学会ニュース
☆2005年度の学術大会は、東日本大会が、2005年5月29日(日)、明治大学駿河台校舎にて(今年は土曜でなく日曜に開催されますのでご注意下さい)、西日本大会は、同年6月11日同志社大学政策学部(京都市今出川キャンパス。今年度は午前中から一日での開催ですのでご注意下さい)にて、開催されます。全国大会は、同年10月29(土)日と30日(日)に島根県立大学(浜田)にて開催されることが決まっています。いずれも共通論題や分科会の他に、若手会員の報告を中心とした自由論題の分科会があり、基本的に自由応募制となっております。応募方法につきましては、時期が近づいてまいりましたら学会のホームページに掲載されますので、どうぞご覧ください。また、プログラムなども確定し次第ホームページにアップされるのでご留意下さい。なお、東日本大会については、共通論題として「アジア冷戦史の再検討」「アジアの農業」(いずれも仮題)を取り上げることが固まりつつあります(研究担当:国分良成、加藤弘之)
全国大会開かる
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2004年度全国大会は、10月30、31日の両日東北大学大学院農学研究科のキャンパスにおいて開催された。以下会員による参加記を掲載する。参加記は一定の字数をお願いしたが会場ごとに事情があり長さがまちまちとなったことをご寛恕願いたい。
自由論題(10月30日午前)
1.「中国の開発と社会」 明治大学 池上 彰英
この分科会では、人類学、政治学ならびに経済学という専攻を異にする3人の若手研究者による、何らかの意味で中国の開発に関係する3本の意欲的な報告が行われた。
1.高山陽子「中国張家界の観光開発」は、交通不便な山奥に林立する奇岩や巨大な鍾乳洞で知られる湖南省張家界の観光開発の歴史と現状の検討を通して、中国のエコツーリズムのあり方について考察したものである。高山氏はまず、張家界が1982年に中国初の国家森林公園に指定され92年に世界遺産に登録される一方、98年には世界遺産委員会から環境悪化を警告されるなど、観光開発と環境保護の矛盾が大きいことを実証的に明らかにしたうえで、張家界における環境破壊の要因として、生活のために開発を優先せざるをえない地元の貧困問題に加えて、原始の自然を尊重する西洋的な自然保護認識と何らかの意味で人間の手の入った「山水画」的な自然を尊重する中国の自然環境認識との違いを指摘した。筆者には、中国の自然環境認識の独自性の指摘がたいへん興味深かった。
2.林秀光「中国三峡ダム建設における利益誘導−『三峡省』から重慶直轄市へ−」は、三峡ダム建設の決定および実施過程における、推進派と住民立ち退き問題をかかえる地元政府との間の利害調整に関するケース・スタディを行うことにより、中国の公共政策における利益誘導の問題について考察したものである。林氏は、建設推進派の中心であった李鵬元総理の日記などに関する詳細な分析を通じて、重慶直轄市の設立の目的が住民立ち退き問題の解決にあったこと、三峡ダム周辺の貧困地区の所属をめぐって四川省と重慶市との間で押し付け合いがあったこと、困難な問題をかかえることになる重慶直轄市に対して中央政府による多くの優遇措置が与えられたことなどを明らかにすることで、現代中国の政策決定が必ずしも上意下達とは言えないことを示した。林氏は同時に、三峡ダム建設をめぐる利害調整の交渉の舞台から、地区レベル以下の地方政府や立ち退き住民が排除されていたことを指摘しているが、このことは今後の中国において政治的民主化、多元化が進行すると、政策決定過程における利害調整がより複雑になることを示唆するものであろう。
3.唐成「中国における地方政府の規模と経済成長−パネルデータによる経済格差の実証分析−」は、中国各省の経済成長率とGDPに占める財政支出の割合として定義した省政府の規模との相関関係について、1990-2003年のパネルデータを用いた分析を行ったものである。その結果、単回帰分析によっても、地域の経済成長率を規定する諸変数を説明変数に加えた重回帰分析によっても、両者の間に統計的に有意な負の相関があることが明らかになった。唐氏はこの結果をふまえて、大規模な政府活動は経済成長にとってマイナスであり、今後経済発展の遅れる地域では政府規模の拡大を抑制するべきであるとの結論を導いている。フロアからは、回帰分析の結果の解釈について、遅れた地域は雇用の場がないから(雇用の場としての)地方政府の規模が大きくなるのではないか、計画経済から市場経済への過渡期にある中国では政府規模の縮小は市場発展(したがって高い経済成長率)を必要とするのではないか、といった意見が出された。筆者は、中央から地方への財政移転という要因を考慮に入れると、上述の負相関の間に唐氏が考えるのとは逆の因果関係が存在する可能性があるようにも思った。
2.「中国経済分析」 青山学院大学 中兼 和津次
このセッションでは以下4本の報告が行われた。
1)何立新(一橋大学大学院)「中国都市部における公的年金制度−−2002年中国都市部家計調査の個票データに基づいた計量分析」
2)梶谷懐(神戸学院大学)「中国の財政・金融改革と地域間消費平準効果」
3)古島義雄(玉川大学)「中国における家計貯蓄の動向−−地域的特徴と貯蓄動機」
4)張艶(早稲田大学大学院)「中国の物価に対する金融政策・実体経済の効果」
以上の報告は全て中国の財政、金融問題に関する統計的分析に裏付けられたもであり、その水準も概して高かったように思われる。これらの報告に対して、指標の取り方、政策的背景、データの入手方法、などといったさまざまな質問やコメントが出された。残念ながら報告と質疑を含めて一報告当たり35分あまりしか時間がなく、消化不良であった感が否めない。これからは報告者を制限するか、あるいは報告を10分程度にして質疑討論の時間を確保するか(そのために報告論文を予め参加者が読んでおく必要があるが)、いずれかの方法を採らざるをえないだろう。
3.「市場、国家、地場から見た東南アジア」 アジア経済研究所 岡本 郁子
本分科会では以下の3つの報告が行われた。第一報告は、佐藤朋久会員(東北大学)「ベトナムにおける米国家貿易の自由化過程に関する研究」である。同報告は、米輸入国から輸出国へと急激な変貌を遂げたベトナムの米国家貿易体制の変化、具体的には輸出クォータ制の撤廃にいたる政策変遷の分析を試みた報告である。輸出クォータ制の撤廃の背景として、自由化促進に向けた積極的な政策転換ということよりも、政府内部の調整の行き詰まりが指摘された。ベトナム米の市場、輸出主体の性格、また撤廃の背景として生産体制の安定化、輸出主体の成熟など他の要因をどう捉えるかなどに関して議論が行われた。
第2報告は、水野明日香会員(東京大学)「ミャンマーにおける農地改革―土地の「公平」な分配の規範と実態―」である。同報告は、1950年代にミャンマーにおいて実施された農地改革を村落事例の詳細な検討を通じて再評価することを主旨としたものであった。同改革は実施地域が限定されたことなどから一般に失敗したと評価されているのに対し、実施された地域に関しては農地分配が改善したことをあげ、一定の積極的な評価を与えるものであった。農業集団化との関係、結果的には配分を受けた者が少なかった農村に滞留する農業労働者の位置づけ、また農地改革全体の評価に関して議論が交わされた。
第3報告は、横本真千子会員(北海道大学)「インドネシア地場産業の就業者―西ジャワ絹産業の事例―」である。同報告は、産地における養蚕農家の生産と織布工場労働者の労働の実態とその経済的インパクトの分析を試みたものであり、同産業に従事する各経済主体に顕著な所得向上が見られたことが強調された。工場の立地条件、今後の同地域の絹産業の発展の可能性やその問題点などに関する議論が行われた。
いずれの報告も意欲的なテーマを実態調査をもとに手堅くまとめているものであったが、それぞれ大きなコンテクストの中にどう位置づけるかという視点が加わると、各報告の主たる論点がより明確になるのではないかと感じた。
4.「東南アジア経済」 東京大学社会科学研究所 二階堂 有子
本自由論題では、以下の三つの報告が行われ、東南アジア研究者の高い関心を集めた。
