学会ニュース
☆今年度全国大会について
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今年度全国大会については、神戸大学の実行委員会(委員長:加藤弘之会員)から会員各位の手元にプログラムなどが届いていると存じます。また、本学会のホームページ及び神戸大学経済学部ホームページ(http://www.econ.kobe-u.ac.jp/)にも最新情報が掲載されていますので、重複掲載はいたしません。
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今年度から報告要旨、一部報告のフルペーパーにつきましては、上記神戸大学経済学部ホームページに掲載し、順次更新してゆく予定です。論文のフルペーパーのダウンロードには、パスワードが必要です。パスワードは、9月上旬までにお手元に郵送される全国大会プログラムに掲載されています。プログラムが郵送されないなどの問題がございましたら、学会総務担当事務局、または全国大会実行委員会事務局(〒657-8501神戸市灘区六甲台町2−1、神戸大学経済学部 加藤弘之研究室、FAX:078-803−6841、kato@econ.kobe-u.ac.jp)までお問い合わせください。
東日本大会開かる
☆今年も、東日本大会が、東京一ツ橋の文部省学術総合センターで開催されました。実行委員会(委員長、中見立夫会員=東京外大アジアアフリカ言語研究所)のお骨折りに感謝するとともに、参加された会員による参加記を掲載します。
分科会1 コミンテルンとアジア 山田辰雄(放送大学)
今月、コミンテルンとアジアの問題を取り上げることは誠に時宜を得ている。コミンテルンがアジアの共産主義運動に大きな影響を与えたことは何人とも認めるところである。この問題の研究は、1950−60年代に一つの頂点に達した。冷戦の崩壊はコミンテルンの研究に新たな状況を生み出したのである。近年ロシアにおいて多くのコミンテルン文書が公開された。また、研究者はかつてあったような国際共産主義運動内部の政治的・イデオロギー的束縛から自由になったことである。
栗原浩英氏(東京外国語大学)の報告は、主として1930年代のコミンテルン中枢・中間指導機関としての極東ビュロー・答案アジアの共産党組織(ヴェトナム、マラヤ、タイ、フィリピンなど)との関係を論じている。モスクワの中枢から派遣された幹部と現地指導者との軋轢、国際主義を目指しながら現実には民族・国籍・エスニックの紐帯が重要であったこと、1935年以後は中枢の求心力が消失していったことが指摘された。
石川禎浩氏(京都大学)の報告は、1921年6月−7月のコミンテルン第3回大会に対する中国代表を考証したものである。それは、通説にある張太雷の役割をいっそう明確にするとともに、愈<心トル>秀松、江亢虎らの人物について更なる研究の必要性を主張した。かかる代表の不明確性は間もなく成立する中国共産党の状況をも反映していたといえる。石川氏が解明したこれらの事実がコミンテルンと中共との関係においてどのような意味を持ったのか、さらに一般化して論じてもらいたかったと思う。
富田武氏(成蹊大学)は、2つの報告に対しいくつかの点から論評を加えたが、ここでは次の点を記録にとどめておきたいと思う。栗原報告では国際主義的コミンテルンの運動が1930年代になると民族的色彩を強めていったという捉え方に対し、1920年代の中国・日本・朝鮮・ヴェトナムには国際的連帯の可能性が存在しており、富田氏は時代的な変遷の総体的理解の必要性を強調した。同氏はまた、石川氏の報告の中でソ連の中国に対する多様な接近の仕方が提示されていることについて、ソ連内部の戦争と権力の状況と関連させて理解することの重要性を説いた。
今日の時点でこの問題を取り上げることはまったく正当であり、これまであまり注目されてこなかったコミンテルンの活動に光を当てることが出来たが、分析の対象として時期が同じでなかったために、コミンテルンが抱えていた問題が2つの報告の間で必ずしも密接な関連がなかったことも指摘しておかなければならない。
分科会2 東アジアの政治と社会 李暁東(日本学術振興会特別研究員)
この分科会(司会:滝口太郎会員)は、報告1「中国における言論の自由をめぐる法理論:『人権白書』公表から『国際人権規約』署名まで」(石塚迅:日本学術振興会特別研究員)、報告2「中国共産党による政治秩序の形成:50年代の北京市人民代表大会選挙を例として」(中岡まり:横浜市立大学非常勤講師)の二つの報告と、それぞれの報告に対する高原明生(立教大学)、趙宏偉(法政大学)のコメントを中心に進められた。
報告1では、石塚会員は、90年代の言論の自由をめぐる中国法学界の議論、すなわち、言論的自由を政治的自由・権利に限定するという通説に対する批判や、「生存権」より言論的自由のほうが最重要の人権だという主張、そして、「人民」という概念に代わって「国民」を使うべきだという主張などを紹介し、それらの議論は、限界性を持ちつつも、「西欧的な『個人の尊厳』理念に基づく言論の自由への接近」だと評価した。当報告に対して、法分野における新しい議論は現実の政治にどの程度まで影響を与えられるか、などのコメントが出された。また、言論的自由を文化論的、歴史的な観点から見る必要性があるという意見もあった。
