨金融危機に至るまで」、石川耕三会員(東京大学大学院経済学研究科・院生)「インドネシアにおける銀行規制体系の変容―1980年代金融自由化以後の分析」、大泉啓一郎会員(日本総合研究所調査部)「アジアの少子高齢化とマクロ経済に及ぼす影響」の三名から報告が行なわれた。ピーク時には40名を超える聴衆が集まり、自由論題の分科会としては盛況であった。
一番目の布田報告は、中央銀行の役割と機能を、従来のように「通貨価値の安定(インフレの抑制)」と「経済成長支援」の二つに限定するのではなく、新たに「信用秩序の維持」という項目を設定し、この三つ目の役割を1997年の通貨金融危機に至るまでのタイの中央銀行の政策を事例に、実証的に検討したものである。報告では、通貨危機に至るまでの1985年から1997年までの期間を4つの期間に時期区分し、それぞれの期間において、タイ中央銀行が金融自由化の進展のもとで、どのように「信用秩序の維持」に貢献していったかを明らかにした。報告者は少なくとも中央銀行は金融自由化を積極的に進めて経済拡大を支援すると同時に、信用秩序の維持についても十分な注意を払っていた事実に注目する。例えば、商業銀行とファイナンスカンパニーに対するタイミングをずらした貸出規制の適用は、金融市場の競争を促進する政策意図があったという新しい解釈を示した。しかし、93年以降の海外資金の予想を超える大量流入のなかで、タイの金融市場は中央銀行が制御できる範囲を超えてしまい、通貨金融危機に発展してしまったという説を主張した。
二番目の石川報告は、インドネシアを事例に、通貨金融危機に至る前の1980年代の金融自由化政策と1992年の新銀行法、そして90年代前半の銀行業務の規制体系の変容を扱ったものである。報告者は、一方でインドネシアの金融自由化政策は、他の東南アジア諸国に先駆けて体系的に実施されたものであり、その結果として「金融の深化」(GDPに占めるM2の比率の上昇)は進展したが、金融自由化が引き起こすと期待された銀行経営の健全化は進まず、これがのちの通貨金融危機の原因になったと主張した。そして、こうした状況を作り出したプロセスを、銀行規制体系の検討と個別銀行のバランスシートの検討を通じて明らかにしようとした。報告者の重要な論点は、90年代前半の銀行業務の規制体系が、不健全な経営を行なう銀行の「退出」をルール化することに失敗したことと、金融の自由化が銀行の対外借入(対外負債)の急増を招き、そのため内外の金融市場の分断をかえって強化してしまったことの二点に求め、金融自由化の政策の限界を強調した。
布田報告に対しては、海外資金の流入のより具体的な動向やインドシナ地域への資金仲介を目指した東南アジア大陸部の金融センター構想について質問がなされたが、残念ながら報告者の最大のポイントであった中央銀行の「信用秩序維持」という機能をどう評価するについては、賛否を含めて議論がなされなかった。石川報告に対しては、銀行の健全性をどう定義するのか、金融自由化政策がただちに銀行の経営の健全性や効率性を保証するものであるのかどうかについて、かなり根本的な質問がなされた。
三番目の大泉会員の報告は、アジア諸国では少子化(合計特殊出生率の急速な低下)と高齢化(65歳以上の老年人口が全人口に占める比率が7%を超えた場合には「高齢化社会」、14%を超えた場合には「高齢社会」)が同時的に、しかも過去の先進国以上のスピードで進行していることを、豊富な図表を駆使して明快に説明し、聴衆に衝撃を与えた。そしてこの少子化・高齢化の社会変動は、日本と比べて経済発展段階(一人当たりGDP)が低いレベルで早くも生じており(中国やタイなど)、将来、貯蓄率の低下や社会保障制度の面での財政負担など、マクロ経済にも深刻な影響を与えることを主張した。
渡辺利夫会員は、報告を受けて、開発経済学がこれまで前提としてきた「途上国の人口問題」が「人口爆発」ではなく、開発途上のアジア諸国の場合には、「少子化高齢化」という中進国・先進国型の新しい問題にすでに直面していることの重要性を強調し、この問題を引き続き学会で討論することの意義を訴えた。また、会場からは「なぜ、途上国において少子化が急速に進むようになったのか、その背景をどう理解するのか」、「高齢化社会がマクロ経済に与えるインパクトをネガティブに捉えるだけではなく、医療・介護といった新しいサービス産業の創出といったポジティブな側面からも捉えてもよいのではないのか」、「中国や他のアジア諸国の場合、人口動態の分析に加えて、社会保障制度の整備といった社会政策的課題との統合的な把握が必要ではないのか」といった示唆的な質問やコメントがなされた。なお2005年の全国大会では、この問題について引き続き議論することを、企画している。
自由論題分科会U「アジア諸国の工業化」 岡部 恭宜(東京大学大学院総合文化研究科博士課程)
*坪井 正雄「1960年代シンガポールの工業化政策の形成過程について――ウインセミウス報告を中心に――」
坪井報告は、シンガポールで工業化が成功した原点には、1961年に提出された国連の調査報告(ウインセミウス報告)があるとして、その内容と政府の政策形成過程を分析した上で、「ウ」報告の意義を高く評価した。「ウ」報告はシンガポールの初期条件を考慮した上で、当時の政府が追及していた輸入代替工業化に対して、造船、機械、電気製品、化学を重点分野とする輸出指向工業化を提案していた。坪井報告は、経済開発庁を中心とする政府が、「ウ」報告に沿った形で工業化を推進したことが経済発展に繋がった一因であると結論付けた。