三嶋恒平会員「東南アジアのオートバイ産業」は、タイ、インドネシア、ベトナムでの日系オートバイメーカーの調査を通じて、市場動向や組織能力構築を明らかにしたものである。特に、各国の現地化(発展)段階を生産台数や調達状況をもとに5段階に区切るとともに、各段階の特徴を明快に示した。また、オープン・モジュール型の中国オートバイに対し、日系企業は、むしろ従来のスタンスを強化する、つまりインテグラル型のオートバイを生産することで市場を確保しているとした。前者に関して会場からは、長年の現地調達規制を経て貿易自由化に辿り着いたインドネシアやタイと、早々に国際競争にさらされたベトナムとの市場の相違をうまく反映できないとの指摘が出た。
石川耕三会員「インドネシアにおける国営銀行優位の体制の成立−1980年代金融自由化の前提条件」は、スカルノ政権以降の金融抑圧が金融仲介機能やマクロ経済の不安定をもたらしたことを前提に、スハルト政権後期の革新を検討したものである。特に、この時期に試みられた銀行再編や「均衡財政」原則、為替管理の自由化を通じて国有銀行優位の金融システムが出来上がり、これが1980年代から始まる金融自由化の前提条件となったことを主張した。会場からは、「金融抑圧」の定義を明確にすることや均衡財政についての質問が出た。
三重野文晴会員「タイ主要企業の上場行動と証券市場−ビジネス・グループ、外資系企業と公開企業化」は、1990年代前半のタイ証券市場が地場大企業の資金調達の場としてどのような機能を果たしていたのかを企業のパネルデータを使って明らかにしたものである。上場前後の財務指標の変化と上場決定の要因分析から、(1)上場の動機は、設備投資の資金需要というよりは内部資本市場(関連企業への投融資)との関係が強いこと、(2)証券市場への上場は、銀行借入と代替的というよりは補完的である、と結論した。企業の資金調達に関しては、間接金融から直接金融へのシークエンスが一般的とみなされているので、この結果は興味深いとの声が聞かれた。
5.「海外投資」 東北大学 川端 望
このセッションでは3本の報告が行われた。
第1報告は、松村玲「インドネシアの経済成長と海外直接投資」であった。松村氏はスハルト政権期における経済成長への海外直接投資(FDI)の影響について、全要素生産性(TFP)に対する効果を推定することを通して分析を行った。そして測定の結果として、FDIはTFP成長率に正の効果を有意に与えるが、その効果は持続的経済成長を可能にする生産性上昇をもたらすには不十分である、人的資本水準の上昇も全要素生産性を上昇させるとした。そして政策的インプリケーションとして、継続的開放政策と投資環境の一層の整備、教育政策や社会政策を通した人的資本の水準向上策が必要と結論づけた。
第2報告は、三木敏夫「ブミプトラ政策下の日系進出企業の経営について」であった。三木氏はアンケートおよびヒアリング調査をもとに、ブミプトラ政策がマレー人社会の中に競争意識を定着させず、政府への依存を生み出してしまったこと、これに対してブミプトラ政策もメリトクラシーの導入によって変化しつつあることを述べた。またマレーシアが、生産性の向上があまりみられないのに対して人件費の上昇が著しいことにより投資先としての魅力が半減したこと、投資先および製品輸出国としての中国がマレーシア産業の脅威となっていること、日本的経営の適用については、疑問を投げかける企業と有効とする企業に二分されることなどを報告した。
第3報告は、赤羽淳「台湾の対中投資が台湾経済に与える影響:2001年以降の分析を中心に」であった。赤羽氏は、対中投資の拡大が台湾経済低迷の要因という論調に対して、中国生産比率・工業生産指数・雇用者数の変化率や対中投資の動機・出資方式を用いて実証的な検証を試みた。その結果は、対中投資は全体としては台湾内の製造業生産や雇用を縮小させるものではなく、また市場獲得型や先端業種の投資も増えているものの、依然として台湾の斜陽産業が対中投資の中心であるというものであった。この結果を受けて、赤羽氏は、2001年以降の台湾経済の減速は、各種要因を総合的に見るべきであって、対中投資の拡大のみをもって説明することは無理があると結論づけた。
参加者は約15名と少な目であったが、各報告について活発な質疑応答が行われた。
6.「現代アジア政治史」 学習院大学 中居 良文
このセッションは現代アジアの多様性を垣間見せるものであった。報告者は4名、地域は南ベトナム、タイ、中国、時代は1950年代から1980年代までをカバーした。
福田忠弘会員(早稲田大学社会科学学部)は「南ベトナムにおける革命路線の萌芽—「南ベトナム革命路線」の検討を中心にー」というタイトルで、1950年代の南ベトナムにおける武装闘争路線の誕生と展開を詳細に辿った。福田報告は当時の指導者の一人、レ・ズアンが路線転換に決定的な影響を与えたと主張する。高橋勝幸会員(早稲田大学大学院アジア大平洋研究科)は「朝鮮戦争開戦前後のタイの平和運動」をとりあげ、タイにおける反戦平和運動の背景にタイ在住の華人たちの動きがあったことを実証的に辿った。高橋報告は、タイ共産党の運動に華人たちが大きな影響を与えたと主張する。
加茂具樹会員(慶應義塾大学法学部)は「中国共産党の人民代表大会に対する領導の実態とその限界」というタイトルで、人民代表大会に出席する代表たちが党による拘束にどのように対応するかを実証的に調べた。加茂報告によれば、代表たちは選出地域への利益誘導を優先する傾向があり、党による拘束には必ずしも従わない。谷川真一会員(スタンフォード大学大学院社会学部)は「政治的暴力の拡散と党国家構造—陜西省における文化大革命(1966〜1971年)」で、文革の武力抗争が遠心的に拡散したという仮説を実証的に否定した。谷川報告は、県レベルのデータを解析し、文革の暴力は「中心」から「周辺の中心」へ、更には「周辺」へと拡散したと主張する。
各報告は大変充実したものであったが、司会者の不手際で4報告を連続的に取り上げたため、一部の参加者が報告を聞けなかったという事態が生じた。性格の異なる報告をいかに効果的かつ効率的にアレンジするか、次回の課題としたい。
7.「ジェンダー・インフォーマルセクター」 東北大学 沼崎 一郎
発表者:金戸幸子「台湾の「両性工作平等法」成立過程にみる<国家>再編とジェンダーの主流化」/遠藤環「グローバル化とインフォーマル経済:バンコクのコミュニティにみる女性のライフコース」/水上祐二「バンコク都における露天商の所得に関する社会経済的分析―聞き取り調査結果から―」
本分科会では、三人の若手研究者による実証的な研究報告が行われた。金戸氏は、台湾の「両性工作平等法」をめぐる議論に関する立法院議事録などの一次資料を丁寧に分析し、台湾政治におけるジェンダー主流化に対して、台湾内部のローカルな要因と、台湾外のグローバルな要因とがどのように絡み合いつつ影響しているのかを論じた。できるならば、今後は<国家>再編と<家族>再編がどのように連動あるいは衝突しているのか、公領域におけるジェンダー主流化のみならず、私領域におけるジェンダー構造の変容をも視野に入れた研究へと進んで欲しいと感じた。遠藤氏と水上氏は、ともにバンコクでフィールドワークを行っている。遠藤氏は、インフォーマル・セクターに働く女性の職業移動を世代ごとに丁寧に追跡し、その変化とグローバル経済との関係を論じた。今後は、家族や地域社会の変化の過程、特に家族のライフサイクルにおける女性の地位の変化が、女性の職業移動に与える影響をも考慮した分析が加われば、より充実したライフコース研究となりそうである。水上氏は、露天商が他の職種に比して高収益を上げており、それゆえ大卒者なども参入している事実を指摘し、インフォーマル・エコノミー=年の貧困層という図式が成り立たないと論じた。周辺に追いやられているから露天商になるのではない、儲かるから露天商を選ぶのだ、という水上氏の仮説は、議論を呼びそうであるが、タイの企業家精神論にも発展しそうであり、大変興味深い。
いずれも、オリジナルなデータに基づく実証的な力作であり、その結論はまだ仮説の域を出ないとはいえ、将来の発展性を感じさせる報告であった。朝早くから、暖房のない「酷寒」の教室での分科会となったが、フロアの聴衆からも熱心な質問があり、充実した質疑が行われた。
8.「アジアにおける地域協調」 東京大学 丸川 知雄