報告2では、中岡会員は、1948年から1958年までの北京市人民代表大会選挙を取り上げ、共産党が具体的に如何なる制度と組織によってその支配の正当性を獲得していったかを分析した。中岡会員は、第一次資料を丹念に調べ、共産党政権が選挙を通じて獲得した法的正当性が不十分だということを論証した。共産党は、従来、選挙以外の手段でその支配の正当性に対する不満を解消してきたが、最近、人代の抱える問題への対処として、選挙の制度や組織を変え、共産党のコントロールの一部を緩める措置をとった。中岡会員は、それを従来の措置とは異質のものとして、その変化に注目している。報告に対するコメントの後、共産党の法的正当性と支配の正当性との関係について、議論が交わされた。
分科会3 中国の鉄鋼産業と技術移転 末廣昭(東京大学社会科学研究所)
本分科会は、最近工業発展が著しい中国の鉄鋼産業に焦点を当て、その発展過程に影響を与える技術移転の側面と内政・外交という政策的側面の二つから検討を加えた。
第一報告者の杉本孝会員(新潟産業大学)の「中国鉄鋼業への技術移転の経路と現状」は、鉄鋼産業の技術がどの国から、いかなるチャネルでなされたのか、また土着技術との接合・摩擦はどのようなものであったのかという問題意識から、鉄鋼産業の過去の発展を俯瞰・総括するという、きわめて野心的な報告であった。杉本氏は、技術移転の特徴を明確にするために、中国の鉄鋼産業を土法時代、自力更生時代、ニクソンショック時代(体系性の欠如)、開放改革以後の一貫生産方式時代、そして最近のミニミル方式時代に区分し、それぞれの特徴を明らかにした。会場で配布された、(1)過去70年間以上に及ぶ詳細な鉄鋼生産能力の工場別推移一覧図と、(2)製鉄、製鋼、圧延加工の3分野に分けた中国鉄鋼業の発展略史年表は、杉本氏の長年の研究をもとにした労作で、圧巻であった。
一方、第二報告者の劉志宏会員(静岡産業大学)の「政策変更の決定要素:宝山製鉄所の技術導入」は、中国最大の鉄鋼プラント宝山製鉄所に対象をしぼり、国内における国務院と冶金工業部専門家のあいだの対立といった国内権力構造=内政要因と、対外戦略の変化=外政要因の2つから、宝山製鉄所に対する政府の政策決定過程とその変化を検討しようとしたものである。とくに、中国政府が宝山製鉄所の技術提携相手に新日鉄を選んだのはなぜか(ソ連対日本の対抗的外交戦略)、契約方式を途中で現金決済方式に変更したのはなぜか(イラン要因)、ドイツ技術を途中から導入したのはなぜか(反ソ自主独立路線への変更)といった問題を、主として外交的要因から説明したのは新鮮であった。
以上の報告に対して、総合コメンテイターである丸山伸郎会員(拓殖大学)をはじめ、田嶋会員、張会員、呉会員など多数のひとびとが詳細なコメントと活発な質問を両報告に対して行った。例えば、杉本報告については、中国の鉄鋼業の技術発展を考える場合、中央指導の大型設備工場と地方における土法技術にもとづく小型設備工場は、政策の対立ではなくそもそもから並行して存在してきた流れではないのか、初期の社会主義国に固有の技術導入と改革開放後の西側からの技術導入の仕組みの違いをもっと明示したほうがよいのではないのかといった質問がなされた。また、宝山製鉄所の高炉3号(93年)の国産化・自力更生はどのように実現したのかという質問に対して、杉本氏が過去の現場経験を踏まえて、新日鉄が第2号基では「共同設計」に協力し、第3号基では政治的判断から、通常では考えられない「詳細設計」の提示まで譲歩し、このことが国産化に大きく貢献したという秘話を紹介したのが、印象的であった。
一方、劉報告に対しては、宝山製鉄所の建設は、沿岸立地、西側技術の全面的導入という意味で根本的な戦略の転換であり、「開放派」と「保守派」の政策面での葛藤をもっとクリアにしたら面白いこと、さらに宝山製鉄所の事業計画を一度は白紙に戻すという議論がなされたとき、新日鉄に継続することを強く押したのは誰だったのかといった質問もなされた。また、劉会員が報告で強調した「イラン要因」(パーレビ国王のドル口座の利用)については、劉氏が当時の宝山責任者からの聞き取り調査の結果であると答えたのに対して、文献的証拠に欠けるのではないかという反論がなされ、ドキュメントの乏しい中国の経済政策決定過程に関する実証研究において、「聞き取り調査」の結果をどう評価するかについて、興味深い応酬がなされた。出席者は25名から30名程度とやや少なかったが、報告・討議ともきわめて質の高いセッションであったとの印象をもった。
分科会4 東南アジア農村社会の変化 野沢勝美(亜細亜大学)
このセッションでは、高橋昭雄、石田章の両氏による報告が行なわれた。