これに対し会場からは、通常どの国でも取り組まれる繊維産業が「ウ」報告の重点分野に含まれていないのはなぜか、シンガポール政府が「ウ」報告を現在も公表せず、国連との協力を公にしていないのはなぜか、という質問が寄せられた。
*陳 正達「1970年代における台湾造船業の発展過程――輸出志向型重化学工業化の生成とその挫折――」
陳報告は、台湾において1970年代に推進された輸出指向の造船業発展が失敗に終わった原因を分析したものである。それによれば失敗の理由は、従来の研究が論じるような船舶用機械の国産過不足や官業形態の非効率性よりも、むしろ、直接助成の欠如など政府の政策上の失敗が製造コストを高めたためであった。
韓国に比べて台湾は堅実な工業化を進め、優等生と看做されていたが、陳報告はこのような従来の見方に異論を唱えるものとなった。これに対して会場からは、ほかの産業に比べて造船業の推進には政治的な要素が含まれると考えられることから、報告にあったような政策がなぜ採られたのかという政治的な過程をも分析する必要があるだろう、とのコメントなどが寄せられた。
*岡部 恭宜「アジア通貨金融危機の歴史的起源――韓国とタイにおける金融システムの経路依存性――」
岡部報告は、同じ1997年のアジア危機でも、韓国の「企業・過剰設備投資型」とタイの「金融機関・資産バブル型」という違いが見られる理由について、政治学の歴史的制度論の立場から経路依存性アプローチの分析を行った。それによれば、韓国の危機の歴史的起源は朴政権が「企業還元型金融システム」を採用した時、タイの場合はサリット政権が「銀行還元型金融システム」を採用した時にある。そして、各国の異なる金融システムが独自の経路を辿って発展した結果、異なる型の危機が生じたと論じた。また岡部報告は、一つの論理でアジアの経済成長と危機の両方を説明しようとする試みでもあった。
これに対し会場からは、ホットマネーの流出入は国際的要因や各国の政策的側面が重要であり、国内制度の問題は別ではないか、また制度論的な説明に偏っているのではないか、などのコメントが寄せられた。
自由論題分科会III「リージョナリズムとグローバリズム」 佐藤考一(桜美林大学国際学部)
本分科会では、亀山伸正会員の「中国のアジア太平洋安全保障協力と『新安全保障観』」と、宮島良明会員の「『グローバリゼーション』の中の『‘非’グローバリゼーション』という現実−1990年代の世界経済とアジア経済−」の二本の報告が行われた。
亀山報告は、ASEAN地域フォーラム(ARF)を中心にした冷戦後のアジア太平洋地域での多国間安全保障協力に、当初は大国の干渉を警戒し消極的姿勢であった中国が、次第に協調的安全保障の枠組みを用い非伝統的安全保障分野までもカバーする「新安全保障観」を練り上げて積極的姿勢に転じたとして、それを『国際問題研究』と『現代国際関係』の二つの中国国内のシンクタンク機関誌の諸論文の傾向から論証しようとするものであった。
宮島報告は、多様な解釈のあるグローバリゼーションを「ヒト、モノ、カネの国境を越えた地球規模での移動がとりわけ激しさを増している状態」と定義し直し、こうした現象が起こっても世界経済が必ずしもグローバル化しているとは言えず、M&A(合併買収)はEUが中心で、世界貿易に占めるアジアの割合も変わっていないし、貿易依存率で見ると東アジア域内が拡大しているなど、固定化・地域化が進んでいると論じた。
約30名が参加したフロアからは、亀山報告に対しては先行研究の整理・批判による独自の視点の提示が必要、二つのシンクタンクの機関誌のみを取り上げる妥当性は何か、「新安全保障観」の提示と中国の国内政治や軍の利害は関係ないのか、などの質問とコメントが、また、宮島報告に対してはEUでM&Aが多かったのは欧州統合の時期で国境の意味があいまいだったことと関係があるので他地域との比較には注意が必要、固定化・地域化というが、垂直分業が水平分業に変わるなど中身の変化はないのか、具体例として示した投資・M&A・貿易額の変化には一貫性があるのか、などの質問とコメントがあった。
最後に司会者の感想を若干記すと、両会員の報告には確かに幾つか未検討の課題が残されている印象があった。だが、国際関係を無視した箱庭のような小さなテーマにばかり収斂する傾向の強い昨今の日本の地域研究者の状況から見れば、若手会員が批判を恐れずに大きなテーマに挑戦した点を高く評価してよいと思う。両会員の今後の研究の進展に期待したい。
自由論題分科会W「民主化、革命、軍」 天児慧(早稲田大学アジア太平洋研究科)
