《ニューズレター21号》

学会ニュース

☆ 学会業務新体制決まる:去る2004年1月24日開催の常務理事会にて、新規の業務体制次のように決まりました。理事長=末廣昭(東京大学)/理事長補佐=高原明生(立教大学);総務=丸川知雄(東京大学);研究=【東日本】国分良成(慶応義塾大学)/【西日本】加藤弘之(神戸大学)/【東北地区】米倉等(東北大学)/【中京地区】田中恭子(南山大学)/【中国地区】今岡日出紀(島根県立大学)/【九州地区】我部政明(琉球大学);編集=金子芳樹(獨協大学)/機関誌広告担当=加藤弘之(神戸大学);広報=若林正丈(東京大学);国際交流=【東日本】藤原帰一(東京大学)/【西日本】白石隆(京都大学);財務=深川由紀子(東京大学);監事=後藤乾一 (早稲田大学);ン余照彦(國學院大學)。

☆ 第二回の学会優秀論文賞選考委員会は、次の6名の会員にお願いすることになりました。上原一慶(委員長、京都大学)、小此木政夫(慶応義塾大学)、絵所秀紀(法政大学)および業務任命として理事長末廣昭、編集担当理事金子芳樹、東日本研究担当理事国分良成。

☆ 新たに、本学会の評議員制度、規約、事務局体制の見直しのため制度改革委員会設置が決定し、他学会で同様の経験のある次の4名の会員にお願いすることとなりました。天児慧(委員長、早稲田大学)、石井明(東京大学)、田中明彦(東京大学)、山影進(東京大学)。

☆ 『アジア研究』の新しい編集体制が次のように決定しました。金子芳樹氏(獨協大学)が編集責任者、佐藤幸人氏(アジア経済研究所)が副責任者(書評担当)となります。新体制では、書評専門委員を若手会員多数に依頼する方針です。

☆ 学会事務について、NGOへの業務委託が検討されています。

☆ 2004年度の東日本大会は、来る5月29日に城西国際大学で、西日本大会は6月26-27日に南山大学で開催されます。これらに関連する会員へのアナウンスは、当面学会ホームページにご注意下さい。

2004年度全国大会東北大学(10月30-31日)の開催となることが決定しました。
 


全国大会開かる
☆ 本学会2003年度全国大会は、去る11月8日、9日の両日、東京・一橋記念講堂総合学術センターにおいて、学会創立50周年記念大会をかねて開催され、盛会のうちに終了した。例によて会員による参加記を特集した。執筆いただいた会員諸氏に謝意を表する。なお、事情により一部分科会の参加記を得ることができなかったことをお詫びする。

自由論題(11月8日午前)
分科会1 台湾の産業発展
 この分科会では台湾の製造業に関する報告が3つ揃い、自由論題にもかかわらず、凝集性の高いセッションになった。
 陳正達会員の「1980年代の台湾産業秩序政策について―石油化学工業の自己完結体系の形成を中心に―」は、石油化学産業の発展、特に一貫生産体制の形成において、政府の「産業秩序政策」すなわち国内市場の保護や価格の統制が果たした役割を検討した。台湾における製品価格と国際価格との比較から、ポリエチレンでは政策の効果が認められるが、スチレン・モノマーでは有効ではなかったとしている。赤羽淳会員の「台湾TFT-LCD産業―発展の系譜―」は、TFT-LCD産業の目覚しい発展の要因を探り、日本企業が重要な役割を果たすいっぽう、政府の役割は副次的なものにとどまったことを明らかにした。日本企業側の考えや行動も分析している。中原裕美子会員の「台湾のパソコン産業のOEM・ODM」はパソコン産業の発展過程を、1990年代半ばを分岐点としながら概観した。分岐点以前には台湾企業はOEM・ODMの利点を教授したのに対し、以後はOEM・ODMへの依存が困難をもたらしていると指摘した。
 報告後、参加者から多数のコメントが提出された。陳報告に対する主なコメントは、報告の焦点が必ずしも明確ではない、石油化学産業の中で公営企業が大きな比重を占めることは産業秩序政策に対してどのような意味を持ったのか、国際比較が必要である等々である。赤羽報告に対しては、繊維のような他の産業がたどった過程とTFT-LCDとの違いを明確にしてほしい、先行する韓国から見ると台湾企業の自信の由来が知りたい、技術の消化・吸収についても論及すべき等のコメントが出された。中原報告に対しては、台湾と台湾企業の区別が十分になされていない、一般的な資料が使われていることが多いが、パソコン産業に当てはまるのかという指摘や、次の産業は何かという問いがあった。また、赤羽報告と中原報告を並べ、前者の楽観、後者の悲観という違いはどう理解したらいいのかという問題が出された。
 最後に筆者自身の感想を述べると、今回の3報告は産業レベルでの研究が進み、分析の精緻化していることを示す。特に陳報告の石油化学製品間の比較、赤羽報告の半導体との比較には、分析のさらなる発展の可能性を覚える。それと同時に、よりマクロな議論への統合についても議論を深めていく必要があると感じた。(佐藤幸人)

分科会2:アジアの国際関係
 アジアの国際関係をめぐる本分科会では、3本の報告が行われた。三船恵美「中ソ対立期における中国核開発をめぐる米国の戦略―1961年から1964年における4型の米中関係からの分析視角」、勝間田弘「なぜアジアの安全保障協力はインフォーマルなのか―国際規範と地域の外交」、小林良樹「中国における対日感情の研究―世論調査結果及び背景事情の分析」である。
 三船報告は、中国核開発の前夜である1963年を中心に、これを阻止しようとする米国の政策が、じつは「中ソ関係を修復させない」という点を最優先事項にしていたことを立証した。立論に当たっては、1.米中印関係、2.米中ソ関係、3.米中台関係、4.米中2国間関係をそれぞれ分析することによって、米国の政策を浮き彫りにした。また資料は、90年代後半以降に発表されたFRUSを中心とした米国政府文書を大量に用い、緻密に分析している。本来ならば中国側の反応・観点がどのようなものであったかとの点にも興味が惹かれるが、中国側の資料が発表されていない現状では、米国側資料を中心としたのは正統な手法であると言えよう。質問も米国側の政策・観点に集中した。
 勝間田報告は、アセアン地域フォーラム(ARF)の安全保障協力がインフォーマルな形をとっていることに着目し、なぜこのような形をとっているのか、またとれるのかという点を解明しようとした。この点については、リアリズム、ネオリベラリズムの視点では理解不能であり、コンストラクティヴィズムの観点で分析を行うべきであると主張する。この結果、本来、アジアには外来のものであった安保協力の規範を、独自の外交規範に則した形で理解し実践したことによっているためと指摘している。野心的な分析を試みていて興味深い報告であるが、ここで述べられている「アセアン流」外交の内容がもう少し具体的かつ説得的になると好ましい。
 小林報告は、複雑でデリケートな中国の対日感情を分析し、「中国における対日感情が芳しくない背景の一つとして、相互の人的交流の『量』が十分でないことがある」との仮説を立ててその検証を試みた。結論としては、日本への親近感向上のためには、人口比で1〜1.5%程度の来日者数が必要であるとの数値を出している。人口の少ない香港やシンガポールと中国を単純に比較するなどの問題点などが指摘されたが、日中関係における既成の先入観を排し、過去に実施された各種の世論調査結果などに基づき、「中国における対日感情」の実態を可能な限り客観的に把握しようとした点が本報告の特徴であろう。
 本分科会の3つの報告は、テーマはそれぞれに異なっていたものの、いずれも意欲的な研究姿勢を示す報告であった。   (滝口太郎)