高橋報告「ミャンマーの国営製糖業と農民」は、2000年12月から翌年1月に実施した調査結果をもとにしたミャンマーにおける国営製糖業の現状に関する報告であった。ミャンマーは元来、コメ生産国であるが、1995、96年以降には国営製糖公社が中心になり砂糖が増産体制に入り、これをうけサトウキビ作付が強化されている。調査村におけるサトウキビの生産面では、灌漑田による稲2期作、畑でのメイズ、ヒヨコマメの2毛作の方が余剰、収益性が高く、また、農業融資の遅れ、サトウキビ買付所の計量が公正でないなど、供出制度に様々な問題を抱えている。製糖コストをみると国営工場は民間工場に比較して低くなっているが、この背景には低い公定価格による原料サトウキビの買い付け、低賃金の公務員労働力の動員、低い公定価格による燃料ディーゼルオイルの調達がある。砂糖価格は民間の市場価格に比較し、公社の価格は多重価格であり、また為替の過大評価は国営工場の赤字要因となっている。以上のように、ミャンマーでは政府の市場化政策推進とは裏腹に、国営、外国合弁企業、天下り退役軍人の準国営企業による工場建設、周辺農民へ供出要請が強化されているとした。
石田報告「マレーシア農業の変化と政治力学―コメ流通政策を中心に―」は、最初にマレーシアにおけるコメ流通政策の変遷を、第T期(1957年独立後〜70年代半ば)の政府によるコメ流通市場介入が緩衝在庫管理など限定的であった時期、第U期(70年代半ば〜80年代)のマレー人優遇政策が導入され政府によるコメ貿易の一元的管理とマレー人精米業者育成などが講じられた時期、第V期(90年代)のGATT/WTO体制下におけるLPN(食糧庁)民営化など規制緩和・自由化政策への転換期に区分し、その特徴を整理した。本報告は本来、上記第V期におけるLPN民営化(社名は後にBERNAS社に変更)によって政府によるコメ流通管理体制がいかに弱体化したかを検証すものであった。ところが、BERNAS社と政府・政権与党との関係を検討すると、政府・政権与党によるダミー会社における株式保有、経営陣人事を通じたBERNAS社の経営実権掌握の実態が明らかになった。すなわち、規制緩和・自由化の世界的潮流のなかで農業保護(マレー人コメ農家の保護)の目的で、形式的民営化と実質的な国家管理が同時に行われているとした。
以上でわかるように、両報告は本分科会タイトルである「東南アジア農村社会の変化」から想定されるような市場経済下におけるアジア農業の変容を論じたものではなく、むしろ逆に農業部門における政府介入・国家管理の現状に焦点をおいた報告であった。
質疑応答ではコメンテーターの重冨真一氏による両報告に共通する問題提起をうけ、なぜ政府が農業部門に介入するのか、政府はどのように介入するのか、また、いかにして介入が正当化されるのかをめぐり論議が展開された。ミャンマーの国営製糖業においては、非効率な含密糖工場の閉鎖で生じた失業問題、また中国からのプラント借入金返済に充てるため政府は外貨を必要とするなどの背景があった。マレーシアのコメ流通業では、連立政権下で稲作農民の票獲得、価格管理のための輸入統制などを理由に政府介入が正当化されている。両報告は現地調査を踏まえた精緻な研究成果によるものであり、アジアでは農業が全体として、市場経済のもと自由化、開放路線を志向するなかで、政府介入が存続する個別要因が明らかにされた。これらアジア農業の特殊性は、今後ともアジア農業開発の将来像について考察する際に参考となろう。
共通論題1 構造改革期日本のアジア研究の体制 三重野文晴(法政大学)
6月8日におこなわれた東日本大会の午後のセッションでは、「構造改革期日本のアジア研究の体制」と銘打ち、アジア研究の研究拠点である4つの研究所から報告者が参加して、今後のアジア研究のあり方について活発な討議が行われた。筆者は、セッションを傍聴し、参加記を記す機会を得た一若手研究者として、討議の概要を紹介し、多少の感想を述べたい。
議論は各研究所の個性を反映して多岐にわたったが、全体として構造改革期の研究体制のあり方を議論する中で、「アジア研究」の多義性やそれ故の創造可能性、学問領域としての不安定感など、この領域が常に持ってきた特性に正面から向き合って議論する内容となり、極めて刺激的であった。
第1の論点は、独立法人化に始まった研究組織をめぐる環境の激変に関するものである。具体的問題として、研究資金の外部化の流れが進む中で、従来文科省予算に依存していた研究所組織の水準維持が難しい状況に陥りつつあること、またその中で研究所としての存在意義を再創造する必要に迫られていること、であった。研究所組織の存在意義として、1)国内・国際的な共同利用施設としての役割を強化すべきこと、2)これまでの研究資料の蓄積を踏まえれば、各研究所は国際的にリードする資料拠点となりうること、3)それを背景に研究所は息の長い研究を運営しうること、などがそれぞれ複数の報告者から指摘された。
第2の論点は、アジア研究の意義と方向性をめぐる議論である。最大の論点は社会的ニーズの所在についてであった。この中では1)周辺からの視角の代表としての「アジア研究」という軸が依然として有効性をもつこと、2)欧米、アジア各国を含んだ国際的で学際的な研究、研究者のネットワーク化を進める中でニーズを創出していくべきこと、3)そもそも貧困削減という途上国開発における莫大なニーズが存在すること、などが指摘された。