第1報告は、辻井清吾会員「ネパールにおける民主化15年」であった。ネパールでは1960〜90年の間、国王自らの指導による親政、いわゆるパンチャヤット制度(無政党政治)が続き、80年代後半から各国からの経済援助をベースにした開発政策を採っていた。やがて開発体制の中で矛盾が拡大し90年に民主化運動が始まり、国王の地位を象徴的なものにし国民による体制づくりが進められた。しかし、今日に至る15年の民主化は総じて当初考えていたものではなく、今日不満が鬱積している。ネパール国民会議派、ネパール共産党など3回の選挙において各政党が過半数をとることはなかったし、連合政権は1年前後の短命内閣が続き、汚職腐敗も深刻化した。2001年6月1日の国王一家殺害事件が発生。政権はギャレンドラ国王へ移ったが、政治妥協にいたらず。ギャレンドラ国王の政策ネパールのイメージを変えた。しかし民主化をやっても政権は不安定で、国王殺傷事件などにより観光客は減少(前年比30%減)。海外への出稼ぎ労働が増え、海外からの送金は1500億ルピー(国家予算の1.5倍)に達した。国民の国王への支持率は70%前後と高く、現在の流れとしては国王に頼り、強硬策をとり3カ年計画に成果をあげるしかない。トップドナーとしての日本の役割は大きいと報告した。フロアーからは政党、国会議員、選挙制度が民主化過程でどのような役割を果たしたのかといった質問が出された。
第2報告は阿南友亮会員の「近代中国における革命軍隊の創成」である。中国における軍隊の近代化という視点から、国民国家の形成、共産党史を再考するという大きな研究課題の中で、建党初期の共産党の<軍隊―党−基層社会>の関係を明らかにし、また建軍のプロセスが共産党の指導層にどのような影響をもたらしたのか検討した。近代的軍隊が形成される以前の軍隊募集強制挑発による貧民、流民など雇われ軍隊で、兵士の脱走が日常的で軍の制度と凝集性が弱体で、兵士は軍将校に忠誠をしめし分権的性格が強かった。新たな軍建設は、21年中共採択文献(プロレタリアートの軍隊)、コミンテルン戦略(民族解放闘争、国民革命の位置づけ) 22年9月、陳独秀「各階級の連合による真の国民軍を創設せよ」などによって理論化され、国民党の軍事偏重路線を批判し国民革命軍の大衆化が進められた。当時の国民革命に勝利したトルコ革命の人民大衆を組織化した建軍が模範例となっている。22年後半は大衆の盛り上がりを見せ、都市・プロレタリアート革命を重視、23年3全大会、第4回コミンテルン大会、孫文の農民支持発言などにより、農民動員を促し農民運動と革命運動を結びつける。ただし陳独秀は民間の自衛組織の活用(民団、無産遊民の吸収)、徴兵制は重視しても土着農民の活用の発想はなく、農民の動員はあまり重視されていない。これは23年の3全大会で一変する。初めて農民問題が採択され、雇用制の廃止と民兵制を採用し新しい商人、学生、農民などから新軍隊を建設。24、25年黄浦軍官学校に積極的にコミット。基層社会と軍の直結は、国境分裂後の江西省一帯での中央革命根拠地拡大の過程で進めた紅軍、 赤衛隊の建設において具体化している。今後、欧米の軍隊建設との比較も進めたいと報告。フロアーからは国民党の建軍、下士官集団の役割などの質問が出され、これに対して報告者は徴兵制が国民を作るとの主張した戴季陶の役割が大きいこと、将校団の育成に関しては黄浦軍官学校だけでなく保定軍官学校の活動も分析したいと答えた。
西日本大会
自由論題1 阿部茂行(同志社大学)
小雨降る京都の朝早いセッションであるにもかかわらず多くの参加者をえて,タイに関するセッションは田中絵麻さん(早稲田大学)の「メディア分野における政府―企業間関係」についての報告からはじまった。1997年のアジア危機以降,ガバナンスの重要性が認識され,民主主義の制度的なあり方が模索される中で,統治機能の充実という制度整備へと進展してきたが,ガバナンスのコストが上昇していると問題点が指摘された。今をときめくタクシン首相の役割がこの分野で注目されることもあり,議論は白熱したものとなった。大阪外国語大学の河森氏が討論者で田中論文の位置づけ・彼の見方の整理をしたうえで包括的コメントをし,フロアーからも末広,玉田,白井,上田氏と発言がとどまることがなかった。その中で興味深い指摘は,たとえば,「政府−企業というがそれぞれのアクターは誰なのか,ことにこの論文では企業サイドがみえてこない」,「タクシン政権になってから,首相=AISということで,ある意味で今やゲームを演じている」,「タイのチェックアンドバランスは今やほとんど機能していない。その中でNTCはいいといってもあんまり意味がない」,「本来行政機構であったところからコンセッションをもらって通信事業をやっていた。その行政機構が民営化されて,民から民へのコンセッションというややこしいことになっている」などである。読むべき資料等の指摘もあり,学ぶことの多い報告とコメントであった。
2番目の報告は久保彰宏さん(大阪市立大学)のもので「タイにおけるインフレ・ターゲティング
