《ニューズレター16号》

☆全国大会の準備進む☆
2001年度の全国大会は,既報のとおり、来る12月8日、9日、琉球大学を当番校として沖縄の万国津梁館で開催されます。目下、我部正明会員を実行委員長、佐々木信彰常務理事を補佐役として、鋭意準備が進んでいます。国際シンポジウムのセッションの他、沖縄開催を念頭においた特色ある分科会も企画されています。

☆学会費値上げのお願い☆
常務理事会では諸般の事情から会費値上げを検討しています。これにつきまして、理事長から会員の皆様への書簡を下に掲載します。ご一読の上ご理解賜りたく存じます。

2001年7月18日
アジア政経学会 会員各位
会費の値上げについて

財団法人 アジア政経学会
理事長  天児 慧

 拝啓 盛夏の候、会員の皆様にはますますご清祥の段、お慶び申し上げます。さて本日は、去る6月9日に開催された常務理事会において提案された会費値上げ案について、会員の皆様にお知らせするとと もに、今後の実施計画についてお諮りしたく、ご連絡を差し上げました。
1.値上げが必要な理由
 アジア政経学会の年会費は、一般会員7千円、院生会員5千円、維持会員(1口10万円)で長く据え置かれてきましたが、以下の理由から会費値上げに踏み切らざるを得ない事態が生じています。
 まず収入面では、(1)経済不況の影響により維持会員の会費収入が激減しています(2000年度では95万円減)。維持会員を増やす努力を続ける必要がありますが、当面の経済情勢では維持会費の大幅増加は見込めません。(2)外務省からの補助金(2000年度実績で230万円)が、見直しによって全額カットされました。(3)会費回収率はすでに90%を超え、これ以上回収率を引き上げることは困難です。他方、支出面では、2000年度から新たにホームページを開設するとともに、『アジア研究』新装版への移行を実現しました。この改革により学会の魅力が一層高まったと自負しておりますが、これに伴って、(1)ホームページの維持・運営費90万円、(2)アジア研究新編集体制への移行による作成費増加80万円と、前年度比170万円の固定的な支出増がほぼ確定しています。
 収入減と支出増を合計すると、260万円前後の単年度赤字となります。執行部としましては、経費削減をはかるとともに、『アジア研究』の販売、広告収入の確保といった方向で収入増を図っていく所存ですが、まず財政基盤を確立することが先決と考え、理事会に会費値上げを提案した次第です。
2.値上げ額
 会費の値上げ額につきましては、現行の一般会員7千円、院生会員5千円、維持会員(1口10万円)から、一般会員が3千円増の1万円、院生会員が1千円増の6千円、維持会員据え置きを原案としたいと思います。これによって、約250万円の会費収入増が期待できます(一般会員1000人、院生会員100人、徴収率80%で計算)。この金額は、上記の赤字予想額を下回っていますが、不足部分は事務合理化などによる支出削減で対応する計画です。
3.値上げの日程
 会費値上げは、理事会において十分に議論をつくすとともに、会員への周知徹底が必要と考えます。そこで、2001年度からの値上げは見送り、12月の理事会において最終決定、2002年度から実施という段取りにしたいと思います。会費値上げに関して、ご意見ご要望がおありになる会員の皆様は、財務担当事務局(神戸大学経済学部加藤弘之研究室:kato@econ.kobe-u.ac.jp)、あるいは学会ホームページ(http://www.jaas.or.jp/)記載の広報担当事務局(info@jaas.or.jp)まで、ご意見ご要望をお知らせいただければ幸いです。

☆アジア政経学会2001年度東・西日本大会 開かる☆
 アジア政経学会2001年度の東・西日本大会は,それぞれ去る2001年6月9日(東日本),6月23日(西日本)に開かれました。東日本大会は、山梨学院大学にて、同大学と山梨総合研究所との共催で、西日本大会は大分県別府市の立命館大学アジア太平洋大学で開催されました。各セッションに参加した会員にお願いした参加記を掲載いたします。セッションによっては司会者自ら執筆いただきました。執筆いただきました会員には,篤く御礼申し上げます。なお、西日本大会の第四分科会は、初めて「文化・文学部門」の分科会を設ける試みなので、座長からも一文を寄せていただいた。(広報担当 若林正丈)

2001年度東日本大会参加記

自由論題T                 古島義雄(玉川大学)
 清川雪彦会員の司会のもと、房 文慧会員の報告「中国の化学工業における環境政策への対応」および園田茂人会員の報告「居民委員会選挙の理想と現実:天津市のケースから」が行われた。房会員の報告は環境問題への対応が期待されている中国の化学工業のうち、特にフロンガスの生産と削減について、政府の政策と企業の対応を整理したものである。フロンの生産については、1999年7月から段階的な削減が行われ、代替品の開発が課題となっているとの報告があった。討論者の小島麗逸会員から、具体的な数値のある調査であることなどを評価すると共に、既存のフロン製品の回収状況、フロン対策の国際比較、計画と実際の政策の区別、税制や金融面での支援の有無、フロンの観測体制などについても敷衍して欲しいとの意見があった。
 園田会員の報告は、農村における村民委員会と比較すると、民主化が遅れている都市における居民委員会選挙の実態を天津市南開区のケースについて調査した報告である。これによれば、居民委員会選挙への参加を基本的権利であると考え、農村と同様都市でも選挙を実施すべきだとする意見が8-9割に達している。しかし一方で、多くの問題についてその解決は社区(コミュニティ)よりは国家が責任をもつべきであるとする意識も強いとの結果がでた。討論者である高原明生会員からは、都市における選挙の実態についてはほとんど外部に知られておらず、先駆的な調査であるとの評価のほかに、農村においては農民が共同の利益を持っており、選挙によって安定化がもたらされるが都市では異なる、民生部と他の関連官庁では考え方に違いがあるなどの都市選挙の背景についてのコメントがあった。またフロアーより、居民委員会選挙の具体的な仕組みなどについて質問があったが、園田会員からヒアリングを間接的に行っているため不明な点もあり、第2次調査でハッキリして行きたいとの回答があった。