自由論題8「アジアにおける地域協調」においては、いずれも国際間協調の試みに関する3つの報告が行われた。安部雅人氏は、国際政治学の枠組みを用いて、カスピ海周辺で産出される石油、天然ガスを外へ輸送するパイプラインのプロジェクトを分析した。パイプラインは必然的にいくつかの国を通ることになるので、地域協調を必要とする。従来は「ロシア対中央アジア諸国・外資連合」という単純な二項対立でとらえられがちであったのに対して、安部氏はパイプライン成立に必要な7つの条件を考慮しつつ、パイプラインの輸送規模に応じた分析が必要であると主張した。
佐藤考一氏は、日本政府が近年提唱している「東アジア・コミュニティ」構想が東アジア諸国に好意的に受け入れられる背景を、この構想が提起されてきた過程を振り返ることで明らかにしている。アジア通貨危機によって東アジアにおける経済の相互依存関係が強く意識され、その時の日本の対応が東アジア諸国に好感を与えた。共同体構想が東南アジア主導で形をなし、それを日本が受け入れた。もちろん実現に向けての課題もなお多い。
長谷川貴弘氏は、2000年11月の中国による提起以来急ピッチで進展した中国―ASEANのFTAが主に中国でどのように受け止められているかを見ている。貿易、投資の活発化、国境貿易の活性化、他の経済圏構築への刺激といった効果があると展望している。
以下、3報告に対する若干の批評を行いたい。安部報告に関しては、パイプラインがその投資額に対してどれだけの収益を生じたかという経済的分析も欲しいところであった。佐藤報告では東アジアでの共同体意識を涵養するために日本がソフトパワーを活用することが示唆されているが、これはやや楽観論と思われる。ASEAN+3は参加国の政治・経済・文化の力が余りに不均衡である。強国が自らの影響力拡大のために共同体を利用し、他方でいかなる面でもチャンピオンになれない国が出るとすれば、後者にとって共同体への参加は余り快いものではない。共同体をまとめていくには日本や中国にはむしろ自制が求められるのではないか。長谷川報告に関しては、ASEANとのFTAに関する中国側の議論として紹介されているのがもっぱら商務部のウェブサイトに掲載された文章で、ASEANとの競争に負けそうなコメ農家や熱帯作物農家やその他産業の声が取り上げられていない点が気になった。FTA締結に対する反対意見が表に出てこない、あるいは一顧だにされない中国の政治構造を意識してこの問題を論じる必要があるのではないだろうか。
9.「アジアと日本」 東京女子大学 滝口 太郎
自由論題9では、以下の3本の報告が行われた。
王雪萍「改革開放期中国の学部派遣留学生政策:1980年度第1期赴日本学部留学生の追跡調査を中心に」/川原勝彦「明治初期日本の居留清国人による日本人幼児買取・誘拐問題について」/葛目知秀「日本と韓国の内外価格差に関する一考察:『距離』と『国境』の経済的影響」
王雪萍報告は、日本に対して、実質的に1980〜84年に実施された、中国政府の学部留学生派遣政策の評価を行おうと試みたものである。そのため、1980年の第1期留学生97名のうち、74名の所在を確認し、51名と面会、うち40名にインタビュー調査を行った。結論として、帰国率も高く、学習成果も所期の目的を達成したが、その後の再出国率が高いことを分析し、留学生の帰国を定着させる政策の必要性を指摘した。中国の対日留学生の活動は日中関係の重要な一側面であるにもかかわらず、従来あまり研究が行われてこなかった。本研究は、インタビュー調査という手法を用いた注目すべき研究であるといえよう。
川原勝彦報告は、明治初期において開港場(横浜、神戸、長崎)で、清国人によって引き起こされた日本人幼児買取・誘拐の実態を明らかにしたものである。また今回は詳細に論じることが出来なかったが、条約改正を課題とする明治政府の外交問題として分析する視角も含まれている。外交資料館の未公刊史料や当時の新聞資料を用いた、きわめて詳細な研究であり、まだ分析枠組が未完成であるが、将来的に期待の持てる研究であった。参加者からも、当時存在した巨大な東アジア人身売買ネットワークの解明、北京条約以後の中国における労働力流出との関連の解明などを期待する意見が出された。
葛目知秀報告は、「距離」と「国境」が商品価格に与える影響を、主としてEngel and
Rogersのモデルを用いて分析したものである。2都市間の「距離」が離れるほど価格差が大きくなること、「国境」が入ると更に価格差が大きくなること、を仮説とし、これを緻密に立証した。本研究の特徴は、「FTA締結の経済効果」という未開拓の分野への序論として位置付けられる点である。将来の研究においては、仮説の1つとして、首都である東京の相対的重要度が低下することも予測されている。本報告自体は、まだその研究の導入部の位置に留まっているが、大きな研究テーマに発展する要素を含んだものである。
以上3つの報告は、分野がそれぞれに異なり、皆若い研究者によるものであったが、いずれも将来への発展が期待される研究であった。
共通論題(10月30日午後)
1.「東アジア共同体の可能性」 早稲田大学政治経済学部 毛里 和子
10月30日〜31日、東北大学でアジア政経学会が開かれた。同学会(理事長・末廣昭東大教授)は会員1300名を擁する日本最大の地域研究学会であり、当代アジアの国際関係、政治、経済、社会などを研究する日本の代表的研究者が集まっている。30日には200名近くが共通論題「東アジア共同体の可能性」を熱心に議論した。
司会者(毛里和子)が、ここ数年、FTA(自由貿易協定)をはじめ具体的に動き出している「東アジア共同体」について、東アジアとは何か、共同体とは何か、それを促すもの・阻むものは何か、などにつき学術的な議論を期待するとの提起があった。まず、外務省でFTA交渉などを進めてきた宮川眞喜雄氏(日本国際問題研究所)が共同体構想をめぐるASEAN、韓国、日本の動きを紹介し、共同体が「東アジアの豊かな伝統と価値観」をもとに作られるなら紛争の地域的解決に資するし、高度経済システムのモデルとして日本も寄与できる、と述べた。ついで小嶋朋之教授(慶應大学)が、共同体形成を阻むものはあるにしても、共通の利益、地域の安全保障がそれを促すだろうし、とくに日本と中国が果たすべき責任は重い、と強調した。
東南アジア専門家の鈴木祐司教授(法政大学)は、「東アジア共同体」フィーバーに別の角度から疑問を呈した。主体は国家なのか住民なのか、「共通の家」なのか「共通の砦」なのか、強いナショナリズムとどう共生するのか、などである。ついで国際経済学の立場から深川由紀子教授(東京大学)が、*日本とNies、*ASEAN・中国沿岸部、*ベトナムなどと中国内陸部からなる三層の経済統合体に東アジアが向かいつつあり、機能的統合体として「東アジア共同体」への明るい展望を描いた。
討論はきわめて活溌だった。*ASEAN、APEC、ARF(ASEAN地域フォーラム)など既存組織と「東アジア共同体」はいかなる関係になるのか、*来るべき「東アジア共同体」の共通の価値、理念、組織原則は何なのか、*日中韓など、強烈なナショナリズムを抱える諸国の間でそもそも共同体などできるのか、*共同体のアクターは国家だけなのか、*国力・経済力などで大きな格差を抱える東アジア地域での共同体作りは地域覇権争いになってしまうのではないか、など、それぞれに本質に関わる問題が論点となった。
最後に司会者が次の5点に纏めた。*かつて「アジアが一つ」であったことはないが、いま機能面で「一つのアジア」の方向へと進んでいる、*「東アジア共同体」の動きは、1997年アジア通貨危機の経験、相互猜疑の中で生まれたASEANが30年間で成熟した協力体となった歴史的経験をもとにしている、*だが共同体にとって不可欠な共通の理念・目標、組織体としての基本原理で合意を作るには長い時間を要する、*日米安保、台湾問題、領土問題など安全保障上の問題を視野に入れなければ共同体議論は空虚なものになる、*国家以外に非国家主体を共同体メンバーに加えなければ、共同体の機能は限られたものにある、などである。
「アジアは一つ」と岡倉天心が語った百年前、実はアジアは血なまぐさい紛争の舞台だったし、域内に決定的な階層性を抱えていた。だが、百年後の今、ようやくアジアは平等なメンバーによって「共同体」構想が語られる時代に入った。このことの重い意味を改めて考える必要があるだろう。