(以下IT)の導入」についてであった。タイの完成度が高いといわれるITの実際のメカニズムを詳しく説明し,その問題点,メリットを検討した上で,構造VARによる実証分析を示し,タイの金融政策が14日物レポ・レートにより物価をコントロールしていること,民間信用を通じた波及経路を重要視していることを見いだした。討論者は慶応義塾大学の白井氏で,アジア政経学会の大会であることを意識して,ITとは何かという点から報告を補う説明をされ,久保論文をうまく位置づけ,高い評価を下したうえで,いくつかの本質的な問題点を指摘した。「ITは反インフレ政策である。その目的が、期待インフレ率の低下とインフレの安定化にある以上は,期待インフレ率が下がっているかどうかおよびインフレ率が安定化しているのかどうかについて実際のデータで検証する必要がある」,「タイではITをやりながらも為替市場へのかなりの程度の介入をしている。これをどう評価するか?本来、ITを採用している国では為替レートの安定化は二次的目標となる。ITのもとでの為替市場への介入は、あくまでも為替レートの過度な動きを緩和することになる。タイでは為替レートの安定化を目的としているのか、過度な為替レートの動きを抑制しようとしているのか、どちらを目的としているのか。また、どのように両者を識別できるのか、説明してほしい」,「ITは成功しているようにみえるが,たまたまなのかもしれない。信用乗数が減っている可能性がある。この場合、政府にとってインフレを抑制するのがかなり容易な状況であったと考えられ、必ずしもITが成功しているとはいえない。」、「論文では、タイの銀行が貸し渋りをおこなっているという仮定を設定して、検証している。しかし、2000年あたりから貸し渋りではなく、企業の信用需要が減っている可能性がある。この転換をモデルでどう扱ったら良いのか」などがそうである。フロアーからも,「タクシン首相はどうも非常に数値に敏感で,数値の信憑性も詳しく吟味する必要ある」という意見もでた。この報告とコメントも持ち時間を多少越え,白熱したものであった。(1530字)
自由論題2 中岡深雪(大阪市立大学大学院 経済学研究科 後期博士課程)
当分科会では中国経済関連の2報告が行われた。第1報告は星野真会員による「中国少数民族地域における県間格差」で、第2報告は徐涛会員の「中国上場国有企業の民営化と資本再編」であった。
「中国少数民族地域における県間格差」では、少数民族地域における地域格差の計測を行い、民族と開発の問題について言及した。計測の概要は、県レベルの民族率のデータをもとに中国全ての県を各民族地域に分類、そしてその分類に基づいて全国・各省内における地域格差を県のGDPを用いて統計処理を行った。中国の地域格差と言うと、とかく西部=少数民族地域が多数あり、経済発展が遅れている、と捉えられることが多い。ところが本報告では、西部にも漢民族の移住が多く、局地的に発展している地域が見られるため、西部に位置するからといってその地域が貧しいわけではない、ということをクラスター分析を行い、地図を用いてビジュアル的に明示した。全国的には民族クラスター間の格差(漢族と少数民族が多く居住する県の間の格差)は小さいが、いくつかの省で計算の結果、民族クラスター間格差が大きく出た。その中で特徴的な新彊について、人口移動という歴史的背景を含め考察がなされた。
本報告に対するコメンテーター、座長、フロアからのコメント・質問は次のとおりである。1)民族間格差が地域格差に埋没している中で、民族クラスターという概念を用いた分析で一歩踏み込んだことを評価 2)一方で、空間スケールの問題から見てみると、民族間格差は県レベルではなく、県内部において発生している。そういった実態を分析に反映させるためには、フィールド調査を行った上で地域発展の初期条件も考察する必要があるのではないか 3)中国経済における格差は都市農村間の格差、つまり農業戸籍人口か、非農業戸籍人口であるかで説明されてしまうのではないか 4)少数民族は失業率が高いと報告されているが、失業率からのアプローチを行う必要があるのではないか 5)少数民族にとって漢語は外国語である。民族学院系の大学によっては英語などの他国言語、プラクティカルな学問を習う機会に恵まれず、大学卒であっても漢民族と比べて競争力が弱い。人的資本の育成は重要な課題ではないか、と言ったコメント等が寄せられた。報告者は2)の県内部での調査の必要性を認めながらも、行政レベルを下げての考察については、統計があいまいになるなどの限界性もある、と応酬した。全体的に活発に議論されたテーマであった。
「中国上場国有企業の民営化と資本再編」は中国国有企業の民営化の議論の中で、民営化の必要性と民営化の十分性について、資本再編と比較しながら論じたものである。資本再編と民営化との比較とは、国有企業のうち支配株主が他の国有主体になった国有資本再編企業と民営化された上場企業との比較のことである。先行研究を踏まえながら、民営化の基準としては3点挙げられているが(国有株の比率、支配株主の性質、株式の新規発行)、本報告では支配株主の性質を採用している。対象となる企業の厳密な選定を行い、売上高利益率(ROS)、総資本利益率(ROA)などの収益性を表す指標や負債・資産比率(DAR)、売上販管比率などの経営指標を用いて、民営化企業と国有資本再編企業の企業業績を、期間をわけて比較した。その結果、民営化企業と国有資本再編企業の間に利益拡大の方式は異なっているものの、業績向上の度合いはそれほど違わない(効果に大差はない)。民営化は必要であるが、業績改善の十分条件ではない、という結論が提示された。