印象的なのは、日本の現行の研究体制が国際的にみてかなりの強みをもっていることが複数の報告者から指摘された点であった。たとえば、アジア経済研究所の研究者の陣容は国際的水準から見て極めて充実していること、あるいは米国のアジア研究の体制が後退し、アジア各国内での研究が盛んになる流れの中で、日本はこれまでの資料蓄積や地理的位置によって国際的な研究体制のハブ的な存在となりうること、などが指摘された。
他方、言語の問題が活発に議論された。討議の中で、研究技術としての現地語習得の重要性と、発信手段としての英語使用の両者に環境変化があり、また両者のギャップが強まっていることの認識が共有された。この中で、各国の現地語による研究成果情報の集約・発信が、日本のアジア研究が世界に対して貢献しうる方法であるとする指摘などは、新鮮なものに感じられた。
報告の後、司会およびフロアーからの議論も多岐にわたり、活発な議論が展開されたが、全体として、こうした討議の必要性が認識されたことが本セッションの最大の意義であったのではないかと思われる。
傍聴者として2つの感想を述べたい。第1に、今回は研究所組織を中心とした議論となった。アジア研究の体制全体としてみれば研究所組織が揺らぎの時代を迎える一方で、アジア研究を担う独立・学部併設の大学院はむしろ活況を呈し、また学部組織のなかでもアジア研究者の生存余地は広がっているように見受けられる。その構造変化について議論されるべき余地が残るように感じられた。第2に、近年の各ディシプリンの高度化と地域研究の間のギャップの広がりにどのように対処するかという問題は、正面からは議論されなかった。ギャップの広がりが地域研究の存立を難しくしつつある一面はあるものの、日本ではディシプリンの拘束が相対的に強くないことを考慮すれば、地域研究の蓄積と特定のディシプリンが融合することで、むしろ日本のアジア研究の個性を強めることができる可能性がある。この問題は人材育成と絡んで重要な論点であると思われ、より踏み込んだ議論がほしいと感じられた。
共通論題2 アジアの国際政治とイスラーム 三輪 博樹 (筑波大学大学院国際政治経済学研究科)
共通論題2「アジアの国際政治とイスラーム」(司会:堀本武功会員)では、アジアにおけるイスラームの意味・役割を国内政治と国際政治の両面から検討するという主旨のもと、パキスタン、中国、マレーシアの3国に関する報告が行われた。井上あえか会員の報告「パキスタン政治におけるイスラーム」では、独立後のパキスタン国家とイスラームとの関係についての分析と、アフガニスタンやカシミール解放勢力などの、国境を越えたイスラーム勢力との関係についての分析が示された。その上で本報告では、南アジアの国際政治におけるイスラームの特徴として、ターリバーン運動やカシミール解放運動などの域内独自の問題とは深く関わっているが、中東を中心とするイスラーム復興運動や反グローバリズムなどとの関係は間接的なものにとどまっている、との指摘がなされた。
新免康会員の報告「新疆ウイグルと中国政治」では、新疆ウイグル自治区における「東トルキスタン」民族運動を事例として、少数民族としてのイスラームと中国政府との関係についての分析が示された。特に国際情勢との関連については、他の民族主義組織やイスラーム主義組織の活動が国境を越えて新疆に影響を及ぼしている可能性が出てきたこと、またこれにより、中国政府に対して、新疆の統合の保持を強化するための政策の遂行に対する理由付けが与えられるとともに、新疆の民族問題に対処するために国際的な連携を強めていく契機がもたらされたことなどが指摘された。
鳥居高会員の報告「マレーシアのイスラームとマハティール体制」では、1981年に発足したマハティール政権のもとでの政治経済体制とイスラーム化政策を中心とする分析が示された。マハティールによるイスラーム化政策の内容として、イスラーム復興主義勢力の体制内化、独自のイスラーム観に基づくイスラーム価値の提唱などが挙げられた。さらに本報告では、マハティールによるこのイスラーム化政策の大きな特徴として、工業化を中心とする開発志向の政策とイスラーム化の促進とが関連づけて説明されていることが指摘され、その代表的な事例として、「ルック・イースト政策」が紹介された。
これらの報告に対して、岡奈津子会員と飯塚正人会員の両名からコメントがなされ、さらにフロアとの質疑応答も交えて活発な討論が行われた。討論においては、特にフロアからの意見に興味深いものが見られた。例えば、今回の報告を踏まえると中東からアジアへの「イスラーム主義」の伝播は見られないようであり、この理由としては、中東とアジアとの間の、国民統合と経済発展の度合いの違い、国際環境の状況の違い、イスラーム教の伝播のしかたの違いの3つが考えられる、とする指摘があった。全体の印象として、各報告は非常に興味深く、また本セッションの主旨を十分理解したものであったと思われる。他方で、時間的な制約もあったとは思うが、「アジアにおけるイスラームの意味と役割」とは何なのか、このセッションを通じて明確な形で示されなかったのは、残念であった。