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2.「東南アジアの都市化と居住コミュニティーの変容―インドネシアの事例」
名古屋大学 北原 淳
報告は、第1報告:加納啓良会員「ジャカルタと東京―郊外地域の形成とその歴史的意味」、第2報告:吉原直樹会員「ジャカルタにおける地域コミュニティーの布置構成と制度的再編の動向―日本のコミュニティー/町内会を見据えながら」、第3報告:大鎌邦雄会員「インドネシアの地方自治改革と農村コミュニティー―日本の地方行政システムとの比較」、という順序で行われた。また、コメントは水野広裕会員、山本郁郎会員よりなされた。
加納報告は、ジャカルタ郊外のデポック市と東京郊外の多摩ニュータウンとのデータを比較した。東京大学とインドネシア大学との共同調査の成果によるデポック市の4集落(在来型集落、公営団地、民間開発団地、スラム的集落)のデータを住宅都市整備公団の調査データと比較した内容である。デポック市は平均的に世帯員数が多く(4.56人/3.26人)、平均年齢も若い(27.7歳/34.2歳)。居住年数はデポックの公営団地を除くと10年以内、居住前の住所は首都が50%以上を占め、就業者は1−2人が多く、勤務地も首都が半分以上であり、通勤時間も60分以上が過半数を占める等、近似している。ただし所得分布はデポックの庶民的集落と中間層団地との間に格差がある。
吉原報告は、まず、スハルト時代の所産である1950−60年代からの都市最末端の地域自治=行政組織、RT/RWについて、ジャカルタ市内において再開発が禁止され、インナーシティー化とともにインフォーマル部門も見られるメンテン・アタス地区を選んで、その過去から現在に至る組織や機能を検討する。RTは、規定の上で会費は徴収するが納入率が悪く、その他の組織とは人的なネットワークを通じて重層的にゆるく結ばれ、RTの機能としては地域の安全確保や人間関係の調停等が主であり、活動のタイプとしては地域=行政協同型が多い。RTの施設が地域活動の場所である。ついで、1999年の新地方行政法によるクルラハン議会について検討する。議員には高学歴者が多く、世話係的なタイプが多い。RT執行部とクルラハン議会とは重層的である。結局、同地区の地域組織は住民参加と権力・行政力との双方の担い手である。
大鎌報告は、1999年の新地方行政法以降の農村の村落組織がLMD(村評議会)からBPD(村代表機構)に代わったことにより、どう変化したかを検討し、日本の村落組織と比べて、自治性が弱く、行政の支援によって機能しているとする。対象村として山村、平地農業村、兼業村の3箇所を選び、新しい現象として、意思決定機構と行政機構、および財政収入源がどのように変化したのかを検討する。能力主義による村長選挙もおきて、開発プロジェクト等でも意思決定の合議化が進んだが、そのベースには長老や宗教家の伝統的寄り合いによる意思決定がある。また財源は結局、県の補助金に依存するという。日本の村はタイトであり、自治的次元と行政的次元の二重性が特徴だが、インドネシアの村落組織は血縁・隣人関係の人的ネットワークによるルースさと行政との融合とが特徴である。
水野コメントはそれぞれの報告のポイントにふれたあと、3報告を比較し総合して、地方自治法以降、組織と機能の点で、トップダウン型に合議型が加わった重層性という共通性を指摘するが、とくに両報告のふれるジャカルタは地域的な差異も検討すべきだ、日本との比較でのタイト/ルース論は、過去の特質よりも日本の地域の現在の構造的問題点をふまえた比較をすべきだ、という論旨だったと思う。また山本コメントは、3報告の共通点はグローバル化の中のアジア的市民社会形成の内発的能力の探究にあったとまとめ、加納報告は公営団地型に限定して多摩NTと比較すればより成果かありそうだ、吉原報告は権力型対個人ネットワーク型を超えて地域規範を探す必要はないか、大鎌報告は重層的意思決定のうち、古いベースの強さに注意すべきではないか、という論旨だったと思う。
司会者は、@
この3報告はケースをインドネシアに限定しているが、経済を中心に都市=農村の社会的・空間的差異がなくなり、行政制度が分権化・地方自治する共通のアジア的な課題・問題を扱っており、決してローカルなテーマではない、そして、A
3報告では、前2報告の都市と第3報告の農村とが分断されている感じだが、両者をつなぐ経済的・政治的な構造連関はどうか、B
都市と農村を含めて形成された中間層はこの分権化にどう関係し、どう対応しているのか、C地域組織はアジアの市民社会と福祉社会という課題にどう関係するか、といった諸点を検討する課題がある、と考える。
分科会討論(10月31日午前・午後)
1.「東アジアにおける選挙政治」 慶應義塾大学 山本 信人
2004年、東アジアは選挙の年であった。3月20日には台湾で大統領選挙、翌3月21日はマレーシアで国会議員選挙、4月5日にインドネシアでの中央・地方議会議員選挙、4月14日は韓国の国会議員選挙、5月10日にはフィリピンでの大統領選挙、7月5日にインドネシアで大統領選挙、7月11日に日本では参議院選挙、そしてインドネシアの第二回大統領選挙は9月20日に実施された。一昔前は開発と安定を至上命題とした権威主義体制であった東アジア諸国で、それなりに公正で自由な選挙がおこなわれ、民主政治が定着したかの観がある。では、東アジアではどのような選挙政治が展開しているのか。
「東アジアにおける選挙政治」分科会での報告は、渡辺剛会員(杏林大学)の「台湾の選挙政治−民主化・政権交代と権威主義の遺産」、岡本正明会員(京都大学)の「インドネシアの選挙政治−大統領直接選挙制導入に伴う政党政治の変容」、中村正志会員(アジア経済研究所)の「マレーシアにおける選挙の政治統合機能」の3つであった。
まず、渡辺会員によると、台湾の選挙政治では、エスニシティ、国家的アイデンティティ、金権政治が対立軸を形成する。しかもこの対立軸は1980年代後半、李登輝が政権についた民主化時代に登場したのではなく、むしろ蒋介石・蒋経国政権という権威主義体制の時代からの遺産であり、それが民主化過程で再構造化された。むしろ民主化が進展したことによって、外省人と本省人の対立(これに少数民族が絡まる)、台湾の独立意識の高揚、選挙をめぐる汚職・金権政治の横行というように、3つの対立軸はより先鋭化してきた。
つぎに、岡本会員がインドネシアの事例を分析した。インドネシアでは、9月20日の第二回大統領選挙で、スシロ・バンバン・ユドヨノ(SBY)が61%の得票率を獲得し、現職のメガワティに圧勝した。これは、大統領直接選挙という新しい選挙制度がメディアをとおしたイメージ選挙の登場と政党政治の変質をもたらしたためだ、と岡本会員は議論する。しかし、争点や政策的な差異が曖昧であったために、候補者の個人的イメージが選挙の重要な要素となった。選挙戦の過程で既成政党vs一般大衆という図式が定着し、メディアや世論調査を活用したSBY陣営が結果的に圧勝した。しかし、国会ではゴルカルや闘争民主党という既成大政党が過半数を占めているので、大統領vs議会の対立構造は避けられない。
最後に、中村会員がマレーシアの選挙政治について報告した。マレーシアは民主化への移行をみていないが、それでも議会内閣制を敷きながら不定期的に、しかし10回に達するほど国会議員選挙を実施してきている。マレーシアの政党はマレー人、華人、インド人系という複数の民族政党が存在しながら、それらを組み合わせた政権与党の国民戦線が与党を形成している。中村会員は、選挙を通して政党連合システムが維持され、政治的安定と秩序を保証してきていると議論する。
これらの3報告に対して、討論者の黒柳米司会員(大東文化大学)は、東アジアの選挙政治に関する共通のポイントとして、開発独裁を民主化(台湾)、破綻(インドネシア)、定着(マレーシア)の3類型化を提示した。そのうえで、選挙制度のもつ意味の違い、政党・政党システムの性格、今後の政治潮流について問題提起をした。また、3報告についての個別の疑問があった。
限定された時間のなか、フロアーからは選挙政治におけるエスニックな文脈の重要性、選挙における隠された争点が政党や選挙に与える影響、選挙資金が増加傾向にあるなかでの政治的意味について、コメントがだされた。