分科会3 中国現代史
 本分科会は中国現代史を統一テーマとし、政治・社会・経済・環境の多様な分野から報告が行われた。
 1.高橋祐三「中国共産党の民主諸党派政策の変遷−国家建設と政党政治」は、中国共産党が国民政党への脱皮をめざす今日の地平から、中国の民主諸党派の歴史的役割を考察し、さらには将来展望にまで踏み込んだ研究である。主な論点は、1)民主諸党派の「独立性」と共産党の「指導」の間で相克があった、2)文革までの民主諸党派攻撃の背景、3)「三つの代表」論の下で民主諸党派の勢力も拡大していくと予想される、からなる。会場からは、a.在外華僑とのつながりが深い致公党の将来をどう予測するか、b.提案権を持つだけの政治協商会議にしか参加していない民主諸党派が政党政治を担えるか、c.将来的に上下院の二院制に発展する可能性ありや、などの質問が出された。
 2.横山政子「公共食堂運営からみた人民公社化過程における生産組織と家族−大躍進期黒竜江省を中心に」は、1957年末から1961年にかけて全国に広がった人民公社の公共食堂について、その政策と実態を丹念に調べた研究である。主な論点は、1)全国の公共食堂運営には地域差がある、2)黒竜江省の公共食堂は農繁期における集団労働力の参加のみに留まった、3)公共食堂の普及率が低く、各家庭の備蓄食糧が比較的多かったことが死亡率の低さにつながった、からなる。会場からは、a.生産組織と家族との関係をどうみるか、b.生産力面の実態はどうか、c.広東省・福建省と黒竜江省との最も大きな違いは何か、などの質問が出された。
 3.峰毅「満州化学工業の開発と新中国への継承」は、人民中国の化学工業の発展に対して、旧満州で開発された化学工業がどの程度貢献したかについて、資料の乏しい中、戦後日本の化学メーカーの社史等を利用して調べた研究である。主な論点は、1)人民中国の化学工業の発展にとって、民国・満州・ソ連の技術のうち、満州からの継承が最も大きかった、2)旧満州におけるアンモニア、ソーダなどの開発には日本側にも複雑な事情があった、からなる。会場からは、a.硫安工場の建設にあたってマーケットをどこに求めたか、b.米国の中国研究と同じレベルで植民地政策を評価することにならないか、c.満州の工業が中国にもたらした負の遺産をどう考えるか、などの質問が出された。
 4.相川泰「中国の環境問題とそれに対する取り組み」は、中国における環境分野の情報公開が進んでいない状況の下で、中国の環境問題をめぐる具体的事例を多く紹介し、かつ環境NGOの役割を探った研究である。主な論点は、1)松花江の水俣病は1968年に顕在化し、1990年代になって国家レベルの政策課題になった、2)環境NGOが中国で力を付けてきたことによって、政府相手の訴訟に勝利したり、裁判費用を立て替えてもらったりすることが可能になった、からなる。会場からは、a.環境教育は進んでいるか、b.中国の企業は政府の取り組みや環境NGOに対してどういう立場をとっているか、c.ODAや国際NGOの役割をどう見るか、などの質問が出された。  (石原亨一)

分科会4 インドの労働市場と日本の外国人研修生
分科会4「インドの労働市場と日本の外国人研修生」では内容の濃い3つの報告がなされた。第1報告の清川雪彦・高橋塁「インド繰棉産業の発展と女子労働力の雇用−戦前農村工業としての意義−」では,インドの経済発展史における女子労働の重要性を指摘したうえで,当時最も女子雇用比率が高かったと思われる繰棉産業の考察が行われた。まず当時の繰棉工場における生産過程を綿密に調査し,センサス・データとの整合性を確認した後,同工場の女子雇用者比率を全国平均で52%と推計して仮説を裏付けた。また同比率はパンジャブでは低くハイデラバードでは高いなどの地域差が存在することも指摘された。さらに繰棉産業における女子雇用量の時系列推計が工場だけでなく手繰り有業者に対しても行われ,その結果1917年前後に前者が後者を上回ることを明らかにした。報告者はこの時期にインド繰棉産業の工場生産システムが確立されたと指摘した。一方で参加者からは,繰棉工場生産システムの確立は需要面からも考察されるべきではないか,また,地域差には文化的要因が考えられるのではないか等の質問・コメントが出された。
 第2報告の山田菜美子「農村における非農業就業−インド・ウッタルプラデーシュ州の事例より−」は,NSSデータを用いた就業構造分析である。近年の農村非農業就業者数の増加に着目し,個人属性との関係性が考察された。NSSで3分類されている農村非農業部門,すなわち賃金常雇,賃金臨時雇,自営業を被説明変数とし,説明変数に土地所有面積,教育水準等の個人属性を採り,プロビット・モデルによる回帰分析が行われた。結果,土地所有面積が大きく教育水準の高いものは賃金常雇あるいは自営業に就き,反対に小土地,低教育水準,かつSC/STに所属するものは賃金臨時雇に就く傾向があることが判明した。参加者からはより具体的な職種の分類や農地面積と非農業就業の逆相関についてさらなる考察を期待する等のコメントがなされた。
第3報告の曙光「不況下の外国人研修生流入を規定する諸要因」は,不況下の日本経済において外国人研修生制度が中小企業のための低賃金労働力供給源として利用されていることを回帰分析によって指摘し,中小企業の海外進出を促進するような政策が必要であるとした。
3報告とも興味深いトピックであり,用意された座席が不足するほどの盛況であった。
(岡 通太郎)

分科会5 中国経済の構造変化
座長 山本裕美(京都大学) 報告:楽君傑(関西学院大学経済学研究科院生)「中国沿海地域における農村既婚女性の就業行動に関する分析−浙江省岱山県の調査データに基づいて」/厳善平(桃山学院大学経済学部)「中国における地域間人口移動の動向と特徴−人口センサスの集計データの分析を中心に−」/胡秋陽(神戸大学経済学研究科院生)「中国の産業構造と貿易構造−日本との比較を中心に」/張艶(早稲田大学商学部)「高成長を維持しながら、どうして物価水準が低いのか−最近の中国経済について」