本報告に対するコメンテーター、座長、フロアからのコメント・質問は次のとおりである。1)私有化の必要性について国有資本の再編と比較し、改善の程度に関して大差がないということに疑問を抱いた点が常識をくつがえす意味でおもしろいと評価 2)比較に際して、民営化されている企業は資本再編企業と比べて企業の規模が小さいのではないか、政策方針により中核企業は民営化の方向にはなく、国有資産の戦略的再編措置が取られることが多い、民営化企業と資本再編企業の効果が変わらないのは企業規模が関係しているのではないか 3)結論に対して、効果に大差がないのに、尚、民営化が必要と考える根拠は何か 4)例えば青島にあるハイアールなどは用地取得などで地方政府の後押しが相当あったと考えられるが、財務諸表分析だけでは判断できない側面があるのではないか 5)扱われた企業の産業構造はどうなっているのか、業種によって経営効率など外的要因が異なるため、業種別分析も必要ではないか、などのコメント、質問が出された。これらに対して報告者からのリプライがあり、討議も含めて分科会参加者の関心を強くひいた報告であった。
自由論題3 上池あつ子(甲南大学経済学部非常勤講師)
いずれの報告もアジアという巨大市場の異なる側面を切り取るもので、大変興味深かった。
(1)金向東会員「図們江地域経済開発の現状と課題−北東アジアにおける地域協力と延辺」は、北東アジアの多国間経済協力の動きと展望を、図們江地域経済開発プロジェクトを事例に検証した。1990年代後半に図們江地域経済開発を制約した要素として、@経済体制の多様性と経済発展段階の格差、A政治関係の複雑性、B歴史、文化観念の違い、C開発資金調達の限界および参加国の情報交流の不足、が指摘された。そして2000年以降の開発の復活のメカニズムとして、延辺地域への直接投資の増加、「琿春辺境合作区(琿春輸出加工区)」という琿春市政府の奨励する積極的政策が紹介された。最後に図們江地域の視野を広げ、北東アジアの域内貿易の特徴として、@域内の貿易依存度が高いこと、A中国東北部、ロシア極東地域が域内を中心とする経済活動を広げるパターンを持っていることを指摘した。延辺が図們江地域の経済開発を牽引する大きな力となることへの期待と、図們江地域の制約要素の克服が重要であることが指摘された。
(2)沈洪会員「浙江省におけるアパレル産業集積に関する一考察−形成・発展のプロセスにおける特徴を探る−」は、改革・開放後、中国の経済発展に大きな役割を果たしてきた浙江省のアパレル産業を研究の対象とした。現地調査の結果を踏まえ、中国のアパレル集積地を「輸出型集積地」と「内需型集積地」に分類し、浙江省の「内需型集積地」の形成・発展プロセスにおける特徴を示した。@地方政府推進型集積地、Aアパレル企業主導型集積地、B浙江省におけるファッションアパレル産業集積群の形成、C長江デルタ地域における中・高級品アパレル産業集積群の形成、以上の4点が特徴として示された。最後に中西部地域からのアパレル産業誘致が積極的になり、インフラが整備されるようになれば、浙江省アパレル企業が中西部地域に低賃金労働力を求めて内陸部の中西部地域へ移転する可能性を指摘し、生き残りのために、浙江省は現在より高付加価値製品への転換を迫られることになるとの展望が示された。
(3)藤森梓会員「グローバル経済における繊維貿易の構造変化−中印絹繊維貿易の分析を中心に−」は、経済のグローバル化が途上国の小規模産業部門に与える影響の一例として、多国間繊維取極(MFA)の撤廃、WTOへの統合による繊維貿易の自由化が途上国の繊維産業にもたらす影響について、中国−インド貿易とインド絹繊維産業の関係に焦点をあて、@世界の生糸貿易の現状を概観し、Aインドの貿易分析・インドの絹繊維産業の構造変化について考察し、そしてB貿易構造の変化について、輸入関数および輸出データが計量的に分析された。報告の結論として、@繊維貿易の自由化の潮流の中で、繊維産業の国際的比較優位が大国に集中しつつあること、Aそのなかで、インドでは、繊維の優位性は維持されつつも、原料である生糸に関しては比較優位が低下しつつあること、Bインドの絹繊維産業についてみると、繊維工業部門は中国からの輸入生糸への依存を強めていることが指摘された。
分科会1「1960年代台湾の諸相――福祉・経済・外交の面から」 滝田豪(大阪国際大学法政経学部)
戦後台湾史研究において従来不当に等閑視されてきた1960年代の意義を明らかにする。これが本分科会のコンセプトである。実際の報告内容はそれにとどまらない広がりをもっていたが、ここでは上記に絞って紹介の責を果たしたい。
今井孝司氏が報告した社会福祉分野においては、60年代に福祉の享受資格をめぐるエスニシティ構造の変化が起こった。50年代には国民党政権の支持固めのために社会福祉の享受者はほぼ外省人に限定されていた。しかし60年代に入ると台湾を取り巻く国際環境の変化が社会福祉にも及んだ。63〜64年にかけてフランスやマレーシアなどの国々と断交し、65年にはアメリカの援助が終了した。これにより国民党支配の正統性が揺らぎ始め、それを回復するために台湾本省人の取り込みが必要となった。従来、本省人取り込みは70年代初頭の国連脱退や米中和解をきっかけに全面展開したものとして語られてきたが、本報告によりその胎動がすでに60年代から見られたことが明らかとなったといえよう(ただし政治的権利を剥奪されていた本省人の「政治の主体者」化は課題として残された)。