本分科会は常時35名以上の出席者があり、事前に用意した50部の報告レジュメが不足するほどの活況をみせた。
2.「中国共産党の現段階」 筑波大学 小嶋
華津子
党員数6823万2000人(2003年末統計)を擁する世界最大の政党―中国共産党が、市場経済化の波を受け、変容を遂げつつある。果たして現段階の中国共産党をどのように捉えたらよいのだろうか。本分科会は、中国と向き合う際に避けて通れないこの問題に、様々な視点からメスを入れようという野心的な試みであった。
まず最初に、本分科会の企画を担当した国分良成会員より趣旨説明がなされた。「国家-社会」アプローチにおいて、80年代半ばより専らの関心を改革・開放にともなう「市民社会」の形成・発展に向けていた中国研究者は、天安門事件等を経て、近年再び党・政府研究の重要性に気づき始めた。本分科会のテーマはまさに、このような世界の学界の動向に沿うものと言えよう。
菱田雅晴会員の報告「世界最大の既得権益集団?―中国共産党を如何に捉えるべきか―」は、社会主義イデオロギーという外部サポート装置を失い、「三つの代表」論により私営企業家の入党容認に踏み切った中国共産党が、「包括政党」ならぬ「エリート階級政党」化への道を進もうとしている現状を、数々の統計資料により浮き彫りにしようとするものであった。しかし同時に報告者は、「プロレタリア階級の前衛」を自認する党の指導の下にありながら、労働者や農民が改革・開放前より一貫して様々な恩恵から排除されてきたことを指摘した。結局のところ「エリート階級政党」としての共産党の性格は、市場経済化の産物ではなく、それ以前より一貫したものなのではないか。討論者およびフロアからは、市場経済化前後の党の性格の連続性と断絶性について質問が提起された。加えて報告では、上記のような党の変容と、いわゆる「親民路線」を推進する国家の政策との齟齬を如何に捉えるべきかとの問題が提起されたが、ここで例示された「親民路線の破綻」「党=国家体制の瓦解の始まり」が生ずる可能性については、討論者より慎重な見解が示された。
川井伸一会員の報告「コーポレート・ガバナンスからみた中国共産党」は、企業における党の指導の現状に焦点を当てたものであった。それによれば、市場経済化にともなう企業形態の多様化、コーポレート・ガバナンス論の導入を受け、企業内党委員会の位置と役割について新たな制度設計が求められ始めているものの、現時点において党委員会は依然として「責任はとらないが権限は有する(有権無責)」立場にあり、人事および経営管理の重大事項の決定に大きく関与している。こうした現状分析に対し討論者からは、近い将来において「新三会」(株主総会、取締役会、監査役会)と「老三会」(党委員会、従業員代表大会、工会)間の矛盾の拡大が、党委員会の役割の減退を招く可能性はあるのか、そうでないなら、党委員会の役割を存続させる企業経営管理側の論理は何であるのか(例えば「ブレーン集団」ないし「人的ネットワークのリソース」としての利用価値)等質問が提起された。
諏訪一幸会員の報告「幹部管理制度・政策の現状と展望」では、「編制」に基づく党の幹部管理の制度的枠組みと党政幹部概念が明らかにされた。党の指導の核心に迫る部分でありながら資料的制約ゆえに解明されてこなかった同テーマについて、フロアからは、「編制」の規模、旧ソ連のノーメンクラトゥーラとの比較を含め技術的な質問が相次いだ。報告の中でも言及されたように、近年には、特定ポストを対象とした公募制度や選挙による人事の普及が見られる。また、討論者の指摘した政府機構改革や、党外機関・団体に芽生えつつある利益集団志向も、既存の幹部人事制度の枠組みや運用に変化を促す要因となろう。「編制」制度がどのような方向に変化しつつあるのか、ミクロな視点からの更なる研究が望まれる。
闊達な議論の後、座長の西村成雄会員より各報告および質疑応答についての総括がなされ、分科会は予定時間を15分ほど超過し閉会した。
3.「アジアの森林問題」 東北大学大学院農学研究科 工藤 昭彦
アジアの森林破壊はインドネシアを筆頭にミャンマーなどでも加速度的に進んでいる。このままいけば、スマトラ島では2005年までにほとんどの低地熱帯林が消滅すると予測されている。こうした中、中国では近年、森林面積が増えている。「アジアの森林問題」分科会ではこれら3国を対象とした手堅い研究成果が報告された。
谷祐可子氏(東北学院大学)の報告は「ミャンマーにおける森林減少と人々の法意識:バゴー山地における開墾を例として」。谷氏によれば、森林減少が止まらないのは、政府の森林法とダマウージャ(先占取得)やボーババイン(開墾者から3〜4世代に渡る子孫への相続慣行)といった住民の土地利用慣行が齟齬をきたしているからだという。その実態をバゴー山地等の地域事例に基づき紐解いてくれた。政府と住民、森林法と慣習(法)のせめぎ合いはまた、ミャンマーに限らず、途上国の森林資源管理をめぐる共通の論点でもある。
関良基氏(地球環境戦略研究機関)の報告は「中国退耕還林をめぐるポリティカル・エコロジー −政府の論理と農民の論理−」。中国では2010年までに3200万haに及ぶ新規造林を目指すプロジェクトが進行中だという。推進力となったのは長江大洪水など深刻な自然災害や砂漠化の進行といった環境問題である。実施にあたっては、耕地から林地への転換を余儀なくされる1億人以上もの農民に、最長で8年間に及ぶ食料援助というインセンティブが付与された。ただ、過剰穀物処理と連動した環境政策に対する農民の不信感は根強いようだ。その証拠に植林地の再開墾を予定した圃場の隅への植林や禁止されている植林地での間作の実施など、農民の多様な「日常性の抵抗」がみられるという。貴州省における関氏の詳細な実態調査結果がそのことを裏付けてくれた。
加藤学氏(アジア経済研究所)の報告は「インドネシアの森林消失と林業改革:資源レント配分の変化とインセンティブ」。スハルト体制崩壊後におけるIMF・世銀主導型の林業改革が功を奏し得ないまま森林破壊が加速され、その過程でレント(=通常の市場での取引以上の利益)が合板企業から違法伐採・取引業者等に渡ったことを詳細なデータ分析に基づき報告してくれた。これだと違法伐採はますます助長され、アジア諸国の中でも最大規模の森林破壊に歯止めがかかりそうにない。
コメンテーターからは、植民地時代に端を発する森林法の矛盾、退耕還林政策評価の地域間比較の必要性、IMF・世銀シナリオに対する評価や地方分権の基盤となるコミュニティのあり方等々についての指摘があった。その後、フロアーからの関連質問を含めて活発な議論が行われ、アジアの森林問題の何たるかが相当程度浮き彫りにされた。
かいつまんでいえば、森林破壊にしろ退耕還林等の森林造成を巡る問題にしろ、その底流には未だ深刻な貧困問題が存在するということである。その意味でアジアの森林問題は、地域経済開発など多様な貧困撲滅政策と一体的に議論を深めていかざるを得ない。政府と住民、森林法と慣習(法)のせめぎ合いの調整・折り合いを抜きにして、適正な森林資源管理が難しいこともはっきりした。引き続き途上国それぞれのコミュニティのあり方を踏まえた折り合い方式を巡る議論の深化が待たれよう。ミャンマーのような流動性の高い社会に、果たしてコミュニティと呼べるような定住社会が存在するかどうかといったことを含めてである。
地方分権化がインドネシアのように森林破壊を増幅させかねない以上、地方政府を含めたガバナンスに関わる問題も根強く残っている。違法伐採された木材の密貿易を取り締まる実効性のあるモニタリングシステムの確立なども、これからの課題だろう。いずれにしろアジアの森林問題はすぐれて政治問題であり経済問題でもあることが、分科会の議論を通して明らかにされた。
4. “After the Crisis” 神戸大学片山裕
The panel that was convened by Prof. Katayama was composed of Professors
Pasouk Pongpaichit (Thailand), Takashi Torii (Malaysia), Masaaki Okamoto
(Indonesia) and Perlita M. Frago (Philippines) started around 13:10.