分科会6 東南アジアの行政・外交
自由論題分科会6
 
東南アジアの行政・外交は、青木裕子会員による「マレーシアの地方行政制度とごみ処理―クララルンプール市とペナン市の比較分析−」、塩谷さやか会員による「マレーシア外交におけるEAEG構想の意義−その発端から「ASEAN+3」への展開―」、美甘信吾会員による「フィリピン中央銀行改革の政治過程−1993年新中央銀行法の成立過程を中心に−」の3報告が行われた。
第1報告は、工業化と都市化の著しいマレーシアの2つの都市のごみ処理行政の比較であり、クアラルンプール市のごみ収集効率がペナン市と比べて劣ることを確認し、この差が生まれた要因として、ペナン市が歴史的に生み出してきた住民団体や環境NGOの役割が大きかったとの結論を導いた。報告に対して、ごみの定義、比較した2都市を選んだ理由、ごみ業者の内容などについて質問やコメントが出された。第2報告は、東アジアの地域主義の展開において、しばしばその起点とみなされるマレーシアのマハティール首相(当時)の提唱した東アジア経済グループ(EAEG)を外交的視点、関係者へのインタビューに依拠して検討した報告であった。EAEGがマハティールの「思いつき」であり、ASEAN+3をEAEGが発展したものとする見方は当たらないなどの総括がなされた。これに対して、当該研究の「思いつき」であるか否か、インタビューの対象者の選定問題、事実認識の確認などの質問やコメントが出された。第3報告は、フィリピン民主化後の政治体制・制度の中で中央銀行改革を分析したものである。フィリピンはIMF・世界銀行・米国の強い影響下にあり、そうした観点から論じられることの多い経済改革を国内の政治過程から分析が試みられた。政策エリートの決断、ラモス大統領の議会との協調関係、ラモス内閣のイニシアチブなどの要因が成功の要因として指摘された。これに対して、政策に関る多様なアクターの分析の必要性、ビジネス界の対応や影響についてのコメントがなされた。
若い会員の報告を集めた分科会でもあり、報告はそれぞれ意欲的であった。時に会場の椅子が足りなくなるなど、参加者の関心も高く、質問やコメントも好意的で、建設的であった。報告者の今後の研究の発展を期待したい。  (平川均)

分科会7 東南アジアの経済  
 東南アジアの経済をテーマとした3本の報告が行われた。いずれも貴重なデータにもとづいた研究であったが、活発な質疑応答があいまって、50周年記念大会にふさわしいセッションとなった。
第1報告は、奥田英信会員による「エージェンシー理論によるフィリピン企業の資本
構造の検討:企業属性を考慮した製造業企業の負債比率の推計」である。フィリピン製造業の資本構造に及ぼすガバナンス構造の影響を検証するため、負債比率を非説明変数とし、利潤率、資産規模、企業の種類、成長度を説明変数とする厳密な推計が行われ、外資系企業、上場企業、財閥系企業の負債依存度が低いという特徴が抽出された。さらに、市場で増資を行う際、上場企業が高収益を市場へのシグナルとする必要があるのと対照的に、財閥企業はその必要がないことも示唆された。ガバナンス構造を探る先端な報告に応じて、通貨危機後の企業の負債の低下は、資本市場が発展・整備されたためなのか、経営と所有の分離の程度によって銀行借入と株式発行の構成比率が定まるのではないのか、負債に関して企業間信用を重視すべきではないのかなどの質問が寄せられた。
 第2報告は、吉野文雄会員による「スハルト期インドネシアの財政」である。スハルト期の財政政策が経済発展に貢献したことに着目し、スハルトのとった開発独裁体制を評価する。すなわち、開発独裁のプラス面として、(1)短期間のうちに、所得税制の整備など直接税中心の税制を実現したこと。(2)防衛支出を抑制する一方、社会資本・人的資本の整備など民生部門の長期的な政策目標を実現したこと。(3)財政赤字を外国からの援助で埋め合わせるしくみを形成したことを挙げることができる。ただし、公正な資金配分が軽視されがちであったことだけでなく、インプレス補助金に代表されるように不透明な資金の流れが地方財政を歪めたことなどのマイナスの側面も指摘した。政治システムと経済システムの双方から開発独裁制に接近する意欲的な報告に対して、個人所得税率の低さが公平性に与える問題点と対策、また地方分権の実現可能性に関する質問があった。
 第3報告は、東会員の「タイの金型産業と競争力の強化−企業間取引の視角から」である。自動車のような高度な品質や機能を持つ製品の大量生産を可能にする条件は、金型製作技術の発展である。日系自動車メーカーのタイ工場で製造された新型セダンが日本で発売されることになったが、それほどまでにタイ金型企業の技術を高め得たのも、金型加工ではCNC工作機械が、また金型設計ではCAD/CAMの導入が、熟練労働の不足をカバーしたからである。しかし、今後、さらに製造工程の短縮化とコストの削減が求められ、複合金型の開発が急務となるだけに、組立メーカーとの企業間関係の再構築も必須である。タイ金型工業会との共同プロジェクトの調査結果を土台とする綿密な本報告に対し、金型企業間および成形メーカーとの提携の形態、日系企業とタイ企業の商慣行の差異、中国の金型企業との競合に関する質問が寄せられた。(岸 真清)