一方、圖左篤樹氏によれば、経済発展の領域では、60年代は胎動というよりも重要なターニング・ポイントであった。台湾の発展を牽引した民間紡織産業は、実は50年代は弱体であった。なぜならアメリカ援助による原綿の割り当てが中央信託局の統制によって公営・党営の紡績資本に限定されていたからである(ここに今井氏が指摘したのと同様のエスニシティ構造を見ることもできるだろう)。しかし60年代に主たる輸出先であったアメリカが綿製品の輸入を制限したことで、いち早くナイロンやレーヨンといった新素材を導入していた民間企業が優位に立った。彼らがそのような転換を行い得たのは、同業的結束と日本統治時代以来の日本資本との密接な関係があったからであった。とくに日本の果たした役割は台湾の経済発展におけるアメリカ援助の意義の再検討を迫る要素といえよう。
前田直樹氏が報告した台・米・中関係では、58年の台湾海峡危機を最後に直接的紛争が沈静化し、無風の60年代を経て70年代に米中和解などの大変動が起こるという理解が一般的だが、現在に至るような、台湾が中国を攻撃しない一方で台湾の防衛にはアメリカがコミットするという構造は、実は60年代に形成されたものだった。その起点は未遂に終わった62年の大陸反攻計画である。アメリカは台湾海峡の現状維持を望んでおり、福建省に軍を集結させた中国との交渉では大陸反攻不支持の立場を明確化し、台湾に対してはときに強硬な姿勢をもってこれを押さえ込んだ。またアメリカ当局者の口からは中ソ対立への配慮(中ソ一体化の阻止)も語られていた。もちろんその後も米中の対立は続くが、これ以降、それは台湾をめぐるものではなくなったのである。
コメントと討論では、まず今井氏と圖左氏に対しては表の数値やその計算方法、あるいは用語の使用法について突っ込んだ疑問が提示された。またアメリカ外交文書に依拠する前田氏に対しては、中国側の資料に基づき台湾問題は米中関係における周辺的な問題に過ぎなかったのではないかという疑問などが提示された。今回の報告と討論は総じて、档案などに基づく実証研究の分厚い蓄積に裏打ちされた極めて詳細かつ高度なものであった。しかしそれでも、コメンテーターが述べられたように60年代のみならず70年代以前がいまだ日本の台湾研究の「ブラックボックス」であるとするならば、今回の三報告を起点としてさらなる実証研究の蓄積が望まれるだろう。
分科会2「地方分権化インドネシアにおける地方政治の変容」 水野広祐(京都大学東南アジア研究所)
1998年のスハルト体制崩壊後の、民主化と地方分権化によって大きな政治的変化が生じているインドネシアの地方政治に関して、フィールド調査に基づいた実証研究が3名の報告者によって示され、そのリアルな現実に参加者一同、改めて今日のインドネシアにおける問題の深刻さを思い、また同時に学問的な強い刺激を受けた分科会であった。
最初の岡本正明氏(京都大学東南アジア研究所)の報告は、「弱く」なった国家と地方政治・社会の関係に関し、特に、新設されたバンテン州、ゴロンタロ州などに焦点を当てて具体的に論じた。報告は、民主化・分権化後の国家・社会関係として、正統性や資金の源泉としての国家の自主的撤退という方向があり、また地方の政治的寡頭支配はあり得るものの、多元性は維持され彼らの間の対立構造のあり方が今後の方向を規定するとした。
二番名の森下明子氏(京都大学大学院アジアアフリカ地域研究研究科)報告は、地方政治と経済的利権の関係について、西カリマンタン、中部カリマンタン、東カリマンタンの3州の政治を取り上げて、自治体の首長や議員、さらに地元実業家について検討した。この3州の比較から、地方の有する経済資源の種類と多寡を縦軸とし、資源に対する中央政府の管理権が強いかどうかを横軸とする二次元の平面図による地方政治の構造分析を実証的に試み、そのモデルの有効性を主張した。
三番目の本名純氏(立命館大学国際関係学部)報告は、インドネシアにおける民主化と地方分権化の進行がおよぼした暴力装置の政治的機能への影響、特に、地方における政治と暴力の関係について、西・中・東ジャワ州のケースから考察した。そして、地方議会による利権アクセスの増大とこれをめぐる争いの過程で、階級的・職能的連帯が骨抜きにされ、いわば、「縦軸」で連結されるパワーエリートが、「水平軸」をブロックしている事実を明らかにした。
コメンテーターの川中豪氏(アジア経済研究所)は、フィリピンと比較し、今回の3名の報告のいずれもが住民の意志にふれていない点を指摘し、住民による下からのコントロールはどうなっているのかと問うた。また、フィリピンでも暴力、カネ、家族といったデフォルメされたイメージによって地方政治を説明する試みは多数なされたが、このような手法の有効性は実証的に否定されているとした。もう一人のコメンテーターである見市建(京都大学東南アジア研究所)は、3名の報告には、イデオロギーや規範の議論が組み込まれていないと批判した。
さらに一般参加者から、吉川洋子氏(南山大学)から、政治アクターとしての退役軍人に関する質問があり、また末廣明氏(東京大学)から森下モデルに関し、金権政治ではない政治はないとして、縦軸に権力の政治資源コントロールを持ってくるべきではないかと問うた。さらに、玉田芳史氏(京都大学)は、役人にとってのカネの出所はどこなのかについて質問があった。
新入会員自己紹介(順不動)
ご挨拶 荒木貴代(早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程)