自由論題U                    加納啓良(東京大学)
 自由論題Uで行なわれた2つの研究報告の要点と感想を次にまとめる。
(1) フィリピン・カトリック教会の社会観と信徒動員
  報告者:宮脇聡史(東京基督教大学) コメント:川島緑(上智大学)
 フィリピンのカトリック教会指導者層を代表するCBCP(フィリピン・カトリック司教協議会)の公式文書を検討すると、フィリピンは「アジア唯一の、だが未熟なキリスト教国」であることが強調され、「貧しい者の信仰共同体」として「教会基礎共同体」を形成することを目標として掲げていることが知られる。教会による信徒動員には、1)ミサを中心とする教会的動員、2)信心業による祝祭的動員、3)イベント型動員、4)NGOなどとも連携した社会的動員、D政治=メディア的動員、などの形態が見られる。その活動は教会ヒエラルヒーの維持に重点があり、内在的な変革が軽視されるという問題点を抱えている。
(2) マレーシアにおけるブミプトラ政策と連邦土地開発公社
  報告者:平戸幹夫(拓殖大学) コメント:小野沢純(東京外国語大学)
 1956年の発足から現在までの連邦土地開発公社(FELDA)の略史を、土地開発方式の変化と入植者の意識変化の2点に焦点をあて、ブミプトラ政策の変遷と関連づけながら整理した。各州の土地開発と入植の事業をサポートする財政・資金的トンネルから事業の実施主体へと変化し、さらには周辺・下流部門を統括する総合企業体へと発展したことが、各種のデータを提示して説明された。
 いずれも現地で収集された資料にもとづく地道で丹念な研究成果の報告だったが、時期と開催地のためか、参加者がやや少なかったのは残念であった。

自由論題V              田中康友(青山学院大学大学院)
当セッションでは、前半に平松健治会員から「国際協力から見た円の国際化」について報告をしていただきました。平松会員は、これまで一国の国益から進めようとする円の国際化議論は期待論に止まってきたので、日本の対アジア貿易が対米を凌駕し、アジア域内貿易の比率が上昇している現局面では、国際協力や国際貢献という視点から、域内の貿易金融で円のプレゼンスを高めるという新たな発想の必要性を指摘されました。この報告では、パワー・ポイントを駆使して、明確かつ視覚的に、複雑な国際金融の構造と日本のこれからの円の国際化に向けて方策について解説していただきました。
後半は、私が「ベトナム戦争後の日本の対ベトナム政策 ――経済大国のリアリズム――」というタイトルで、報告をさせていただきました。この報告では、経済大国としての自覚を持ち始めた日本が、「国内の貧困につけこんで共産主義勢力が伸張する場」から「中ソの勢力圏争いの場」へと東南アジアの地域秩序イメージを変化させたことにより、ベトナムの自主独立路線を支援することで中ソの勢力圏争いの影響を相殺することを狙ったこと、そしてこうした日本の対越政策には、相互依存が平和を構築するという素朴な Commercial liberalismを超えて、「経済大国のリアリズム」という側面を看取できることを明らかにしようと試みました。
武田康裕会員からは、あたかも博士論文の研究指導のように、的確かつ有益なコメントを頂きました。コメントでは、問題設定、仮説のオリジナリティ、日米の1次史料の採用という点で御評価を頂いた一方で、説明変数の設定上の問題点や、日本外交のベトナム戦争中からの連続性と非連続性などの御指摘は、博士論文への課題となるものでした。
また、セッション後も御参加頂いた先生方から有益なコメントを頂きました。最後に、この場をお借りして、武田先生をはじめ御指導をして下さった諸先生方、さらには学会報告の機会を与えて下さいましたアジア政経学会の理事の先生方に、謝意を表したいと思います。