50周年記念国際シンポジウム(11月8日午後)
「2001年9月テロ事件以後、アジアはアメリカをどう見ているか?」
 本年度の全国大会の初日、2003年11月8日午後には、一ツ橋記念講堂において国際シンポジウムが開催された。アジア政経学会の誕生50周年を記念するにふさわしい、各国から豪華な論客を招いての大イベントであった。
 テーマとして設定されたのは、9・11テロ事件後のアジアの対米認識であった。とはいえ9・11以後を語るためには、それ以前との比較という視点が欠かせない。示し合わせたわけではないのであろうが、多くの論者は第二次世界大戦の前夜、または直後の各国とアメリカとの関係に議論の端緒を求めていた。アメリカという存在がアジアで特殊な地位を獲得していった歴史を回顧させる現象であった。
 報告では、まず五百旗頭真氏(神戸大学)が、各国において米国と関わった経験が異なるため、歴史的に形成された対米認識も異なるとした上で、日本は唯一アメリカと直接文明の衝突を経験しているが、占領期の経験が当初の予想に反して良好なものであったため、日本の対米認識がおおむねマイルドなものとして推移したことを論じた。対照的に近年大国化する中国では、政府レベルでは米国との良好な関係が模索されているが、世論のレベルでは米国の対外政策に批判的な意見が多いことが紹介された。
マレーシアのK.S. Jomo氏(マラヤ大学)は、9・11後に米国が西側世界を動員していく過程がハンチントンの「文明の衝突」を現実のものにしたと主張し、グローバライゼーションの過程で発生したこの事件によって、IMF、世界銀行、WTOをはじめとする国際的な経済ガバナンスのあり方にも米国の単独主義の影響が表れるようになったと指摘した。
パキスタンのMohammad Waseem氏(Quaed-i-Azam University)は、不安定な周辺情勢の中で誕生し、アメリカの友好と裏切りに翻弄されたパキスタンの対米感情を論じた。同時に、冷戦後の米国のイスラム世界に対する政策転換がイスラム教徒を急進化させ、イスラム世界とアメリカ、またイスラム世界内部における国家と社会の距離を広げているとした。
韓国の文正仁氏(延世大学)は、韓国において日本からの解放者・アメリカに対する感情は従来非常に良好であったが、経済成長にも関わらず韓国の対米的地位は向上していないという認識が生まれ、また修正主義による歴史の見直しも行われたために、近年特に若い世代の間で悪化していると主張した。
中国の査道炯氏(中国人民大学)は、現在の米中関係の基礎が冷戦期に締結された三つの声明にあることを指摘し、クリントン政権もブッシュ政権も、危機に乗じる形で二国間関係の安定をかろうじて保っている点は同じであるとした。さらに、今後二国間関係を安定化させていくためには、両国の学者と政策決定者が伝統的な戦略的思考から脱皮し、より社会に根ざしたアプローチを採用していくべきであると提言した。
以上アジア各国からの視点に対して、アメリカのJohn Ikenberry氏(Georgetown University)はまず、アメリカのアジア政策が冷戦後も安定的で一貫したものであることを強調した。また、このアジア政策は米国の世界戦略とリベラリズムが一体化したものであり、繁栄し安全なアジアが実現したことはその成功を裏付けるものだとした。9・11以後の一時期、ネオコンがワシントンの政策決定を席巻するかに見えたが、現在では米国は従来の軌道に復帰しつつあり、アメリカを中心とするアジアの安全保障構造にも当分変化は見られないであろうとした。
 議論は全体的にアジアからの論者がアメリカの政策や行動に注文をつける形となったが、興味深かったのはアジア側からもアメリカ社会に対してある種の信頼を寄せるコメントが相次いだ点である。例えば五百頭氏は、太平洋前夜の日米関係の例を引き、米国は「変化を内在する社会」であり、米国に対して言うべきことを主張したあとは、米国が自らそれを受け入れるときが来るのを待つべきだとした。また査氏も、正解や処方箋を提示してアメリカの行動を変えようとすれば米国に罰されるが、多様性に富みプラグマティックな米国社会は、自分たちの行動が間違っていると認識すればいずれそれを改めうると述べた。文氏が指摘したように、たとえ直接的に受け入れられなくとも、各国の知識人が米国の行動に異論を表明し続けることで、米国の知識人が9・11事件を乗り越えていくきっかけが生まれる可能性もある。
筆者の中で最後に印象に残った点がひとつある。アイケンベリー氏以外の各論者は、9・11事件以後、各国社会における対米認識が動揺あるいは悪化していることを多かれ少なかれ指摘していた。アメリカの対テロ戦争に政府のレベルで真っ向から反対する国はアジアにはなく、逆に9・11後は米国との関係が緊密化しているケースも多い。しかし社会のレベルでは対米感情は必ずしも良好になってはおらず、韓国のように特に若者の間で近年対米嫌悪感が広がっている国すらある。アジア各国社会にはこのような共通点が見られるものの、アジアの社会はひとつのコミュニティとして連帯しているわけではなく、アジアがアメリカに対して共通の声を上げることはほとんどない。本シンポジウムで演壇に上っていた参加者の多数がアメリカで教育を受け、英語を共通言語として用いていることに象徴的に示されるように、結局のところアジア内部の政治的・経済的・文化的関係は、それぞれ程度の差こそあれ、アメリカを中心として放射線状に結ばれている。言い換えれば、アジアはアメリカを通してその他のアジアと向かい合っているかのようだ。
議論の中ではアジアからの論者がアメリカ政府に多国間主義への回帰を強く求めていた。しかしそれがひとつの声として収斂し発言力を獲得していくほど、実際のアジアはヨーロッパと違ってひとつの社会として成熟していない。皮肉なことに、本シンポジウムでアジアにおけるコミュニティ形成の必要性を強く指摘し、その方法論を最も明確に提示していたのは、冷戦後の米国の対アジア政策を論じたアイケンベリー氏であったように思われる。このシンポジウムのようなアジア政経学会の活動が、将来的なアジアン・コミュニティ成熟のための一助となることを願ってやまない。(益尾知佐子)

共通論題(11月9日午前)
第一分科会:アジアの「民主体制」をどうみるか 
 1970年代中葉にギリシア、ポルトガル、スペインなどが相次いで民主化したのを皮切りに、いわゆる「民主化の第三の波」は80年代以降、中南米、アジア、旧ソ連・東欧、アフリカへと波及した。しかし、「民主化」という同じ言葉で括られてはいるが、民主化の移行(transition)過程、定着(consolidation)過程において、各国が直面する実態は様々である。
 本分科会では、既に民主化の移行段階を完了し、その定着過程にある韓国、台湾、インドネシアの実情につき、三人の会員より報告がなされた。
韓国において、民主化の移行過程は、1987年6月、学生および新中間層による反政府民主化要求運動の広がりを受け、与党の次期大統領候補であった盧泰愚が全斗煥大統領に対し8項目から成る「民主化宣言」を提出したことに始まる。同年末には初の大統領直接選挙が実施され、盧泰愚が当選した。続く金泳三大統領の下では、軍指導者の更迭、軍中核組織の破壊など政権の脱軍化がなされた。98年には与野党の交替も実現するなど、選挙を通じた平和的政権交代は既に定着したと考えられる。しかし、韓国の現状を見ると、それが必ずしも政治の安定をもたらしてはいない。小此木政夫会員によれば、その主たる要因は安定した政党システムの欠如にある。韓国政治は地域間の対立、階級対立、世代対立、対北朝鮮政策をめぐる対立等によって分断されおり、統合度の高い二大政党(自由主義勢力vs社会民主勢力)間の競争・政権交替モデルの構築が依然として困難な状況にある。また、盧武鉉大統領が金大中前大統領の政治基盤を受け継がず、新党結成に走ったことからも明らかなように、政党が有力指導者個人の「私党」と化す伝統も、政治勢力の離合集散と政治の不安定化をもたらす要因となっている。
台湾の民主化は、1986年の蒋経国総統による政治体制改革の決定に始まった。続く李登輝総統は、自ら主催した国是会議の結果に基づいて憲法改正作業を行い、1992年末には立法院の全面改選を、1996年3月には初の総統直接選挙を実現したのであった。2000年3月の総統選挙では野党民主進歩党の陳水扁が当選し、政権交代も行われた。これをもって台湾における民主化は既に定着の段階に入りつつあると言えるであろう。しかし、佐藤幸人会員によれば、今日台湾の人々の民主主義に対する評価は低い。その背景には、少数与党である陳水扁政権が、経験不足により、不良債権処理を初めとする政策課題について十分な政治運営能力を発揮できない現状への幻滅があるという。権威主義体制の失効より生じた「制度の空白」を埋めるべく、自律的な諸制度の拡充が求められている。
インドネシアでは、アジア金融危機に端を発した反政府運動により、1998年5月にスハルト大統領が辞任し、独裁体制に幕が下ろされた。後任のハビビ政権時代には、大統領職の任期制導入、議会の独立、地方分権等、権力の分散が進められ、既に強権政治体制の復活は非現実的なものとなった。1999年6月の総選挙ではインドネシア闘争民主党が第一党になり、2001年8月には同党党首のメガワティが大統領に就任した。しかし、白石隆会員によれば、インドネシアの人々の過半数が民主主義の実施状況に不満を持ち、スハルト時代へのノスタルジアも高まりつつある。その原因は、経済の低迷に対する政府の無策にある。闘争民主党、ゴルカル、イスラム諸政党の力が拮抗する中で、中央政府は2004年の大統領選挙後もしばらくは漂流することが予想される。
三報告に対し、広瀬崇子会員(本分科会コメンテーター)からは、インドとの対立という安全保障上の問題を抱えているがために軍の地位が維持され、民主化の移行が妨げられているパキスタンの事例が紹介され、民主化の移行・定着を考える際に対外的な要因を勘案する必要があるとの視点が示された。同様の視点はフロアからも提起され、報告者との間で質疑応答が行われた。
今日、政治の正当性根拠が民主化にあるという点については、広くコンセンサスが存在する。若林正丈会員が指摘したように、民主化によって成し遂げられるべき目標への期待が常に存在するのも事実である。しかし他方で、民主化移行後の制度形成の過程で直面する様々な問題が、人々の間に民主主義への失望感を生み出している実態もある。藤原帰一会員(本分科会コメンテーター)が指摘したように、我々は民主化のもたらす@参加と効率のジレンマ、A分配と成長のジレンマ、B分権と統合のジレンマ、C連続性と断絶のジレンマがどのように存在し、どのように解決されようとしつつあるのかという観点から、「現存民主主義」について議論を深めてゆかなければならないであろう。武田康裕氏によれば、民主化の定着段階は、「制度としての民主主義」から再び「理念としての民主主義」に接近する過程である(『民主化の比較政治―東アジア諸国の体制変動過程』ミネルヴァ書房、2001年)。「現存民主主義」の研究は、まさに「制度としての民主主義」と「理念としての民主主義」の間隙を埋める遠大な作業の一環なのである。                      (小嶋 華津子)