西日本大会開かる
☆西日本部会大会は、無事終了。交通の不便にもかかわらず、95名の参加者があり、懇親会も70名の参加がありました。今年も例によって、参加した会員に参加記をお願いしましたので掲載します(なお、中国部会Uについてはお二方からいただきました)。さまざまにご尽力いただきました大会実行委員長の坂田幹男会員に御礼申しあげます。
<6月29日>
アジア政経学会西日本部会大会記念講演 大会実行委員会 坂田幹男
第42回西日本部会大会では、新しく理事長に就任された石井明氏に、特別記念講演をお願いした。石井氏からいただいたテーマは、「試練に立つ地域研究−学会創立50周年を前にして」というものであった。
当日の講演では、開催地福井は敦賀港によって古くから朝鮮半島・ロシアと結ばれており、「海のシルクロード」の要衝であったことが指摘され、福井の地で研究大会が開催されたことの意義が強調された。
続いて、アジア政経学会の創立と地域研究についてふれられ、学会が発足当時もっていた中国への偏重、朝鮮半島・東南アジア・南アジア・西アジアなどの地域研究への必ずしも十分とはいえない理解が、その後の研究活動によって是正されていった経緯について述べられた。このことは、91年1月に常務理事会で採択された「『アジア政経学会設立趣意書』についての常務理事会の補遺」によっても確認できることが示された。
最後に、グローバル化時代の地域研究の重要性と意義について、「バイラテラル・リージョナル・グローバル」というキーワードを提示して、グローバリゼイションとナショナリズムの「挟撃」の時代にあって、今こそ地域研究が求められていることが強調された。
運営上の制約から30分という短い時間ではあったが、50周年を迎えんとするアジア政経学会に期待される石井理事長の熱い思いが伝わった記念講演であった。
中国部会T 堀口正(大阪市立大学大学院博士後期課程)
中国部会Tでは加藤弘之氏(神戸大学・教授)が座長を務め、4名の報告が行われた。
まず第1報告では堀口正氏が「中国・郷鎮企業の所有権改革とその構造的変化」と題し、報告を行った。その主要な論点は所有権改革前と後で1)企業平均利潤率が変化したか否か、2)地方政府との関係が変化したか否かである。報告者の結論は、「ノー」である。但し、地方政府間での権力構造の再編や地元従業員のリストラといった経営の軽量化が行われた点は認めていた。これに対して、分析手法の妥当性(重回帰分析を用いることが提案された)やそこからくる結論の曖昧さが問題点として、討論者(厳善平氏:桃山学院大学・教授)らから指摘された。
第2報告では、徐涛氏(立命館大学・院)が「中国大中型国有企業における株式制度導入の現段階」と題し、報告を行った。具体的には「不完備契約理論」を援用し、経営者の残余コントロール権と残余請求権が上昇すれば企業業績が改善されるかを検証した。分析方法として、上海証券取引所の上場企業436社(2000年末現在)のデータを用い多変量解析を行った。その結果、筆頭株主持ち株比率が上昇することで収益率が上昇する一方、企業内党組織責任者と役員などの兼任がある場合には逆に収益率が低下するということが明らかにされた。データの新しさや豊富さなどに一定の評価をあたえつつも、討論者の川井伸一氏(愛知大学・教授)からは、主に統計処理や分析枠組みの問題について指摘があった。かつて上海と深?証券取引所に上場している企業を調べたXu,X.and
Wang,Y[1999]の分析手法や結果について言及があってもよかったのではなかろうか。
第3報告では、鄭海東氏(福井県立大学・教授)が「中国のWTO加盟における国民的合意の軟弱性」と題し、報告を行った。主な論点は、@何が中国の加盟交渉を左右してきたのか、A支払われた代償は果たして中国の利益に見合ったものなのかなどであった。結論として、報告者は当時の「自由主義万能論」といった独特のムードに押される形で"なし崩し的"に中国のWTOが実現したと結論づけた。これに対して、討論者の片岡幸雄氏(広島経済大学・教授)からは、1989年の「天安門事件」後のムードと今回のムードや加盟条件の違いがどうであったのか、また国民的合意の「軟弱性」とは具体的には何を指すのか、どうすれば国民的合意が得られると考えているのか、といった質問がだされた。
第4報告では、江口伸吾氏(島根県立大学・助手)が「中国江蘇省農村地域における村民自治化の現段階」と題し、報告を行った。報告者の結論は、村務・財務の公開による村行政の透明化や、村民委員会組織法の制定などによる民主選挙の制度化によって、コミュニティーの権力構造が以前の寡頭的なものから多元的なものへと移行しつつあるというものであった。これに対して、討論者の川井悟氏(プール学院大学・教授)からは、主に中国農村の認識のあり方について質問がだされた。具体的には制度的には1978年以降、中国農村の権力構造が多元化に向かいつつあるからといって、実態的にもそうといえるのかどうかなどであった。