Prof. Frago discussed the Philippine’s case where the crisis ensues and
deepens. The May 10th elections enabled President Macapagal-Arroyo to
gain popular legitimacy the second time around but the current
P200-billion fiscal crisis that the country is facing today is testing
her resolve to actually perform and deliver her promises of a “strong
republic”. Given a second chance to solve the problems that were partly
a result of her administration’s previous decisions, Pres. Macapagal-
Arroyo seemed determined to solve the country’s current fiscal deficit
by the book. At the same time, she practiced democratic governance
through the adoption of economic measures formulated by leading
economists of the country that are unfortunately being labeled by her
antagonists as the ultimate “pain package.” Her critics lambasted her
call for “leadership by example” as recent developments point to the
contrary, she created additional offices and positions within the
Executive Department despite her vow to downsize government; erring
corrupt officials within the ranks of the military began to surface one
by one; the fat allowances and perks being received by officials of
government corporations. Despite the positive signs of participatory
governance, there is also growing disenchantment from all sectors
because the government does not seem to be doing anything right. Much
less, the vision of a strong republic is far from being realized.
Prof. Okamoto discussed the historic significance of September 20, 2004
to the country of Indonesia. It marked the election of the first
President that was actually chosen by the people themselves. The
aftermath of the “crisis” resulted in a number of political changes: 1)
the birth of the democratic tradition/movement in Indonesia; 2) the
liberalization of political competition in society; 3) the eroding of
military influence in politics, among others. These political changes,
in turn created significant impacts. Free political competition
recharged and activated the role of the media, once again the political
voice is freely expressed. The number of political actors and political
parties increased. Consequently, the number of separatist movements also
increased. There has been a shift towards a decentralized mode of
governance. This increased competition for economic resources, thus
corruption increased as well. In addition, there is also the declining
role of the military and the shift towards civilian politics is more
prominent. However, military operations are still widespread as low
intensity conflicts still exist. This changes ushered in shift to
popular politics however, the new government faces the problem of
national integrity. The government is in the process of democratic
transition but the President’s options are limited so political
uncertainty continues.
Prof. Torii noted no big change in Malaysian transition of political
power. He mentioned, however, a shift from a strong and development
leadership type of management to a strong and balanced economic
management. He traced the political events after the crisis and gave a
chronological discussion of political events with emphasis on UMNO
politics. He cited the significance of acquiring political legitimacy
through elections. He showed slogans and banners used by current leader
to gain public support and popular appeal. The current leader’s strong
anti-corruption stance and clean public image helped him rise into
power. The four key elements that proved useful in the leader’s agenda
were: 1)Progress in ISLAM, 2) Balanced development, 3) Malay
competitiveness, 4) Economic policy for Bumiputera (non-Malays).
Prof. Pasouk talked about Thai politics under its current leadership.
She talked about the progress of high politics in and the concerns of a
modern Thai parliamentary system. She mentioned that Thai economy
multiplied in size five times over amidst a growing middle class. The
recent elections gave rise to a stronger political party ever to remain
in power, the repression and micromanagement of media and civil society.
Democracy was used as a tool rather than an ideal. The current leader in
effect is above the law. He launched authoritarian populism since
parliament was viewed as impotent and civil society was in disarray. The
activists and interest groups have begun to regroup and resistance
against the government has started to build up. The risk of divisiveness
arises as pockets of opposition emerge due to the government’s failure
to manage the bird flu epidemic and its resort to violence. Thailand is
set for a contest and its political scene becomes very exciting as its
leader could be unseated or could come back into power.
During the open forum, the questions that were raised concerned possible
common futures, differences among the countries discussed; relationship
between good governance and corruption, and; specific questions
concerning the future of Thailand. Common futures cited were the:
formulation of globalized and local agenda; the increase in popular
support; the resolve to make a difference in respective country’s
leadership; the maximization of vibrant people’s participation; striking
a balance between a populist and more disciplined political style; the
increasing role of mass media and public policy; and projection of clean
public image. While the differences would have something to do with each
country’s unique experiences as a country. Relating good governance to
corruption elicited the following responses: Good governance or
appearance of good governance is important to ensure popular support.
“Public office is a public trust.” Government decisions entail finances.
Those who are in government are expected to utilize the scarce resources
in most legal and efficient ways- they are accountable to the people.
People as stakeholders have a stake in government. Corruption breaks the
people’s trust. The Professor from Thailand remarked that Pres.
Macapagal-Arroyo will have a difficult time pursuing populist policies;
she needs to find a good economic team. As regards questions concerning
Thailand, she said that the Thai Constitution would have democratic and
undemocratic elements in it; she predicted that the wife of Thaksin
might succeed him although he is also grooming his son to be a possible
successor; a military coup will be difficult but is possible- this may
be initiated by the business group or opposition party, without
discounting the people themselves.
The convenor ended the session by saying that it was a fruitful
discussion and that the speakers delved on significant common
experiences after the elections: an appeal to popular sentiment; public
image conveyed by the media; strong leadership, if not strongest faith
in leadership as defined by Joel Migdal. This discussion augurs well for
deeper studies on the political economy of transitional economies in
Southeast Asia.