第二分科会:『地域協力』の政治経済学
 WTO(世界貿易機関)による多角的交渉を通じての貿易・投資の自由化は、シアトル会議、カンクン会議の失敗にみられるごとく、明らかにいきづまっている。これに代わってFTA(自由貿易協定)がにわかに活発化しつつあり、すでの世界には150を超えるFTAが存在するという。あの激甚なアジア経済危機を克服する過程で、東アジアは、各国の実体面ならびに金融面での相互依存関係を深めながら危機への新しい対処のノウハウを蓄積してきた。東アジアにおいて経済統合を実現しようという気運はこのところかつてなく強い。「『地域協力』の政治経済学」が本大会の共通論題の1つに選ばれたことの意義は大きい。報告者3名の問題提起に2人のコメンテーターが真摯に応じ、これに促されフロアーからの意見表明が相次ぎ会場は熱気に包まれた。
 浦田秀次郎氏による「活発化するアジアにおけるFTAの動き」では、現在の世界経済においてはグロバリゼーションと並んでリージョナリゼーションが同時進行していること、東アジアにおいてもリージョナリゼーションが相当の速度で進展していること、その内実が「市場誘導型」から「制度誘導型」へと変じつつあること、東アジアFTAのもたらす経済的効果はポジティブであること、それゆえFTA実現の過程に横たわる諸障害を排除するための努力が一段と強く要求されること、が理路整然と説かれた。
 河合正弘氏の報告「『アジア通貨基金』の政治経済学」は、日本政府によって提示されたAMFはアメリカや中国による反対に会って陽の目をみることはなかったものの、その後の東アジア通貨・金融協力の推進の契機となったことを力を込めて語って、参加者の共感を誘った。東アジア域内では貿易・投資を通じて相互依存関係が強化されているのみならず、金融・資金フロー面での相互依存性、さらにはマクロ経済的な相互依存性が次第に強まっており、東アジアがこれら相互依存のもたらす「外部性」を「内部化」するためには、地域協力が不可欠であること、アジア危機の域内汚染(コンテイジョン)の規模と範囲の大きさに鑑み、これを回避するためにも地域協力がきわめて大きな重要性をもつという認識を表明した。
 清水一史氏による「ASEANの域内協力−その課題と展望」は、1967年に設立されて以来のASEANの立ち居振る舞いをみごとに整理したものであった。当初、政治的協力体として出発したASEANが「集団的輸入代替重化学工業戦略」を採用し、その失敗を受けて「集団的外資依存輸出指向工業化」に転じ、これが成功するかにみえたものの、1997年の危機により再々度の戦略変更を迫られていることを論じた。中国の高成長とそのプレゼンスの拡大、ASEAN・NIESのポジションの相対的低下、日本の低迷、アメリカの東アジアへの関心低下、WTOによる自由化の停滞とFTAへの関心の増大といった複雑な環境条件変化の中で、もう一度新しい戦略を構築しなければならなくなったASEANの苦渋を真剣に伝えた報告であった。
 この2つの報告について、須藤季夫氏、伊藤剛氏の2人による核心を衝くコメントがあり、これに促されて参加者から多くの意見表明がなされた。コメントならびにこれに対する報告者の対応は多岐に及んでいて記し切れない。これらを総合する形で座長である渡辺が次の2つの問題をまとめて、これを今後一層追究さるべきテーマとして会場に投げかけ閉会となった。
第1は、東アジアは実体経済の統合度を短期間に急速に高めた。FTA実現のための最大の条件であるデ・ファクトの「統合」はすでに現実のものとなっているといっていい。実際、ASEAN+NIES+中国+日本を東アジアとすれば、2001年のその域内貿易依存度は51%であり、NAFTA(北米自由貿易地域)の46%を超え、EU(欧州連合)の62%に迫る。海外直接投資においても東アジア最大の投資国はまずはNIES、次いで日本であり、投資資金供給者も「域内化」している。問題は、それにもかかわらず、貿易や投資がドルでなされ、各国の外貨準備に占めるドルの比率がなお圧倒的に高いことにある。アジア危機とはドルとアジア通貨との価値関係が一挙に崩れ生じたものである。東アジアが通貨・金融をいかに「域内化」できるかが、地域統合を論じる場合の最大の焦点でなければならない。
 第2は、日中関係である。東アジア統合の軸になるのは日本と中国であろう。2001年の東アジアの域内貿易依存度は、先に指摘したように50%を超えた。これに占める日本と中国の比率は、それぞれ20・4%、20・1%、両者で40%を凌駕する。ASEAN+3といっても、現実には日中FTAがコアにならなければ成立しない。日中のFTA対応の寛容性いかんがFTA制度枠形成の成否の鍵を握る。中国経済脅威論の「神話」を終息させねばなるまい。東アジアを舞台に効率的にして調和的なFTAをいかにして実現し得るか、日中「協働」のリーダーシップのありようが問われている。(渡辺利夫)
 