このたびアジア政経学会に入会させていただきました荒木貴代と申します。現在早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程に在籍しております。研究対象としては、中国の外交を中心に東アジアの国際関係にも興味を持っております。
現在は朝鮮戦争時における中国の内政と外交の相互作用効果という観点から中国外交を研究しており、大々的に展開された中国国内のいくつかの大衆運動と中国を巡る国際環境をどう指導部がとらえ、どのような相互効果を生み出していったのか、その点を理論的に明らかにしたいと考えております。
今後は、皆様方のご教示をいただきながら努力して参りたいと思う所存です。以降どうぞ宜しくご指導、ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。
ご挨拶 岩谷 將(慶應義塾大学法学研究科後期博士課程)
この度、アジア政経学会に加入させて頂きました,慶應義塾大学法学研究科の岩谷將と申します。中国国民党による訓政時期の政治体制や地方自治,地方行政について研究しており,目下,国民党が行った訓政・地方自治の蹉跌を、一党支配、派閥の生成,弱体な党部などの訓政体制がはらむ問題との関連から究明することに努めています。
各会員の皆様から多くを学び,研究の深めて参りたいと思います.御指導御鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます.
ご挨拶 金戸幸子(東京大学大学院総合文化研究科博士課程)
伝統と実績のある当会に入会をご承認いただきましてありがとうございます。私の専門は国際社会学、開発・ジェンダー研究で、研究対象地域は台湾を中心とする東アジアです。現在取り組んでいる大きなテーマは、「東アジアにおける越境する社会空間:ジェンダー・エスニシティ・国民国家」です。とくに、近代の国民国家が前提としてきた枠組みに対するズレから生じてきた課題(ジェンダーの問題、住民アイデンティティの問題、人の移動の動態など)に研究関心を抱いており、現在、@沖縄と台湾の双方向的な人の移動、A台湾における移住者の増加が台湾社会の変容に与える影響、の二つのテーマに関し考察を進めています。
このことは、歴史的な視点を踏まえるならば、台湾と沖縄、そしてマイノリティの問題を正面に据えて、国民国家の枠の外に排除されてきた人々と日本社会の関係を捉え直すことにも繋がります。また、必然的に移住者が創り出す新しい社会空間と国民国家、ジェンダー枠組み、エスニシティ枠組みを捉え直すことを意味します。
今日的な問題と過去の問題とが重層的にアジアの現在を形作っていると認識すれば、越境する社会空間、ジェンダー、エスニシティの視点から国民国家の持つ意味を捉えていくことは、意義の大きい作業なのではないかと思います。多くの方々から教えを請いながら研鑽を続け、博士論文の完成につなげていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
ご挨拶 曹海石(法政大学大学院非常勤講師)
この度は入会させていただき、本当に嬉しく思っています。私は今まで中国共産党史研究の一作業として、博士学位論文「中国共産党の朝鮮半島政策1921−1949」作成に取り組んでまいりました。最近は主に中国と北朝鮮の関係について関心を持っており、学会の先輩たちとの幅広い交流を通して、深度ある研究を進めたいと思っています。どうぞ宜しくお願い申し上げます。
東アジアへの関心 坪井 正雄(横浜国立大学大学院国際社会科学研究科博士課程後期)
本会の会員資格申請中に本年度東日本大会の自由論題に応募し、幸い5月29日大会第2分科会で「1960年代シンガポールの工業化政策の形成過程について―ウインセミウス報告を中心に―」というテーマで研究報告を行う機会を頂きましたことを大変光栄に存じています。
1960年京都大学経済学部を卒業後42年間化学企業(三井化学)に勤務しましたが、’91~’99年役員として主として基礎化学品事業部門で東アジア地域(韓国、中国、タイ、インドネシア、シンガポール)への事業展開に携わり、’99〜’01年には現地法人社長としてシンガポールに駐在し現地政府の支援協力を得て石油化学事業を成功裏に立ち上げたビジネスキャリアをもっています。この延長線上で東アジアの経済発展の行方に関心をもって’02年から院生として国際経済を専攻し、シンガポールの経済発展の原動力として高く評価されている開放的な外国直接投資の導入を柱とする工業化政策の原点を究め、発展途上国の開発政策における意義を探りたいと考えています。
本年11月に70歳となりますが、今後10年間、世界で最も高い成長と大きな変化を遂げるであろう東アジアの将来に関心をもちつつ研究を続けて行きたいと願っていますので、アジア政経学会の皆様方のご指導を賜りますよう宜しくお願い致します。
ご挨拶 百成政秀(神戸大学大学院経済学研究科博士後期課程)
皆様、はじめまして。この度はアジア政経学会に入会をお許しいただきありがとうございました。私は百成(どうみき)
政秀と申します。アジア経済論・韓国経済研究を専攻しております。学会入会を機に更に勉学に励み、視野を広げて多くを学び取っていきたいと思います。何卒よろしくお願いいたします。