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5.「現代アジアの構造変容と新しい文化的不平等」 東北大学 佐藤 嘉倫
私は本分科会の司会を務めました。本分科会はアジア政経学会と東北大学文学研究科21世紀COEプログラム・社会階層と不平等研究教育拠点が共催しました。共催に際しては、沼崎一郎氏のご協力を得ました。この場をお借りして感謝いたします。
報告者の3人はすべてCOEプログラム関係者です。川口幸大氏と菱山宏輔氏はCOE大学院生です。謝桂華氏はCOEポスドク研究員です。川口氏の報告(現代中国における文化的階層に関する研究)は2つの宗族における伝統復興の違いを比較分析したものです。1つの宗族では、祠堂の修築や族譜の再編が行われ、祖先祭祀も再開されました。そして、このような事業や活動を通じて、宗族へのアイデンティティや帰属感が明確になってきました。これに対して、もう1つの宗族では、このような宗族復興がうまくいきませんでした。祠堂は修築されましたが前門だけの修復で、人々の評価は高くありません。族譜も再編されず、祖先祭祀も盛んではありません。川口氏は、この2つの宗族における伝統復興の違いを生み出す要因として、伝統復興を進める個人的イニシアチブの違いや中国共産党の文化政策との関係の違いを指摘しました。
菱山氏の報告(インドネシアの都市コミュニティにおける文化的不平等)は、バリ島のスカ組織とバンジャールとの関係がいかなる要因で決まるのかを検討しました。まず両者の関係を「地域内にある」、「バンジャールが役員を出す」、「バンジャールに役員を出す」、「バンジャールの下部組織である」、「バンジャールから補助金を出している」という5つの指標から合成指数「関係度」を作成しました。そしてこの関係度とバンジャールの発足時期、バンジャール経済、都市度、活動回数との相関関係から、関係度を規定する要因を探索しました。
謝氏の報告(Market Transition of Laid-off Workers in Urban
China)は、開放政策後の中国の都市における労働者がレイオフされる要因を統計モデルにより探求しました。レイオフに関しては、二重労働市場論のような分断労働市場論と市場移行論の2つが影響力を持っています。前者は、労働市場がさまざまな制度的要因や雇用者の選好によって分断されているという理論です。現代中国に適用すると、旧体制の制度がまだ労働市場で影響力を持っているのかどうかが問題になります。後者は、計画経済から市場経済への移行によって、政治的資本よりも人的資本による人員配分メカニズムが優勢になると主張します。謝氏は洗練された統計モデルを駆使して、これらの理論の妥当性を検討しました。
このように、本分科会の報告はバラエティに富んだものでした。地域としては、中国の村(川口報告)、中国の都市(謝報告)、バリ島(菱山報告)が取り上げられ、研究手法としては、ケーススタディ(川口報告)、ケーススタディと統計分析の併用(菱山報告)、統計モデル(謝報告)が用いられています。もともと社会階層と不平等研究教育拠点ではさまざまな視点から東アジアにおける不平等を研究することを目的の一つとしていますので、このような多様性は歓迎すべきことです。しかし分科会の司会としては、どう取りまとめていけばよいのか悩みました。しかし幸いなことに、石田浩氏(関西大学)、今野裕昭氏(専修大学)、川野幸男氏(大東文化大学)というそれぞれの分野の専門家の皆さんが、的確なコメントにより各報告の内容を膨らませて、より広い文脈に位置づけて下さいました。あらためて御礼申し上げます。
地域を前面に出した学会に参加するのは初めてでしたが、各地域で得られた知見と社会科学におけるより一般的な理論との接合をどのようにすればよいのか、いろいろと考える機会を得ることができました。
6.「アジアの開発と環境問題―国際協力の視野から―」 東北大学 川端 望
本分科会は、東北大学学際科学国際高等研究センタープロジェクト「中国におけるCDM普及に向けての学際的研究」(大村泉氏が主査であることから大村プロジェクトと略す)との共催で開かれ、3本の報告が行われた。
第1報告は、張興和「中国山西省の石炭・鉄鋼産業による環境汚染と日中技術協力の可能性」であった。張氏は大村プロジェクトで中心的役割を果たしてきた研究者である。張氏は中国山西省での数次にわたる現地調査に基づき、同省の主要産業である石炭・コークス・鉄鋼産業が環境汚染を引き起こしていること、特に、多数存在する小型炭鉱やビーハイブ式コークス炉、小型高炉が汚染源となっていることを、SO2や煤塵排出のデータを用いて説明した。そして、地球温暖化防止を目的として京都議定書で定められたクリーン開発メカニズム(CDM)を日本との間で用いることで、山西省はエネルギー利用効率を向上させ、環境改善と経済発展との同時達成が可能になること、日本は比較的低いコストで温室効果ガスを削減できることを主張した。
張報告に対して氏川恵次氏が、(1)山西省コークス産業の競争優位の所在、(2)日本企業が技術移転を行う動機はCO2クレジット獲得だけか、(3)二酸化炭素排出削減を目的とするCDMが煤塵や粉塵の削減にどうつながるかに関して質問を行い、張氏からの応答がなされた。
第2報告は、石井敦「北朝鮮と地球温暖化問題:日本とのCDMを実施するための予備的考察」であった。石井氏は、東アジア地域の緊張緩和をも視野に入れた国際環境協力のあり方を探る一環として、日本と北朝鮮の間でのCDMを位置づけるべきとした。そして、北朝鮮の政策的プライオリティや環境法のあり方を踏まえてCDM実施の条件を考察し、CDM実施前に踏まねばならない様々なステップがあるが、それも含めて日本が援助することを検討すべきとした。参照例として、アメリカのノーチラス研究所が北朝鮮で実施した風力発電プロジェクトが紹介された。
石井報告に対して、大村プロジェクトのメンバーである高橋礼二郎氏が、(1)北朝鮮との関係ではどのようなタイムスパンでCDMを考えているか、(2)山西省でのCDM調査は対象企業の状態がわからないとベースラインがつくれないため苦労したが、北朝鮮との間でそうした企業調査ができるかという質問があり、石井氏からの応答がなされた。
第3報告は、寺尾忠能「産業公害対策における『日本の経験』と途上国の経済開発」であった。寺尾氏は「日本の経験」をめぐっては、日本の公害対策の遅れという失敗を強調する立場と、公害対策開始後の成功をとらえて政策モデルとする立場とがあるが、いずれにせよ途上国への国際協力につなげるには開発論の視点が必要になるとする。そして自らの仮説として、日本においては産業政策に基づく産業化の追求が汚染対策の遅れを招いたこと、しかし、産業政策の枠組みと手段を応用した産業公害対策が、一定の有効性を示したこと、その一方で、資金と技術の集中的な投入による対策に終始し、環境アセスメントや国土利用計画への市民参加などの制度的革新をあまり生まなかったことなどを強調した。
寺尾報告に対して、相川泰氏が、(1)すでに問題が深刻になっている途上国に何をどう伝えるのか、(2)日本の公害の全貌を把握することもできていないのに、これからどうするという議論に行くのはよいのか、(3)韓国や台湾の経験との比較研究が有用ではないか、(4)日本の経験を伝えることが、日本の問題解決にとっても有用であるという視点が必要、というコメントを行った。寺尾氏は相川氏の問題意識に同意するとした上で、応答した。
続いて全体討論が行われ、北朝鮮の公害の原因、山西省の環境改善に対する評価、中国の環境政策の特徴、公害防止管理者制度の海外での適用可能性、公害問題と環境問題の関係などをめぐって活発な討論が行われた。
議論を深めるにつれて、環境と開発を論じる道すじがいくつか見えてきたように思う。参加者は約30名であった。
新入会員自己紹介(順不動)
Sharp-Nosed Windmaster
安部 雅人(東北大学大学院農学研究科資源環境経済学専攻 資源政策分野 博士課程後期)
夏目漱石は,小説『三四郎』(明治四十一年)の中で上京する三四郎に人間として目の覚めるようなことばを投げかけている。三四郎が「是から日本も段々発展するでせう」というと,中年の男は「亡びるね」といってにやにや笑っている。三四郎は,その時「熊本でこんなことを口に出せば,すぐ擲(な)ぐられる。わるくすると国賊取扱にされる」と思うが,男はさらに「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より…」「日本より頭の中の方が広いでせう」「囚(とら)はれちゃ駄目だ」といってのける。漱石は三四郎を閉鎖的な熊本から広い頭の中へ見事に連れ出して青春の彷徨(ほうこう)をさせている。