第三分科会 Innovative East Asia と情報革命
 第3分科会では、アジアのIT革命を全般的にとらえるために、中国・東アジアとインドにまたがる報告が行われた。まず日本総合研究所IT政策研究センターの大木登志枝氏から「東アジアにおけるIT化の現状と展望」と題する報告が行われた。大木氏は、韓国からインドに至る各国におけるインターネット普及率、ブロードバンド普及率、電話普及率などIT化の現状を様々な指標から紹介し、eビジネスへの準備状況や電子行政サービスなどではNIESが日本より先を行っていることを指摘した。続いて、ITの経済効果に関するいくつかの比較研究を紹介し、アジアではとかくIT製品製造業に注目されがちだが、特に先進国の比較研究から、ITの生産性に対する効果を引き出す上で、IT供給産業の存在は必ずしも必要ではなく、むしろITの効果的利用を図ることの方が重要であることを指摘した。今後、アジアでの効果的なIT化の推進のために、日本は九州・沖縄サミットで約束した国際的な情報格差問題の解決に向けた150億ドルの公的資金協力を実施すべきである、と締めくくった。
 アジア経済研究所の佐々木智弘氏からは「中国の電気通信と政府規制」と題する報告が行われた。佐々木氏は、中国の電気通信が政府の郵電総局による独占から、他の通信キャリアの参入が認められ、現在の6社体制に至る過程を跡づけた。第2の通信キャリアである聯通が参入してからもしばらくは従来の通信キャリアの独占の牙城はなかなか揺らがなかったが、政府自身の機構再編もあり、2002年には固定電話2社、携帯電話2社という競争的な枠組みができあがった。さらに、近年始まっているのが携帯電話とPHSの競争である。成長著しい携帯電話には政府は2社の参入しか認めていないが、固定電話会社2社が成長の恩恵に浴するために、「固定電話の延長」という名目のもとに運営を始めたのがPHSであった。この事例は、競争を一定の枠内に制限しようとする政府の規制が企業によって「迂回」され、結局は政府の期待以上に競争的になるプロセスを示している。
 国際基督教大学の近藤正規氏からは「インドのIT革命」と題する報告が行われた。近藤氏は、インドのITというのは東アジアのITとは違ってかなり分野が限定されており、もっぱらソフトウェアの企業向けサービスであると指摘した。しかし分野は狭くても、その分野では年100億ドルの外貨を稼ぐなど非常に成功している。成功の要因としては、数学に強いインド人の資質があった。政府の役割については、IT産業が伸びてきてからIT省ができたことが示すように、政策がIT産業を産み出したわけではないが、政府が理工系教育を奨励したことは効果的であった。また、インドの企業向けサービスはアメリカ向け輸出が6割以上であるが、それはシリコンバレーで多くのインド人が働いていたこと、そしてアメリカとの半日の時差があるため、アメリカが休んでいる間に下請的な仕事をするのに便利なこともある。インドのソフト輸出に占める対日輸出の割合は3%ほどで、日本との結びつきはまだ弱い。一つは日本語がインド企業参入に対する壁になっていること、また契約を重視するアメリカやインドと、ソフト会社を下請けのように使いたい日本企業のビジネス文化とのズレも日印間のビジネスが拡大しない理由の一つである。そのためインド企業は日本では主に外資系企業を中心にビジネスを行っている。
 コメンテーターの東京国際大学・橋田坦氏は、IT産業発展の要件として外資の導入や産学連携、規制(緩和)、市場開放、政府の支援、クラスターの形成などが重要であると指摘した。そして中国のIT発展戦略、特にクラスター形成戦略を紹介した。
 コメンテーターの甲南大学・マノジュ・シュレスタ氏からは人材育成、多国籍企業の役割、経済自由化の3点が、どの国のIT発展においても重要であると指摘した。インドのIT革命についても、教育への投資、そして大学からのスピンオフ、TIなど多国籍企業の進出、そして自由化が重要な役割を果たしたことに着目すべきであり、インド人の資質だけに成功要因を求めるべきではないと指摘した。
 アジア全体のIT革命を取り上げるという、範囲の広すぎる課題設定であったため、報告とコメントによってほぼ時間がつきてしまい、討論の時間がなかったことが惜しまれた。
 全体を通して、アジア各国がIT革命に関わる様相はかなり多様であることがわかった。従って、IT革命の効果は生産性の向上というだけにとどまるものではなく、国によっては労働集約的産業への就業拡大、国のイメージの改善、輸出に外貨獲得など多様なものがありうる。                              (丸川知雄)

第四分科会:アジア農業問題の50年とWTO」分科会
 50回記念大会にちなみ、アジア農業の50年を総括すべく、専門地域の異なる5人の報告者・コメンテータよりなる農業部会が企画された。
 はじめに司会者(田島)より、WTO交渉におけるアジア間対立、および韓中・日中二国間の貿易摩擦を例に、アジアにおける農業問題の構図が概括された。ついで問題の切り口として、速水佑次郎・神門善久による三段階説(低所得国の食料問題→中所得国の貧困問題→先進国の農業調整問題)、および戦後アジア農業の出発点となった東アジアの農地改革、それらを反共革命として主導したラデジンスキー(GHQのちに世界銀行)の戦後構想が示され、経済のみならず政治分野からの発言も期待されるとの趣旨説明があった。
 最初に倉持和雄会員(横浜市立大学)より「韓国農業50年:農地改革、緑の革命とその後」と題し、農地改革による自作農主義が、韓国に特有な労働市場の性格から自小作前進的に変容する状況について、緑の革命や農業保護、それにWTO交渉とも関連づけつつ報告された。かかる問題の構造は、程度の差こそあれ戦後農地改革から出発した日本や台湾などと共通する。
 二番目に池上彰英会員(明治大学)より「中国農業25年:改革・開放後における農業問題の転換と農業政策の変動」と題し、規制緩和と制度改革による農業発展の状況、需給緩和下の所得格差問題・構造調整問題の併存状況が報告された。中国は現状の東アジア農業を反面教師として、困難ではあるが独自の農業調整政策に取り組みつつあるようだ。
 三番目に菊池真夫会員(千葉大学)より「熱帯アジア稲作農業の50年−緑の革命とその後−」と題し、とくにレスター・ブラウン説を明示的な批判の対象としつつ、緑の革命以降アジアの米需給が継続的に緩和している状況について、統計数字と現地調査にもとづく報告が行われた。そして発展の成果を維持しつつ、規制緩和を通じ構造調整をはかる道筋が提起された。
 コメンテータを依頼した岩本純明氏(非会員・東京大学)からは、戦後日本農業の展開に即し、非穀作部門と対照しつつ土地利用型農業における構造調整の遅れが論じられ、零細分散錯圃を初期条件とする農業調整の困難性と土地政策における主体性の問題が指摘された。また藤田幸一会員(京都大学)からは、南アジア農業の現状を踏まえ、為替変動など非農業的要因の影響および構造調整の長期的性格等について指摘があった。
 フロアからは、日本の場合すでに実質的に農業調整は終了したのではないかとの議論が提起される一方、市場による調整のみならず、環境維持機能や食の安全確保など農業に特有な事情を踏まえた政策論が必要ではないかとの議論が出され、時間を大幅に超過して活発な討論がたたかわされた。(田島俊雄)