共通論題・分科会1「アジアの企業経営――グローバルエコノミーの次代を生きる」
佐藤幸人(アジア経済研究所)
 このセッションでは小林英夫、竹内順子、小島眞三氏の報告が行われた。
 小林報告「模索する日本企業の海外戦略――日本的経営の摩擦と調整」は、1990年代における諸条件の急激な変化によって日本企業の海外戦略が変更を迫られていることを明らかにし、その上であるべき再構築の方向性を探ったものである。報告は1990年代の海外戦略変更の諸相を示したあと、その要因として、中国の急速な追い上げ、IT化、欧米資本のアジア進出、外国企業による日本企業の買収及びそれに伴う技術の流出、モジュール生産の拡大を指摘した。その上で、日本企業が採るべき戦略は生産・調達・販売のネットワーク化と現地化であると述べ、そのためには技術革新の継続が必須であると主張した。
 竹内報告「東南アジアにおけるEMS戦略の限界」は、昨今、新聞紙上を賑わすようになったEMS (Electric Manufacturing Service)というビジネス・スタイルの東南アジアにおける実態及びその限界を明らかにしようとした。はじめにEMSの特質やその発展の背景を説明したあと、シンガポールのNatsteel Electronicsなど東南アジアの地場系EMSを紹介した。最後に発注が大手EMSに集中するという最近の動きの中、東南アジアの地場系EMSは買収などによって大手の傘下に入るか、ニッチを見つけて生き残りを図るしかないのではないかという見通しを提示した。
 小島報告「苦渋するインドの公企業改革――電力部門の事例」では、まず、インドにおいて、1980年代以降の慢性的な供給不足を打開するため、発電部門が民間に開放されたが、現在までの結果ははかばかしくないという状況が示された。次に、その理由として、買電する州電力庁の支払い能力の問題を指摘し、盗電、料金設定、料金の未回収などその背景を説明した。これに対する改革について、報告者は配電の分割・民営化によって利用者負担の原則が徹底されることへの期待を明らかにした。
 以上、3報告に対し、中兼和津次、末廣昭、小池賢治の3氏が討論者としてコメント、質問を行い、さらにフロアからも発言があった(司会を含む)。全てを書き記す紙幅はないので、各報告につき、1つずつやりとりを紹介する。
 小林報告に対しては、中国で生産が増大している電子機器は技術的自立を示すものかという問題が提起された。報告者はこれに対して、重厚長大型産業とIT産業の技術的な相違を指摘した。竹内氏は、EMSの特徴をより明示することを求められたのに対し、その本質は物流と設計にあると回答し、それが弱いがゆえに東南アジアの地場系EMSが独立したまま生き残ることは難しいと、報告を補足した。BOT (Build, Operation and Transfer)は問題解決の魔法の杖かというコメントに対し、報告者はインドで進められているのはBOTそのものではないこと、とはいえ、同種の問題があることを認めた上で、より大きな問題は州電力庁にあるとした。

共通論題・分科会2「政治腐敗と政権交代ーーアジア新時代の指導体制」
吉村文成(龍谷大学)
 インドネシア(1998年5月)、台湾(2000年3月)、フィリピン(2001年1月)と、アジアで政権交代が相次いだ。いずれも政治腐敗への批判の高まりが主要な原因の一つである。インドやタイでも、腐敗は深刻な政治課題となっている。なぜ、いま政治腐敗なのか。政権交代は腐敗体質からの脱却を可能にするのか。個別の国々の現実を議論しながら、同時に、全体の課題を考えるーーそんな討論が、大内穂氏の司会のもとに展開された。
 小笠原欣幸氏は、台湾の政権交代について「李登輝前総統による民主化―地方派閥の中央進出および李政権との癒着―新中間層の反発―陳水扁政権の成立」という図式で説明した。「陳政権は決して新しいパラダイムを開いたのではない。(少数与党政権として)従来の構造の中でもがき苦しんでいる」と締めくくった。
 これに対し、討論者の加藤和英氏は「民主化と腐敗はどれだけ関連づけられるか。民主化の中身を子細に吟味する必要がある」と指摘した。
 川中豪氏は、フィリピンの政変について「政治危機と経済危機のスパイラル的深化だった」と要約した。そして、強力な大統領制のためにかえって、「大統領を取り除く」ことで広範な連合が成立した、とする。
 討論に立った藤原帰一氏は、「同じ政治家に対する評価が、ある段階で『マッチョから悪漢に』、あるいは『聖人から無能に』入れ替わる」と指摘。「エストラーダはだれだったか」を考察することが重要だ、とする考えを提起した。
 近藤則夫氏の発表では、腐敗のネットワークが政治・行政システムの中に広範に組み込まれていること、機密性の要求される国防部門でとくに顕著なことを、報道機関や民間団体による世論調査、「おとり取材」などによる暴露を通して明らかにした。
 討論者の堀本武功氏は、「選挙がみそぎになる。民主主義があるために、かえって汚職が正当化される」と、世界最大の民主主義を誇るインドの逆説を指摘した。
 全体質疑では、経済成長や指導者のパーソナリティと汚職および政権交代との相関、外国あるいは(国際的規範としての)資本の論理の政権交代への関わりなどについて活発な質疑が続いた。とくに、政権交代と民主化の関係について、「新中間層が求めているのは行政のスピードだ」(台湾)、「新政権が正当性獲得のために汚職を取り締まるのは当然だが、政治の仕組みが変わったわけではない」(フィリピン)、「ベーシックなレベルでの制度疲労がある」(インド)など、マスコミによる汚職の追及や政権交代が必ずしも直接的に民主化につながるわけではない、とする考えが各発表者から示された。