私自身においても,三四郎と同じように今,何を頭にデザインするかが問われている。
私の研究手法としては,既存の学問的枠組み(パラダイム)にとらわれずに,広い視点,グローバルなものの見方を持ちながら研究を進める姿勢を持ち,理論的アプローチを行う際は,多角的・総合的な分析方法を心がけている。
具体的な研究対象としては,冷戦後,「経済のグロ-バル化」の進展により,世界各地において更なる採掘が進められている石油・天然ガス等のエネルギー資源開発全般を対象としている。
周知のとおり,石油・天然ガス等のエネルギー資源については,「国際戦略物質」として捉えられており,覇権システムにおける「パワー・ゲーム」に基づく概念を基に国家間の対立軸を中心とした国家利益の確保の観点から論じられる傾向にあった。
残念なから,こうした「パワー・ゲーム」的理解においては,政治的論議が先行するあまり,エネルギー資源開発を進めていく上でのメカニズムを軽視し,開発を巡る周辺諸国,その他関係諸国,そして開発企業等,それぞれの特性と主体性を無視してきた帰来がある。しかし,実際,エネルギー資源開発に係る課題は,「パワー・ゲーム」よりも相互の経済発展を目指し地理的特性を踏まえながら,地域協調を図る方策が必要なのではないかと考える。
そうした観点から,
私は,エネルギー資源の開発形態について猪口邦子の唱えたポスト覇権システムにおける「国際コンソーシアムによる統治」即ち「パックス・コンソルティス(Pax
Consortis)」の概念を適合させることに注目している。つまり,エネルギー資源開発については,関係諸国及び国際機関,そしてメジャー・商社が集結した国際コンソーシアムを形成し,地域協調等による協力体制を築く必要があることから,国際コンソーシアムを中心とした水平的ネットワークの構造を持つ新しい形のエネルギー資源開発のあり方について着目するものである。
このようにエネルギー資源開発と地域協調のあり方についての新たなパラダイムの展開を試みながら,本学会において“Sharp-Nosed Windmaster”(鼻のきく風使い)としての役割を果たしていきたいと考えている。
ご挨拶 伊藤 博(東京海上日動火災保険株式会社)
この度は、アジア政経学会に入会させていただき、有難うございます。私は、今後、「中国保険史」並びに「中国の改革開放政策」について、研究を深めたいと念願しております。
1978年に東京海上へ入社以来、ほぼ一貫して、中国業務に携わってきました。その間、中国保険業界の方々と広く接触する機会があり、中国の保険事情について、学ぶことができました。これを基礎に、中国保険史を更に深く調査・研究したいと考えております。また、私が入社した1978年は、まさに改革開放政策が開始されようとした年であり、私の会社生活は、改革開放政策の推進期間と重なっております。この25年余りの間に、展開された改革開放政策の内容を分析し、その意味を明らかにしたいと存じます。
上記2テーマについて、特に「中国の改革開放政策」に関しては、多くの先達がおいでになりますので、その方々に教えを請いながら、研鑽を重ねたいと希望しております。よろしくご指導いただければ幸甚です。
ご挨拶 加納 寛(愛知大学・国際コミュニケーション学部)
はじめまして。このたび入会させていただきました加納と申します。主にタイ文化史を中心に研究してまいりましたが、最近はタイ政府の文化政策展開の研究に関心をもっております。今後ともよろしくお願い申し上げます。
産業研究と開発経済 川端 望(東北大学大学院経済学研究科)
この度、入会させていただいた川端と申します。専門は産業論で、ここ数年は東南アジアを含む東アジアの鉄鋼業を研究しております。ベトナムや中国山西省の鉄鋼業と出会って、現代産業論に開発経済の視点をとりいれる必要を痛感いたしました。本学会で勉強させていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。
ご挨拶 呉 茂松 (慶應義塾大学法学研究科博士後期課程)
私は主に改革・開放以後の中国における社会と国家の関係について関心を持っており、研究においては「自律的な社会による国家への浸透プロセス」を主題と、運動と組織の観点から社会運動に着目しています。とりわけ90年代以後、中国国内において国民の権益意識の覚醒のシンボルとして様々な領域で用いられている「維権」(中国語の『維護権利』という言葉の略語であり、権利を守るという意味でよく使われるが、他のものに頼らず自分の権利を自ら守るという意味で強い自主性を持つ言葉である)というキーワードに注目し、国民の「維権」をめぐる様々な分野の運動を取り上げ、分析を試みていきたいと思っております。自分の既往の研究の見直しと、今後の研究方法の模索に関して、会員の皆さんとの交流から学び、研究を深めて行きたいと思っております。
ご指導ご鞭撻のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます。
タイの政治・社会運動 高橋 勝幸(早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士課程)
私は修士論文で、タイのヴェトナム反戦運動について書き、現在、朝鮮戦争期
のタイの平和運動について、博士論文を執筆中です。タイの政治・社会運動に関心があ
ります。文献やインタビューを通して資料を収集するのは好きなのですが、どうもどの
ように調理したらよいのか、分析が不得手です。どうかよろしくご指導のほどお願い申
し上げます。
ご挨拶 張雲(早稲田大学アジア太平洋研究科国際関係専攻博士後期課程)
この度、立教大学の高原明生教授のご紹介で、アジア政経学会に入会させていただき、大変嬉しく思っております。私は、北京大学と早稲田大学との博士共同育成プログラムに参加し、2003年に日本にやって来ました。今、早稲田大学アジア太平洋研究科国際関係専攻博士後期課程二年です。研究テーマは東アジア地域統合とinstitution
buildingです。皆様のご指導とのほどよろしくお願いいたします。
ご挨拶 中井 明(南開大学歴史学院博士課程)
現在中国成立前後の農村史、現代中国人の思考様式を考察することを問題関心としています。 日本にいた時は中国の事象を中国人の思考やこだわりを理解せず、一方的に解釈していたことに気付きました。中国で思考することによってそれまでの自分のものの見方や関心そのものが対象化され、そこから抜け出したことが大きな収穫な気がします。
今後とも有意義に研究を進めたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。
ご挨拶にかえて 平川 幸子(早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士後期課程)
大学卒業後、約10年の社会人生活を経て、米国の大学院で国際関係学の勉強を始めました。修士を取得後もあれこれの事情で学業への復帰が遅れて、気がつけばオバサン学生になってしまいましたが、長生きしてコツコツと努力を続けていきたいと思います。博士論文では、戦後の中台問題に対する国際社会の対応の変遷をテーマに構想を練っています。今日、標準的なのは、北京を「一つの中国」として国家承認し、台湾とは国交を持たないまま経済文化関係を構築する方式です。冷戦開始時から存在した、中国分裂問題への様々な国際社会の対応が、どのような過程を経てこの方式(実は「日本方式」と呼んでいるのですが)に収斂され一般化されていったのかを考察したいと思います。学会活動を通して、幅広く多くの方々から刺激を受け、学べることを楽しみにしています。よろしくお願いいたします。
<後記>
☆編集子は、東アジアのある島を研究対象地域にしていますが、その歴史の研究から現状分析に関心を移してから、気がつけば四半世紀が経過し、当時「現状」だと思っていたことが歴史になりはじめています。いったいあの頃自分は何を見つめていたのか、「現状」の中に歴史が、方向が見えていたのか、研究対象と自分とが巻き込まれていた時代の波とはいったいどんな形をしていたのか、思うことしきりの昨今です。
☆編集子が担当するニュースレターはこれが最後となります。大会参加記をメインとして編集してきましたが、小うるさい執筆依頼と催促にお応えいただいた会員諸氏に感謝いたします。ありがとうございました。 (W)
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