50周年記念シンポジウム
 50周年シンポジウムは、名誉会員の衞藤瀋吉先生による開会の辞に続いて、名誉会員の石川滋先生と松本三郎先生の記念講演が行われた。石川先生は、ご自身の経済研究の歩みを振り返り、中国経済研究とその経験を生かしたベトナムへの取り組みを中心に話をされた。80歳を超えてなお学問の最前線で活躍されておられる先生の、たいへんは迫力あるご講演だった。松本先生は、アジア政経学会の発展過程を、ご自身の学会との関わりを含めて、丁寧にたどる話をされた。学会の結成の趣旨から今日的な課題にいたるまで、非常に目配りのきいたご講演だった。
 ついでシンポジウムでは、渡辺利夫・北原敦・天児慧3先生による、アジア研究の今後の課題を論ずるパネル討論が行われた。渡辺先生は、経済発展論の立場から、「アジア悲観論」との闘いの歴史をふまえ、バランスのとれたアジア論の重要性を説き、北原先生・天児先生は、それぞれ東南アジア社会研究、中国政治研究という立場から、日本のアジア研究が精緻化する一方でたこつぼ化していることへの危惧を含め、最近の研究動向の問題と重視すべき課題やアジア学の展望についての問題提起を行った。
 この50周年記念シンポのメッセージは、アジアの域内関係が強化されるなど、アジアをアジアという一つのまとまりとして見る必要が増大している現在は、学会が文字どおり「アジア政経学会」として、世界的な研究のセンターとして活躍すべき時代である、とまとめられるだろう。「アジア研究」にこだわり、その振興に悪戦苦闘してきた、この50年間のアジア政経学会にとっては、まさにその結成の趣旨が生きる時代を迎えたということになる。学会にも「老」「壮」「青」があるとすれば、「老」「壮」を代表する5名の講演者・パネリストの話しに迫力があった基本的理由は、この点にあるように思われる。
今回の記念シンポで、「老」「壮」が提示した「アジア研究」へのこだわりが、学会の今後の50年を担う「青」世代にどのように共有されるのか、一見「アジア」へのこだわりなどないかに見える若手が、「アジア」という枠組みをどう考え組み替えていくのか、それがアジア政経学会の今後を左右するのではという思いを強くしたシンポだった。(古田元夫)

新入会員自己紹介(順不動)
ご挨拶 赤羽淳
三菱総合研究所の赤羽淳と申します。小職がアジア研究に踏み出したのは、91年に東京大学経済学部の中兼ゼミに参加させていただいたときからでした。それから数年間は、自らの関心の的が絞れず右往左往した時代が続きましたが、99年から2001年まで台湾大学経済研究所に留学したことをきっかけに、台湾の経済をライフワークで研究していこうとの決意を固めた所存です。台湾の経済といいましても、それはグローバル化の中で捉えることができなければ、研究意義は矮小化されてしまいます。当然、中国のほか他のアジアとの関係も無視できるものではありません。そのような意味でも、本学会では幅広い研究者の方と交流させていただければと思っております。また、小職は民間のシンクタンクに席を置いております。学術界と実業界の境界線にいるという意味では、異端的な存在なのかもしれませんが、そうした独自の視点から見た分析を多く発信することにより、
微力ながら学会にも貢献できればと思っております。よろしくお願いします。

ご挨拶  石井香世子(名古屋商科大学 外国語学部 アジア言語文化学科)
 インドシナ半島の山岳少数民族について、まずはタイという近代国家社会との関係性の中から、「少数民族」の現在の有り様を見詰めて行きたいと、試行錯誤している石井と申します。タイ北部最大の都市、チェンマイという「町中」で山岳少数民族のフィールドワークをしつつ、一人前の研究者になれる日を夢見て修行中です。貴学会を通じていろいろ勉強させていただければと存じます。何卒よろしくお願いいたします。

ご挨拶 市倉英和(東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻博士課程)
 いわゆる非民主的政治体制を維持していた国家が、その国内において武力紛争を伴う分離独立運動地域を抱えた状態で民主化した場合、当該国家の中央−地方関係はどのような過程を経てどのような形態に帰着するのか。また、そうした事象に対して他国の関与の方法や程度はどのようなものか。ここ数年、私はこのような状況下での(国内、国際)地域秩序の形成過程に関心を持っています。
 2002年12月には、この問題関心を基に『多民族国家インドネシアにおける民主化と「国民統合」:分離独立運動に対応する制度の構築過程』と題した修士論文を提出致しました。この中では、1998年から民主的政治体制へ移行し始めたインドネシアの中央−地方関係を「単一制非対称分権型システム」と定義し、その成立の歴史的背景、特徴、システムが機能するための政治的前提、などについて論じました。
 今後は事例をインドネシアからアジアの他国・他地域へと広げてまいりたいと考えております。そのため、このたびアジア政経学会で学ぶ機会を頂けたことに深く感謝致しております。これからは、会員として、皆様からお知恵を拝借するばかりでなく、少しでも皆様のお力となれるよう学会活動に努めてまいりたいと存じます。
 どうかよろしくお願い申し上げます。

ご挨拶 李正熙(京都創成大学)
 私は「韓国華僑」の経済について研究し続けてきました。韓国華僑は19世紀末形成されてから約100年の歴史を持っています。100年の経済活動を商業を中心にして分析を行なっています。 あまり研究されていない分野であり、皆様のご指導・ご鞭撻のほど、よろしくお願いします。

ご挨拶  岩間一弘(千葉商科大学商経学部)
 この度、本学会の会員に加えていただきました岩間一弘と申します。古代文明から中国史に関心を持ち始め、留学を契機に上海の地域史研究を始めて、現在は上海の俸給生活者層の歴史をテーマに博士論文の執筆を進めております。今後は、上海だけでなく、香港やシンガポールといった東アジアの都市社会や華人世界にまで視野を広げて勉強していきたいと思っております。会員の諸先輩方には、どうぞよろしくお願い申し上げます。

ご挨拶 大友 有(亜細亜大学法学部非常勤講師)
 このたび、アジア政経学会に入会させていただきました大友有と申します。私は、タイを中心に東南アジア各国の法制度研究を専門領域としております。2000年4月から3年間、在タイ日本国大使館にて専門調査員として勤務し、タイの政治状況の調査と分析を通して、新しい憲法に基づき政治改革を推し進めるタイの現代政治を研究してまいりました。今後とも、タイを中心に東南アジア地域の国々を対象として法と政治の関係について研究を続けようと考えております。会員の皆様からのご指導ご鞭撻を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。

ご挨拶  落合直之(独立行政法人 国際協力機構)
 フィリピンの政治、なかでもミンダナオ島におけるイスラム系組織による独立運動を通じた「紛争と自治」について関心を抱いております。宜しくお願いします。

ご挨拶 勝間田弘(シンガポール、防衛・戦略問題研究所 ポストドクター研究員)
 アジア政経学会へ入会させていただき、ありがとうございました。シンガポールの防衛・戦略問題研究所(Institute of Defence and Strategic Studies)でポストドクター研究員をしいます。私の研究分野はアジア太平洋地域における政治・安全保障協力、およびアセアン諸国の外交文化です。こちらの研究所は「アジア太平洋安全保障協力会議」(CSCAP)のシンガポール代表機関です。そこで、この地域における多国間安保協力の現場を見ながら学んでいます。私の理論的関心は、合理的アプローチと構成主義の論争です。東南アジアの外交文化の研究では、後者が有用だと考えています。
 研究分野の異なる皆さまから多くを学ばせていただきたく存じます。よろしくお願いします。シンガポールの研究施設に関して私がお力になれることがあれば、いつでもご連絡ください。(www.idss.edu.sg)