☆2001年度西日本大会参加記☆
第一分科会(午前の部)  
その1  王 忠毅(西南学院大学)
 アジア関係である第1分科会では午前三つの研究報告が行われた。まず、鄭雅英会員の報告「中国朝鮮族の民族自治―延辺朝鮮族自治州の創設を巡って」は、1936年のいわゆる「抗日闘争」から1952年に自治区誕生に至るまでの歴史的な推移を踏まえながら、その問題点および意義を明らかにしようとしたものである。しかし、コメントでも指摘されていたが、報告全体において歴史的な陳述に偏重しすぎ、その歴史的な事件についての経緯や解説およびその内包した意義はあまり触れてなかったのが残念である。しかし、鄭会員の報告では全体として極めて詳細な歴史的な事件が述べられ、この報告はこうした分野の今後の研究において重要な基礎資料になると思われる。
宮町良広会員の報告「アジア経済の成長と総合商社―西南経済圏とのネットワーク形成を探る」は、主に総合商社ビジネスという観点からアジアと九州の貿易・サービス交流の可能性を究明しようとしたものである。宮町会員は主に総合商社による商品取引を取り上げて分析し、「実際のネットワーク形成に限界、九州側の意識過剰」などの結論を導いた。しかし、コメントでも指摘されていたが、近年、総合商社自体において事業全体の利益に対する商品取引の貢献度は急速に低下しつつある。そのため、総合商社による西南経済圏ネットワークの形成が困難であるという結論はむしろ自明の理ではないか。したがって、総合商社の商品取引よりも、むしろその金融仲介やビジネス調整などの側面に焦点を当てたほうが西南経済圏における総合商社の役割は明らかになるのではないかと思われる。
村上理映会員の報告「拡大生産責任と家電リサイクルの変遷―日本・韓国・台湾を事例として」は、主に日本、韓国および台湾の事例を取り上げて各々の家電リサイクルシステムを比較・分析することによって今後の循環型社会におけるEPR(拡大生産者責任)概念の有効性を議論したものである。村上会員は実際に現地調査を行い、各国における家電リサイクルに対する生産者の責任の範囲を明らかにし、それによって各国のリサイクル事情とその問題点を提示した。しかし、他の会員からも指摘されたが、それぞれの国の産業構造が異なったため、一概に生産者にリサイクル責任を負わせることは様々な問題が生じてくるのではないか。例えば、台湾では輸入家電製品がかなりの割合を占めているため、輸入業者にリサイクル責任まで負わせるにはやや実効性を欠くものではないか。
本セッションでは、三つの報告に対してフロアから数多くの質問や問題提起がなされた。そのため、報告と討論の時間の不足がやや気になった。特にアジア関係部会では午前午後あわせて6人の報告者もいるため、開始時間がもう少し早めたほう(例えば10時から)がよかったかもしれない。

その2 尹明憲(北九州市立大学)
第一分科会(アジア関係部会)の午後のセッションでは、山浦雄三氏(立命館アジア太平洋大学:APU)による「インド人学生の日本留学とAPU選択」、今岡良子氏(大阪外国語大学)による「市場経済以降後のモンゴルの農業−ある協同組合の形成と解体より」、小林英治氏(下関市立大学)による「わが国のODAと評価−アジアへの援助をめぐって」の3つの発表が行われた。
山浦報告では、APUに留学しているインド学生に対する意識調査を通じて彼らの動機や背景、留学生活の現状、日本の教育に対する評価などが明らかにされた。これを通じて、相手国の言語、習慣、社会生活などを学習するが、相手国の人間にはなりきれず、他方で自国のアイデンティティを要求される「境界人」としての留学生の姿が浮彫りにされた。そして、留学が"マルチカルチュアの雰囲気の中で自分を異文化にさらすことで、キャリア形成を意識した自己のレベルアップを図ろうとする動き"と位置付け、逆に受け入れる大学教職員が「境界人」としての彼らから学び取ることの必要性が強調された。
今岡報告では、モンゴル遊牧地区における長年の現地調査を通じて、体制移行の過程で社会変容が現地遊牧民に何をもたらしているかが明らかにされた。従来、社会主義体制下のモンゴルでは遊牧民はネグデルに組織されてきたが、牧畜活動を政策的に制限されるネグデルを離脱する遊牧民が増えてくるとともに、独自組織として92年遊牧民協同組合が結成された。しかし、同年モンゴル政府が畜産物価格を自由化して競争原理が導入されたことによって共同での流通が困難になった。また、土地私有化の導入によって遊牧が不可能になる事態も憂慮されるようになった。報告では、遊牧民が抱えるこのような問題の解決のために、政府とコミュニティの間の中間組織と国際的な農漁牧民の連帯が必要であることが強調された。
小林報告ではまずODAを取り巻く最近の変化について述べられた。すなわち、ODA予算が削減される中で量=「経済開発」から質=「社会開発」への転換が求められるようになった。従来のODA方式の改善として事前調査だけに重点が置かれていたものが事後評価も行われるようになった。すなわち、援助したプロジェクトの完成後に効果的効率的に実施されているかどうかの確認、プロジェクトのフォローアップ、日本国民及び被援助国民への援助成果の周知などを目的とした評価が行われる。報告者もFAOとの合同評価に参加しており、事例として東北タイでの苗畑センターや造林普及計画のプロジェクト評価が示された。