東アジア部会 岸脇 誠(大阪市立大学大学院博士課程)
6月29日の午後に開かれた東アジア部会では、座長の小川雄平先生のもとで4本の報告が行われた。
第1報告は、藤原孝之会員による「1950年代台湾の新興工業:経安会工業委員会と民間資本」である。この報告では、行政院経済安定委員会(経安会)工業委員会の経済開発機構としての役割に焦点を当て、同委員会の主導による新興工業建設が検討された。藤原氏は、最も成功を収めたとされるプラスチック原料工業計画と、逆に十分な成果を上げられなかった板ガラス工業計画を対照的な事例として取り上げ、工業計画のもとでの民間資本の動向について詳細な分析を行った。報告の結論部では、以上の事例分析に基づいて、民間資本と政府経済開発機構の関係、ならびにそれぞれの主体が果たした役割とその限界が指摘された。
次に第2報告として、私(岸脇)が「マレーシアにおける人権とエスニック問題:マハティール首相の人権観を中心に」という論題で報告を行った。いわゆる「アジア的人権論」は、権威主義体制を正当化するための口実であるとして批判されることが多い。しかしながら、「アジア的」という言葉がアジア諸国間の多様性を覆い隠してしまっているために、「アジア的人権論」に対する批判もまた焦点の定まらない議論に陥ってしまっている。本報告では、そうした議論を実りあるものにするためにはアジアの政治指導者一人一人の見解をもう少し綿密に分析する必要があるとの認識から、マハティール首相の人権観を国外向けの主張と国内向けの主張に分けて、検討した。
第3報告は、尹明憲会員による「韓国における知識基盤経済への模索:ベンチャービジネス・サイエンスパーク」である。尹氏は、政府主導・財閥主導・中央集中型という韓国の経済構造を根本的に改革することが必要であると指摘した上で、こうした改革が政府の「上からの改革」としてだけでなく、地方・企業人(特に中小企業)による改革として推進されるべきだと主張する。各地方で有望な中小ベンチャー企業が育成され、その地方の特色を生かした産業集積が形成されれば、それらが韓国経済を支える基盤となる。今回の報告では、韓国で最大の科学研究団地が立地している大田市の事例に基づいて、知識基盤経済に向けた取り組みが紹介された。
第4報告は、陳正達会員による「1970年代における台湾の石油化学工業の発展:通説に対する一試論」である。陳氏は、通説において輸入代替的な産業発展と見なされてきた台湾の石油化学工業の発展メカニズムを世界市場との関連で再検討し、通説とは異なった見解を提示した。それによれば、中間財の世界市場に誘発された台湾の石油化学工業は生産の経済規模を有効に発揮するため、最初から輸出志向的性格を持っていたという。ところが、第一次石油危機によって減産を余儀なくされ、国内市場に重点を移さなければならなくなったため、輸出志向的な石油化学工業は輸入代替的産業となったというのが陳氏の主張である。
以上の各報告に対して、予定討論者の先生方からさまざまなコメントや質問が寄せられた。紙幅の関係でその内容を紹介することはできないが、それらのコメントが呼び水となって、フロアからも多くの意見や質問が出された。30余名の会員を交えた議論は大いに盛り上がり、予定の時間を大幅に超過するほどであった。その後開かれた懇親会でも80名を超える会員が参加され、至る所で活発な議論が繰りひろげられた。最後に、このような素晴らしい大会を準備してくださった福井県立大学の本多健吉先生、坂田幹男先生をはじめ関係者の方々に感謝の意を表したい。
<6月30日>
中国部会U――その1 綛谷智雄(第一福祉大学)
「社会学者とは、学者としての自制心が働かなければ、ゴシップに熱中してしまうに違いない人物であり、鍵穴をのぞき、他人の手紙を読み、引き出しをあけようと心をそそられてしまう人物である」
これは、米国の社会学者・バーガーの言葉だ。この言葉が表すように、社会学者には、よく言えば好奇心旺盛、悪く言えば野次馬根性の強い人間が多い。
社会学者のはしくれである私も、野次馬根性だけは人一倍旺盛である。学術誌などに目を通しながら、他の研究者たちがどのようなテーマに関心を抱いているのか、どのような切り口で研究を進めているのかを知ることは、私にとって大きな楽しみだ。それはまた、自らの研究方法・態度を振り返る機会を提供してくれるものでもある。
このような私にとって、今回、アジア政経学会西日本部会2002年度大会に参加させていただいたことは、非常に貴重な体験だった。普段接する機会の少ない、政治・経済研究者の方々の発表を聞くことができ、コメンテーターおよびフロアとの熱のこもった質疑応答を目の当たりにしながら私は、「未知の世界を知る」という「学びの喜び」をあらためて感じることができた。