現代中国外交研究 亀山伸正(創価大学大学院文学研究科博士後期課程)
 昨年提出した修士論文では、APECやARFに代表されるアジア太平洋地域の多国間協力に対する中華人民共和国の認識の変遷を、1980年以降の中国国内の外交専門誌、特に「国際問題研究」と「現代国際関係」における約20年分の専門家の言説の検討を通じて考察しました。
 現在の主な関心は、修士論文で取り上げたアジア太平洋の多国間協力を出発点に、中国の多国間外交の政策決定過程を分析し、中国の多国間協力外交の特徴を明らかにすることです。アジア政経学会において中国政治・外交をはじめ、幅広い専門分野を研究される会員の皆様から多くを学び研究を深めて参りたいと思います。よろしくお願い致します。

ご挨拶 神田道男(独立行政法人 国際協力機構)
 今回入会させて頂きました神田道男と申します。国際協力機構(旧国際協力事業団)に勤務し、政府開発援助にたずさわって30年を超えました。大学の専攻は地理学で、アジアでもフィリピン、インドネシア、マレーシアといった島嶼部に関心をもっております。政経学会との関係では、4年ほど前の京都の大会で貧困問題への政府開発援助の事例として、フィリピン生計向上プロジェクトについて、発表させて戴きました。在外勤務は、1977年から1981年までフィリピンに、また2001年から2003年にかけてインドネシアで駐在いたしました。冷戦終了後、特に1997年のアジアの経済危機以降、アジアにおける中国の役割が変わっていきているように感じます。また、インドネシアに居りますと、インド、イスラム諸国の東西の関係も新たな動きを感じます。今後のアジアの動向につき勉強していきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。

ご挨拶    徐 顕芬(Xu,Xianfen:早稲田大学大学院政治学研究科博士後期課程)
 早稲田大学大学院政治学研究科博士後期課程に在籍中の徐顕芬と申します。戦後の日中関係を研究課題としており、現在の大きな関心は、1970年代末から80年代前半にかけてのアジア太平洋地域おける大国関係の変動と日中関係の展開をどのように関連させて捉えるべきかという問題です。具体的には日中米(+ソ)という大国関係の変動を舞台として設定し、アジア太平洋地域経済協力とアジア地域安全保障という二つの軸をめぐる日中関係の展開を分析して、国際文脈においての日中関係の構造的な特徴をまとめたいと思っております。こうした関心から、現在は、大平正芳内閣が提出した「環太平洋連帯構想」に焦点を当て、アジア太平洋地域経済協力の始動期においての日中関係を取り組んでおります。 学会報告等を積極的に行なっていきたいと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。 

ご挨拶 西村雄志
 大阪大学大学院経済学研究科博士後期課程に在籍しております西村雄志と申します。このたび当学会への入会を御許し頂き有難うございます。大変光栄であると同時に今後より一層自らの研究に精進せねばならないと身の引き締まる思いでおります。
 私の研究分野は経済史で、とくに19世紀後半から20世紀初頭(主に第一次世界大戦前夜)までのアジア(英領インド以東の地域)における通貨制度の展開を研究テーマとしております。アジアを一つの「纏まり」として捉え各地の通貨制度の展開を検討することでアジアにおいて成立した国際金本位制の姿を明らかにしたいと思っております。
 今後は学会にも積極的に参加させて頂きあらゆる機会を通して普段の研究の中で抱いた疑問点を諸先生方に質問させて頂こうと思っております。御指導御鞭撻の程よろしく御願い致します。

ご挨拶   前田悠(上智大学大学院外国語学研究科地域研究専攻)
 私は、上智大学大学院地域研究専攻の博士前期課程に在籍しております。専攻地域としまして東南アジア、その中でもタイを中心に研究していきたいと考えています。修士論文では、タイ北部山地民、タイ−雲南間の経済交流、観光産業をキーワードに研究していく予定です。具体的には、途上国観光研究の枠を広げ、「伝統」的染織物などを観光客に販売することで、観光産業に参入する山地民の動向について研究したいと思っています。「研究」という言葉を用いられる段階には、到底達しているとは思えませんが、会員の方々の研究から地道に学んでいきたいと思っています。宜しくお願いいたします。

ご挨拶 中島光子(北九州市立大学大学院社会システム研究科博士課程後期
 この度入会いたしました中島光子と申します。修士課程では日本に在住する外国人の法的地位について考察しました。博士課程では北九州市における在日韓国・朝鮮人に対する意識調査を中心にしたアイデンティティに関する研究を通じて、日本社会との関わり方の変遷の中で彼ら彼女らの存在意義の評価を研究課題としています。私が関心を持つこのテーマは、わが国が国際社会に向けて発信しうるメッセージとして、それを発信していこうとする日本社会の構成員のアイデンティティの在り様にとっても決して無関係ではない問題だと考えています。このような研究を行うにあたっては、あらゆる広い領域にわたる学際的な視点を必要とすることから、本学会に入会できたことは大変意義深く感じております。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。」

ご挨拶      于蕊林(城西国際大学大学院人文科学研究科博士後期課程)
 このたびアジア政経学会に入会を認めていただいた于蕊林(Yu Ruilin, う・ずいりん)と申します。現在、井上辰雄教授の下で日中関係史の勉強をしています。具体的には、中華人民共和国建国後の中国における日本語教育史を日中間の政治・文化交流と中国の高等教育政策の面から研究しています。また、中国の日本語教育カリキュラムの発展を省みながら、異文化理解教育をどのように外国語教育のなかに組み入れていくかにも関心をもっています。どうぞよろしくお願い致します。

自己紹介 渡邉隆俊(愛知学院大学商学部)
 愛知学院大学商学部の渡邉隆俊と申します。専門は計量経済学、産業連関表などによる経済分析です。今回、歴史ある本学会に入会でき、大変嬉しく思います。現在、中国経済の産業構造、経済成長、わが国からアジア地域への直接投資による経済的インパクトについて感心があり、研究を進めております。
 大学に勤務して5年、まだまだ勉学的にも人間的にも未熟と思いますが、本学会を通じ、諸先輩の皆様よりご指導頂けましたら幸甚に存じます。何卒、ご指導頂けますようよろしくお願い申し上げます。

ご挨拶 李マ
 私は三重大学大学院の李マと申します。この度アジア政経学会の入会ができたこと、大変に光栄に存じております。私は中国江蘇大学助手、講師,日本三重大学大学院人文社会科学研究科修士課程を経て、現在三重大学大学院生物資源学研究科博士後期課程で経済学を専攻し、現代中国において中小企業金融の状況、特徴,特に中国中小企業信用保証問題に着目し、この問題を博士号取得のための研究テーマとして選択した.この問題に関する理論分析と実証分析の両方を志向しています。
 アジア政経学会の現代アジアに関する研究水準は極めて高く,優れる研究者を輩出してきました。私は積極的な学会活動に通して、幅広い知識や最新の研究成果が得られることを期待しています。なにとぞよろしくご指導、ご助言お願い申し上げます。

 


*アジア政経学会事務局
〒113-0033 東京都文京区本郷7-3-1 東京大学社会科学研究所 丸川知雄研究室
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アジア政経学会ニュースレターNO.21    2004年2月20日発行
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