第二分科会  梶谷懐(神戸学院大学)
 第二分科会(中国部会)では、加藤弘之氏(神戸大学)の司会のもと、5名の会員による力のこもった報告が行なわれた。報告者と報告論題は以下の通りである。
 第一報告、陶大寧氏(立命大学大学院)「後進地域における郷鎮企業の発展と地方政府の役割」は、報告者の現地調査に基づき,陝西省の三つの県における郷鎮企業の発展状況と地方政府の役割について論じたものである。
 第二報告、薛進軍氏(大分大学)「中国の都市失業、貧困に関する研究」は、都市住民間の所得分配の実態と失業・貧困問題との関連について述べたものであり、報告者もメンバーの一人として加わった中国の所得格差に関する国際的な調査プロジェクトの成果の一部の報告である。
 第三報告、楽君平氏(関西学院大学大学院)「中国農村における外出労働の決定要因」は、報告者が実施した浙江省舟山市における出稼ぎ労働者に対するアンケート調査に基づき、農村からの出稼ぎ労働者の都市への流入要因を計量モデルによって分析したものである。
 第四報告、内藤二郎氏(神戸商科大学大学)「途上国の分権化と地方財政−中国を中心に」は、地方財政論の既存研究を参照しつつ「分権化」の目的と諸条件について整理した上で、近年の中国の「分権化」をめぐる状況を概観したものである。
 第五報告、陳忠雲氏(神戸大学大学院)「中国農民集団化運動(1951年−1962年)の研究」は、1950年代の農村集団化運動を、オルソンのフリーライダー論などを援用しつつ、「合理的農民像」という、方法論的個人主義の立場にたったモデルによって説明することを試みたものである。
さて、以上の報告者名と所属を見れば分かるように、比較的若い大学院生による、そして中国ネイティヴの研究者による報告が目立ったのが、今回の中国部会の特徴の一つであった。これは確かに、近年の日本における中国経済研究の「若年化」および「国際化」と、それに伴う研究者の層の厚さを印象づけるものだといえるだろう。しかし、同時に強く印象に残ったのは、何人かの報告内容に対し、司会者の方から「テーマ設定が少し古いのではないか」という批判が投げかけられたことである。自戒も込めて言うならば、中国の政治・経済研究を志す若い研究者が急増し、お互いの「競争」が活性化する一方で、よくいえば「手堅い」悪く言えばやや「硬直化した」研究テーマを選択する傾向が生まれつつあるといえるのではないだろうか。前述の司会者の苦言は、そういった若手研究者全体への叱咤激励の言葉であったと受け止めたい。
 その意味で,今回の西日本大会で,統一テーマによる全体部会が開かれず,結果として異なった部会間の共通の話題が存在しなかったことは少し残念だったといえるかもしれない。真の意味での研究の活発化には、隣接する分野の研究者との議論や相互の批判を通じて刺激を受けることが不可欠だと考えるからである。一方で、今回の薛氏の報告のように,大きな研究プロジェクトの参加メンバーによる研究成果の発表に触れることができたのは、大変刺激的な経験であった。さまざまな共同研究プロジェクトに参加されている会員各位には,今後もこのような形での「還元」を積極的に行っていただけるよう期待したい。
 また、本分科会ではコメンテーターも合わせ、参加者がなぜか関西在住の研究者に偏っていたことも、九州地区の大学を会場とした大会としては若干物足りない点であった。これだけ大きな学会に成長した以上,今後は各地域で院生の報告を中心とした研究集会を積極的に組織し、若手研究者の報告の機会を確保していくことも必要になってくるのではないだろうか。
 以上、注文ばかりが多くなってしまったが、これは偏にアジアに関する社会科学系の学会としては日本最大級のものであるアジア政経学会に対する、一会員としての期待の大きさを反映したものだと理解されたい。最後になるが、大会を準備・企画された主催者各位のご尽力に敬意を表したい。