中国における開発と民族 星野 真(神戸大学大学院経済学研究科博士後期課程)
みなさんこんにちは。新入会員の星野真と申します。真と書いて「まさし」と読みます。専門分野は中国経済論と開発経済学です。加藤弘之先生の指導のもと、「中国における開発と民族」をテーマに、ミクロ・マクロ双方の面から研究しています。今のところ計量分析が主ですが、制度分析も行う予定です。発展途上国の経済を研究するためには、経済理論と計量、研究対象地域の制度的知識と人文学的知識、現場感覚、これら3つを高いレベルで理解しなければならないと考えていますが、甘くはないので、あせらずゆっくり進んでいくつもりです。よろしくお願いします。
ご挨拶 福田円(慶應義塾大学政策・メディア研究科博士課程)
このたび入会させていただきました福田円と申します。私は中台関係、とりわけ中国の台湾政策に関心を持っております。修士論文では、第二次台湾海峡危機をめぐる中国共産党の政策形成を検証しました。博士課程での研究テーマについては現在思案中ですが、中国の台湾政策が70年代をとおして変容し、「一国二制度」の「平和統一」を標榜するに至った過程に興味を抱いております。本学会において、これから多くの刺激を受け、知見を得られることを期待しております。どうぞよろしくお願いいたします。
ご挨拶 宮原 志津子(東京大学大学院教育学研究科博士課程)
このたびはアジア政経学会に入会させていただき、ありがとうございます。私の専門は図書館情報学で、東南アジアの情報政策における図書館の位置づけや、図書館の社会的役割について研究しております。以前は東京のある公共図書館に勤めておりましたが、青年海外協力隊でヴェトナムの図書館に派遣されたのをきっかけに、本格的な研究の道に進むことを選びました。修士論文ではシンガポールについて書きましたが、今年の11月からはフィリピン大学の図書館情報学研究所へ留学し、さらに研究を深めてまいります。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
中国の経済発展と雇用問題 楊世英(東北学院大学)
中国経済は20年余り高度成長を経て、新しい段階に入った。すなわち持続的経済発展を維持するうえ、国民生活水準の向上を重視である。しかも中国の経済発展に対する成果は必ずしも平等的配分が言えない。経済成長の恩恵に浴するのはごく一部分人である。九十年代に中国の労働力市場は奇妙な現象が起きた。ごく一部分の労働者の賃金が何倍も高くなったのに対し、大部分の未熟練労働者または雑役労働者・肉体労働者の賃金はほぼ上昇せず、それらの賃金上昇率がインフラ上昇率に比べても低い水準にある。さらに都市部において失業者または過剰な人員を職場の持ち場からはずし待機させる労働者(レイオフ)は大勢がいる。農村部を含めれば絶対貧困線以下に生活している人だけは2600万人余りいる。改革・開放以前より所得格差または貧困格差は拡大していた。財の分配は非常にアンバランス状態にある。
中国経済は高度成長する一方、労働需要はそれほど上昇しなかった。なぜこうしたズレが生じたか。確かに中国経済は市場化に伴ってTFPが急激に上昇した。経済発展戦略の転換や産業構造の調整により労働生産性が高くなり、中国経済は全体的競争力を高めた一方、労働需要の増加は国民総生産の増加よりははるかに遅れていることは一つの解釈である。他方投資依存型による急速な経済成長を遂げた中国経済は労働生産性を高めた同時に資本生産性も大幅に上昇したとの見方もあった。したがって如何に経済成長と労働需要の関係を調整するかが中国のマクロ経済に直面している重要な問題である。
労働力は非常に豊富である中国はなぜ同じ労働市場で賃金格差が拡大しているのか、そしてなぜGDPは持続的増加したのに、失業率への反応はなかったのか。それは中国の雇用の市場化の結果であるか、それとも中国経済の構造に問題にあるのか、このような疑問は中国の経済政策とくに雇用制度の変化にどのようにかかわっているかを常に念頭をおきながら実証分析を通じて考察を進める。
研究者としてはまだまだ未熟なものである。厳しい境遇に鍛えぬかれてりっぱな研究者になることを確信しており、これから学会の活動を積極に参加し、ぜひいろいろご指導・ご鞭撻をお願いしたい。
<後記>
*日本の「9.11」選挙は与党の圧勝となり、有権者は「小選挙区」の「醍醐味」を初めて味わった。これが日本の政治ひいては対外行動をどのよう変えていくのかわからない。そのうち、本学会でも「小選挙区制とアジア」とかいう分科会討論が行われるのかも知れない。
*だが、こういう変化は学会の討論内容には反映するが、学会そのものにただちに影響するわけではない。影響が直接的なのは、行政の方針転換である。財団法人管理引き締めの影響は本学会にもおよび石井前理事長、末廣現理事長のもとで懸命の対応が行われ、「寄付行為」一部改正と組織変更で、ようやく一息ついたと言えるかも知れない。関係者のご苦労を会員とともに感謝しねぎらいたい。
*編集子もようやく交代することになった。この間さまざまにご協力いただいた方々に感謝します。 (W)
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