各発表テーマは、私にはなじみの薄いものが大部分であった。それゆえにむしろ、「なるほど、こういうテーマがあり、こういうアプローチがあるのか」という新鮮な刺激を得ることができたように思える。また、各発表者の資料収集・分析にかける情熱にも大いに啓発された。特に印象的だったのが、中国部会Uでの山腰敏寛氏による「晩清期における経済統制と『招商』」の資料である。清朝時代の製塩・流通がどのように行われていたのか、その一端を生き生きと伝えてくれる資料集は、門外漢の私が見ても非常に興味を引かれるもので、よい勉強をさせていただいた。
私自身も、延辺朝鮮族に関する研究発表を行う機会に恵まれたが、内容を十分に伝えられなかったことが悔やまれる。また、コメンテーターの鄭雅英先生からのご指摘と、フロアからコメントしてくださった凌星光先生からのご質問に対して、深みに乏しい、おざなりの回答しかできなかったことも申し訳なく思う次第である。今回は、自分の力不足を改めて認識した発表だった。
このような反省も含めて、貴重な自己省察の機会を与えてくださった諸先生方、また、大会開催にあたり、細心の準備・運営をなさった坂田幹男先生をはじめとするホスト校・福井県立大学の皆様に、心から感謝を申し上げたい。
中国部会U――その2 内藤 二郎(神戸商科大学大学院経済学研究科研修員)
第一報告・山腰敏寛会員の「晩清期における経済統制と「招商」」は、中国史における塩の専売制について、明清期にまで遡ることが重要との立場から、その制度、背景を歴史的に整理したものである。「綱法・票法」や「三連方式」といった当時の制度内容を分析する際に、多くの歴史的資料を用いて詳細を明らかにしようと試みている点が印象的であった。また、本報告は、同分野の先駆的研究である佐伯研究(佐伯富『清代?政史の研究』『中国?政史の研究』等)を批判し、新たな解釈を試みるものでもある。討論者及びフロアから「清代の塩政は難解な分野であり、貴重な資料を用いての解析は貴重である」との評価や「報告者の佐伯批判の内容が今ひとつ不明確で、直接の佐伯批判に結びつかない」、「もう少し幅広く世界史的な観点から議論すべきである」などのコメント、さらに「本研究の現代的意義」、「塩政の制度内容(分司の役割)の背景と理由」などについての質問が出された。これに対し報告者から「歴史的スタンスを長く取ることにより、現代中国へつながる要素を見出せるのではないか」、「三連単の流れの中で分司は取締りの役割を果たす上で重要であった」などの回答があった。
第二報告・綛谷智雄会員の「延辺朝鮮族の生活世界」は、中国東北部の朝鮮族の実態を事例とし、エスニシティを可変的なものととらえてその実勢と変化を考察し、言語、文化、生活習慣等における「同化」と「異化」の混在を指摘している。本研究は実際に延辺での生活を経験した報告者の実体験と現地での細かい調査を踏まえた事例研究であり、極めて具体性に富んだ興味深いものであった。討論者及びフロアからは「理論・実証・事例を網羅している」との評価とともに「中国の少数民族政策からみた朝鮮族はどう写るか」、「グローバリゼーションの視点から朝鮮族の分散化が起こり、それに伴う社会変化の危機感はないか」、「自治区の行政トップを漢民族が握ることへの不満はないか」などの質問があった。これに対し報告者から、中国社会での朝鮮族の影響力が決して小さくないこと、微妙な中−朝関係(亡命問題、韓国における朝鮮族に対する内国民待遇など)、漢民族−朝鮮族間の双方向の「異化」・「同化」などを例に挙げ、現在の中国の対少数民族(対朝鮮族)政策に大きな変化はなく、朝鮮族の社会自体も大きく揺らぐことはないであろうとの回答があった。
第三報告・御船恵美会員の「アメリカ対北東アジア安全保障政策と米中関係」は、米国の北東アジア安全保障政策における対中戦略を、米国外交全体の中から捉えようとするものであり、冷戦後の米国における対中戦略の重要性の高まりを指摘するとともに、従来「中国脅威論」のもとに形成されてきた米国の対中戦略が、昨年の《9・11》によって転換を余儀なくされ、「協調的安全保障の制度化」を進めていく時期に入ったと指摘している。討論者およびフロアから「米国に対して中国側の対米戦略を併せて考察すべきであるが、その点をどう考えるのか」、「日本の果たすべき役割は何か。またその実行可能性は如何に」、「米中関係における台湾問題をどう捉えるか」などの意見・質問が出された。これに対し報告者は、「中国の対米政策は今後ますます重要度を増すが、その中で双方に「関与戦略」が生まれる」、「米国は北東アジア戦略の中で、台湾政策を重要なカードとしており、米中関係全体の流れから見て矛盾点があることは否めない」との回答があった。また、日本の役割については「日本の役割は大きいが、その成果には期待できず、特に現政権では主体的政策の実行は極めて困難である」と悲観的な見解が示された。
以上3名の会員による報告は、第一報告が「主に歴史的文献および資料の渉猟とその解析」、第二報告が「現地での実体験と調査を通じた現状分析」、第三報告が「最新の資料(統計や法令、報告書等)を駆使するとともに米国を中心とした政策当局や多くの研究者の意見を交えた分析」と、それぞれに方法論は異なっているが、いずれも細かい資料に基づいての実証研究としての成果と資料的価値が評価できると同時に、各テーマともに今後の継続的研究への期待が大きいとの印象を強く持った。