第三分科会(台湾関係部会) 園 康寿(梅光学院大学)
2001年度アジア政経学会西日本部会が立命館アジア太平洋大学(大分県別府市)にて開催された。報告者が25名に達したため、共通論題・自由論題といった二部構成ではなく、部会報告(五つの分科会)が午前・午後を通じてなされた。本稿は第三分科会(台湾関係部会)の参加記である。第三分科会は座長に朝元照雄氏(九州産業大学)を迎え、以下四点の報告がなされた。(1)「台湾の石油化学工業の成立過程について――産業発展メカニズムをめぐって」報告者:陳正達(京都大学大学院・経済学研究科博士後期課程)、予定討論者:やまだあつし(名古屋市立大学)、(2)「中国の『一国ニ制度』と世界システム論」報告者:胡景耀(神戸大学大学院博士課程修了)、予定討論者:趙鳳彬(筑紫女学院大学)、(3)「いわゆる台湾の国連再加盟問題と国際関係――共和国の難民政策と関連させて」報告者:山岸健太郎(愛知大学大学院中国研究科博士課程)、予定討論者:張国興(久留米大学)、(4)「半導体産業の特徴にみる今後の戦略的展開――台湾半導体産業を中心に」報告者:劉容菁(立命館アジア太平洋大学)、予定討論者:石田浩(関西大学)である。以下、各報告の要旨を報告、ペーパーにもとづいて記す。
(1)の陳報告:台湾の石油化学工業は川下部門からの誘発という一般的な認識とは異なり、最初から戦略産業として国家の工業化政策構想に位置づけられ、国内における総合的な産業体系の成立を目標に、政策当局が追求した典型的な産業であった。この意味において、中小企業を中心とする石油化学関連産業(=川下部門)の発展に単線的に誘発される雁行発展理論を台湾の石油化学工業の発展に当てはめることはできない、と報告。この点に関して雁行モデルの支持者から前提条件やモデルの適用などに相違があるのではと議論がなされたが、時間切れに終わった。双方のペーパーに期待したい。
(2)の胡報告:世界経済の中での地域金融センター・経済センターとして成長し得た香港と中国との関係、および世界システム(ウォーラステイン提唱)参入戦略の一環とする中国自身の直接システムへの参入(WTOへの加盟申請)の試みはまさに中国の国際社会参入、世界システム参入推進の車の両輪である。中国の「一国ニ制度」のゆくえは、世界システムの三層構造(中心・周辺・半周辺)の中における中国経済の成長と構造変動を見据えた上で、香港の役割が変化しても、むしろ同じ資本主義システムという枠組みの中で、中国は香港と同質な「一国一制度」への歩み寄りの可能性がある、と報告。報告に対して、「一国ニ制度」を政治的論理・経済的論理の両視点からどのように捉えられるのか、なぜ「一国ニ制度」が必要であり、如何にして可能にしたのか、「一国ニ制度」の台湾への適用をどのように考察しようとしているのか、「世界システム」において中国・香港はどの位置にあると想定しているのか、中国経済発展において香港と上海との位置づけはどのように考えているのか、などの質疑がなされた。
(3)の山岸報告:台湾の「統一」「独立」のゆくえを台湾の国連復帰運動を通じて考察しようとしていた。1993年より台湾は友好国を通じて、国連総会総務委員会の議題として「国連総会第2758号議決」の再検討がなされるよう働きかけている、と報告。報告に対して、「中国外交」「国連再加盟問題」「難民政策」の三つのテーマをどのように関連付けるのか、国連の視点から中国と北朝鮮の二国間協定の「難民送還」をどのように見るのか、国連復帰を台湾ではどのように捉えているのか、などの質疑がなされた。
(4)の劉報告:政府主導のもと半導体というハイテク技術の導入により研究開発が開始され、スピンオフや企業奨励の諸制度により産業技術人材が循環的に創出されたことによって、台湾半導体企業の戦略は民間企業生成の基盤を形成した。またインフラ投資をはじめ、国内教育制度やシリコンバレーとの連結および海外華人を含む人材の動員・組織化などによる人的資源のマネジメントを通じて、台湾半導体産業は資金、技術、生産マネジメントの面においても国際的に展開する方向へと向かう。分業ネットワークの形成として、台湾半導体産業には、設計、マスク製造、ウェハー加工、組立(パッケージング)、検査に至る半導体生産工程の各工程に専業企業がある。こうした特徴から台湾半導体産業はこれまで輸出を推進してきた中小企業性の強い分業ネットワーク型組立産業であることがうかがえる。台湾半導体産業およびその担い手である企業が抱える課題として、1)専業ファンドリーによる技術獲得の限界性、2)R&D部門の特徴にみる課題、3)大陸との国際競争関係にみる課題、などがある、と報告。報告に対して、台湾のハイテク産業の中国への移行という経営戦略をどのように考えるのか、またハイテク産業の空洞化現象をどのように捉えるのか、台湾経済の生き残りを考えるとハイテク産業の積極的な研究開発が必要ではないのか、「分業ネットワーク」の優位性とは具体的にはどのようなことなのか、今日の半導体産業の低下現象はどの部分の優位性が欠けて来たとみるのか、などの質疑がなされた。
最後に、参加記執筆者の研究領域や紙面等の関係上、報告者の意図が十分に表現できたとは考えられない。報告者の方々の論文成果に期待する。