最後に、本部会では3つの報告の分野が多岐にわたっており、部会としての共通の議論および結論を得ることができなかった。各報告のテーマに多少なりとも共通性があれば、部会全体として議論をさらに深めたり、小括的な結論を導き出したりする上で有益であると考えられ、今後の課題をして「部会ごとに極力テーマに共通性を持たせること」を是非提案したい。
東南・南アジア部会 上池あつ子(甲南大学経済学部非常勤講師)
第1報告:中部ジャワの市場における女性商人の変容―1995〜2000年―<報告者:嶋田ミカ(龍谷大学・院)、討論者:木曽順子(熊本学園大学)>
中部ジャワにおける女性商人の低所得化と,世帯内での「稼ぎ手」「主婦」役割の増大について,1995/96年と1999/2000年の2回の,中部ジャワ州北部スマラン県アンバラワ郡ワルンラナン市場及びその周辺での調査に基づく研究報告で,インフォーマル部門(IS)
の女性労働の統合と性別分業について,IS事業と世帯の両面から検討された。IS内の性別分離構造と世帯内の性別分業を明らかにするために,世帯単位ではなく,女性個人に焦点をあて,「主婦」と「稼ぎ手」が議論のキー概念に据えられた。女性商人の「主婦」「稼ぎ手」役割のISにおける低所得労働との関連については,女性は家計管理と家族の必要を満たす責務を負っており,家計費の不足分を補う。自由に使える所持金が少ない女性は,ISでも開業資金が必要でない収益性の低い仕事をし,家族の生活のためにしがみつく。一方で男性は所得の一部を家計に提供すれば「稼ぎ手」と見なされ,家計費の金額を管理する。必需品の調達を女性に任せた場合,男性はISの低所得労働に就く必然性が低く,開業資金を作り収益性の高い業種への参入も可能になる。女性の「稼ぎ手」役割とISでの低所得化が結びつくことで,ISの性別分離構造が維持・強化されている。
第2報告:インドの経済改革と財界―財界団体のロビイングを中心に―<報告者:上池あつ子(甲南大学経済学部非常勤講師)、討論者:石上悦朗(福岡大学)>
1991年7月,インドはIMF・世界銀行との提携のもと,従来の統制的計画経済の開発戦略からの大転換を意味する経済改革を実施した。経済改革の導入により,インド財界がどのように変化したのかを,財界団体のロビイングの変容を中心に説明した。従来統制的計画経済体制のもとでの「利益誘導型」ロビイングから経済改革以後は「政策誘導型」ロビイングに変容したことを示した。
第3報告:環境保護と住民の生活権―インドの森林の事例から―<報告者:真実一美(岡山大学) 、討論者:脇村孝平(大阪市立大学)>
インドの環境問題において,森林の減少と質的劣化は重要な問題の一つとなっている。一方でインドでは森林の多くが地域住民にとって必要不可欠なものであるという状況が存在している。「1988年森林政策」に基づく森林経営への住民参加による森林保全・再生の試みである共同森林経営(JFM)が1990年より26州中23州で実施され,JFMの普及が森林保全と再生に大きな成果をあげてきた。JFMの問題点として,@森林保護委員会が村のエリート層に独占されており,社会的弱者層が排除されること,A商業的価値の高いモノカルチャーが選ばれ,持続可能でない植林が行われる場合がある,B住民参加が森林保全活動に限定されており,重要決定は森林局に権限があり,住民が保有権をもたないこと,などを指摘した。このような問題を打開するために,NGO支援のもとで「地域社会森林経営」の提唱等,住民のイニシアティブを重視し,住民の経験的知識や習慣に基づく管理の積極的評価,利用も目指されていることが指摘された。住民参加は環境―森林保護のための住民の協力を得るためだけでなく,効果的な保護活動の実現のために重要であり,住民の経験的知識は複雑な自然環境を保護していくために有効である。
第1報告は,現地での聞き取りと参与観察による研究成果を,パワーポイントを使用して視覚的に,わかりやすく報告された。第2報告は私自身の報告であるが,討論者の石上先生,そしてフロアの末廣先生からは今後の研究の課題となるご指摘を頂いた。第3報告は,インド研究者でありながら,インドの環境問題について無知であった私にとって,大変興味深く勉強になった。
<編集後記>
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* 今期業務担当理事一覧
理事長=石井明(東京大学);総務=高原明生(立教大学);研究=末廣昭【東日本担当】(東京大学)、同=佐々木信彰(大阪市立大学)【西日本担当】;編集=加藤弘之(神戸大学);広報=若林正丈(東京大学);国際交流=国分良成(慶応大学);財務=加納啓良(東京大学);50周年記念事業=古田元夫
アジア政経学会ニュースレターNO.18 2002年9月1日発行
発行人 石井 明
編集人 若林正丈
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