第四分科会(文化・文学部門)             山腰敏寛
 さて、今回開かれたアジア政経学会西日本支部会(於立命館アジア太平洋大学)において文化・文学部門の分科会が初めてもたれた。これから実りある部会となることが望まれる文化・文学部門の展開をまとめてみたいと思う。
 ただその前に、政治・経済を銘打つ学会で文化・文学を立ち上げることに意味を考えてみたい。あくまでも私見により。
 旧来からあった他の部会というのは、ある意味デジタル的なプロセスが欠かせない。数値を操り、数値でなくとも科学的たらんとして他者が誤解することがないような用語を駆使し、発表討論に努めるのである。これに対して、文化・文学というのは多分にアナログ的である。各文化の諸相やことに人々の欲望や、怒り・哀しみなどは数値的に表すことは難しいし、不可能とも言えるし、時には無意味ですらあろう。それはそのままあるものとしてとらえると言うことではアナログ的といえる。しかし、あなどれない世界である。時として不合理・不条理に人を突き動かす衝動・欲望もアナログ的とも言えるが、それが織りなす営みが政治・経済・歴史などの社会諸事象ともいえるのだから。
 文化・文学という分科会という枠組みを設定したということは、アナログ的なものをアナログ的に(デジタル的な手法は当然として)とらえる枠を設定できたことになる。
 また多くの場合、過ぎ去った歴史を大衆に伝えるのは物語であり、人は時として物語に託して自らの人生さえ生きていくのであるから、物語の構造、侮るべからず、軽んずべからずである。
 そうした一方、実際精緻な論理で組み立てられたはずの学説がとことんのところ与えるのは、逆説的だが、アナログ的な感動を与えるものである。優れたデジタル的分析はアナログ的感興をもたらすものでもある。CDだって、結局二進法でありながら、全体を通して聞くと、素人耳にはアナログレコードがもたらす感動と代わらないでのある(玄人耳には別らしいが)。むしろ、社会を分析する諸科学というのは、最終的にはアナログに回帰していく過程なのではないかと思う。では、文化会の内容の簡単な紹介をしておきたい。一方的な記述になることを御了承願いたい。
 座長を務められたのは立命館大学の齋藤敏康氏である。
1、「儒商・徳知」の道―理・礼・力・利を軸とする日本の経営文化と中国の統治文化論/報告者…夏剛(立命館大学)討論者…山腰敏寛(徳島県立徳島北高等学校)
 政経学会における報告ということで、夏氏は「理・礼・力・利」を軸に多方面から報告されたが、討論者であった筆者は、報告を踏まえ儒学が思いの外、「商」または経済とと深い関係にあること(起源においてすらそうであること)、それは明清思想史研究の大勢も「私欲」を肯定する流れを認めていること、「四つの小竜」のバックボーンとして無視できない儒学、孔子以来延々と変容しつつも存在し続ける儒学・儒教を追究することは充分に今日的な問題であると指摘した。
2、ある中学教師の「文学概論」−民国期における本間久雄・厨川白村・小泉八雲文学理論の受容/報告者…工藤貴正(大阪教育大学) 討論者…水羽信男(広島大学)
 民国期に、小説のみならず、文学理論の導入が行われた。副題に示された人々の文学理論が精力的に翻訳紹介されている。訳者の一覧の中に魯迅の名前も見えた。報告に対し、討論者の水羽氏は1920年代に精力的に行われたこの活動の歴史的な位置づけをより明確にしようとした。筆者は当時の文学や文学理論は社会変革のエネルギーともなり道具ともなった大きな存在であったはずだし、精力的な文学理論の導入により何をしようとしたもののか? というのが、今となっては疑問におもっていることなのである。やがてマルローが『人間の条件』を書く時代なのであるのだから。
3、日中戦争期・中国国民党政権の高等教育政策に関する初歩的考察―高等教育改革における知識人の関与とその役割を中心に/報告者…橋本学(広島国際大学) 討論者…丸田孝志(広島女学院大学)
  日中戦争期に、高等教育(大学以上の教育)機関が疎開していたことはよく知られているが、その政策・政策を担った機関についての研究がなされていないとの現状が示され、戦後の内陸の発展など今日にいたる影響を踏まえて種々の施策・組織・立法が紹介された。討論者の丸太氏は当該時期の政治史にも詳しいため矢継ぎ早に、機関名を列挙しつつ質問を発せられた。筆者としては資料の中に、大学がどのように疎開していったかをまとめた一覧表があり(高等教育機関の動向)、教育界の末席をけがす者として、何年も戦火の中教育活動を続けた当時の教育者と学生の苦労をしのばれてならなかった。そのような疎開を強いた日本軍の非道さは論外であるが、こんな中でも勉強と研究をつづけようとしたのかと想像すると、頭を垂れるしかない。
 さて、最後の二つの報告は文学者の有り様を巡る報告であった。
4、竹内正一の文学に見る「満洲国」の受容/報告者…岡田英樹(立命館大学) 討論者…黄英哲(愛知大学)
 「満州国」の諸相をえがいた竹内正一の作品を紹介する。報告された岡田氏には専著『文学による「満州国」の諸相』があるとこと。筆者、不勉強のため未読でした。失礼しました。また台湾における文学についても討論者の黄氏から言及があった。大陸にわたった日本人にどのような人がいて、どのようなコミュニティがあり、彼らが見て当時のロシア人と中国人はどうだったとかなど、当時に雰囲気を伝えてくれる文学者を知ることができて面白かった。デジタル的な研究過程では捨象されてしまいがちな雰囲気などを、多少のバイアスがあるにしろ、伝えるというのは文学の真骨頂であろう。
5、軍政下≪ジャワ≫における日本知識人の問題―徴用作家を中心に/報告者…木村一信(立命館アジア太平洋大学) 討論者…小沼新(宮崎大学)
 第二次大戦中に、画家・作家・漫画家が戦争協力したというのはよく知られたことであるが。ジャワに赴いた作家の中に今日的に見ても日本の戦争のありようと自分たちの扱われ方を冷静・真摯に受け止めていた作家が三人(うち二人は阿部知二と小野佐世男)いたという報告であった。このような人々がいたということをきくとほっとする。討論者の小沼氏の質問から導き出された、「徴用を拒否した作家がいなかった」こと、「左翼系の作家が徴用されて免罪符をもらったかのように喜んでいた」こととか、「現地に赴いた作家を現地の兵隊も扱いに困り、軍の上層部も作家たちを組織だって利用していなかった」いう指摘が妙に可笑しかった。システムを運用するのに長けたアメリカ人なら、作家を大いに利用して組織だった宣伝活動をしただろう。
 しかし、軍部のいいなりに戦争に突き進んだ日本と構造不況の前におたおたする日本。半世紀もたって、今の日本に大した進歩も見られないとしたら、笑い事ではすまされないことである。後世や外国から見て今の日本がまともな国なのかというのが今考えなければいけない問題だろうと思う。

座長報告 斎藤 敏康(立命館大学)
 文化・文学関係部会がもたれたのはおそらくアジア政経学会西日本部会大会始まって以来のことであるという。調査統計あるいは理論に基く議論や政治経済情勢の分析だけでは 潤いを欠く、そうして議論の対象となる諸情況を文化の深みからも照射してみたいという金丸裕一立命館アジア太平洋大学現地実施責任者の発案である。
 結果的には、民国期(あるいは満州国時代・太平洋戦争期)の文化"交流"と知識人とうように統括できる四報告と日中の経営文化と統治哲論の比較分析を試みたユニークな報告によって、西日本大会の議論の豊穣に一定の寄与をなしえたのではないか。
 第一報告「『儒商・徳知』― 理・礼・力・利を軸とする日本の経営文化と中国の統治文化論」において、夏剛氏(立命館大学は、明治から昭和にいたる日本資本主義の発展を担ったのは儒教的な道徳律や素養をもつ儒商たちであったとして、福沢論吉、渋沢栄一、松下幸之助らがいかに儒教の経典から経世の哲論を演繹してきたかを豊富な事例で示しつつ、実は中国共産党の指導者、なかんずく毛沢東、ケ小平の統治論にも儒教と共通する言説と発想があり、それらは理礼力利を軸とする四極摸式の多様なヴァリューションとして表現されるというように経営文化と統治論を関連づける。
 第二報告は工藤貴正氏(立命館大学)「ある中学教師の『文学概論』― 民国期における本間久雄・厨川白村・小泉八雲文学理論の受容」である。民国20年代は西欧的近代文学の中国への受容移入過程で文学の革新が進んだ時代であった。伝統的な芸文観を脱却し新しい時代の文学論を構築する試みはひとり文壇・学界の大家のみならず、地方の中学で文学を講じる教師の教案を基にした『文学概論』にも及んでいたという事実を、工藤氏は、王耘荘著『文学概論』一書が本間久雄、厨川白村、小泉八雲の受容と引証によって成り立っていると論じることで証明する。
 第三報告、橋本学氏(広島国際大学)「日中戦争期・中国国民党政権の高等教育政策に関する初歩の考察 ― 高等教育における知識人の関与とその役割を中心に」は、国民期とりわけ抗日戦争期に「抗日」をもひとつの課題としながら、高等教育政策と制度の改編がどのように展開され、そこに知識人たちがどのような議論を引っ提げて関与したかを検討しようとする。橋本氏の研究は全体として、抗戦期を中心とする民国期高等教育の歴史的網羅的研究にひとつの端初を拓きつつあるといえる。
 第四報告、岡田英樹氏(立命館大学)「竹内正一の文学にみる『満州国』の受容」。「満州国」で営まれた日本人の文学活動は建国の理念や目標に対して一枚岩であったわけではなく、文学が育った背景などによって地域的な差異が存在した。岡田氏は、竹内正一という在満作家の作品を鑑賞することを通じて、「大連イデオロギー」といわれる文学動向に、「協和理念」に同化しない抵抗態としての質を見極めようとする。
 第五報告は木村一信氏(立命館アジア太平洋大学)「軍政下《ジャワ》における日本知識人の問題 ― 徴用作家を中心に」である。15年戦争期の殖民地における日本(語)文学がさまざまな観点から復元され批評されているが、木村氏は太平洋戦争中の南方徴用作家について特に阿部知二と小野佐世男を取り上げて、軍部の意向の体現に解消しきれない作家のパーソナリティと、その眼底に捉えられたジャワの美しさ、リアルな現実を再現しようとする。
 人間の政治経済活動もまた、それぞれの社会の歴史、文化の層積が生み出す観念を背景として営まれるわけで、その意味では国際地域の歴史文化への目配りも欠かせないといわざるをえないだろう。文化文学部会の定着を望みたいものである。

第五分科会(歴史関係部会) 
その1 貴志俊彦(島根県立大学総合政策学部)
海抜400メートルの高地に設置された立命館アジア=太平洋大学は、あいにくの天気に見舞われ、参加者はあたかもテオ・アンゲロブロス監督のギリシア映画『霧の中の風景』をみているがごとき気分になったことだろう。こうした茫漠とした風景が暗に象徴しているかのように、今日、日本における20世紀中国史研究のゆくえは、何をめざし、何を明らかにすることに意義を見出しているのかが、いささか不透明になりつつある。
 今回の西日本部会が例年以上に大盛況であったことはのぞましい。会場大学のスタッフが、円滑に議論を進めるために、細かい心配りをし、最大限の努力を尽くしていたことは手にとるようにわかり、感謝するほかはない。また、歴史部会の個別報告のうち、海関統計を精緻に分析した木越報告、中国空軍成立期の状況を忍耐強いヒアリング調査などで明らかにした水谷報告が今後の新しい潮流を生みだすのではとの予感を得たことなどは筆者にとっては収穫だった。また、東北地域を対象とした松重報告や河南省を検討素材とした坂井田報告は、档案などの史料調査の成果に負うところが大きい地域研究にとって、分析方法の課題がいまもなお残されていることに気づかせてくれた。
 ただ、細分化された部会、議論をつくせないタイムスケジュールは、筆者ひとりの感想にすぎないにせよ、知的燃焼とはほど遠い空間を形作っていたように思える。報告時間に制限があるのは当然にせよ、コメンテーターの論評が断ち切られ、フロアとの質疑応答がともすれば形式的におわってしまいがちだったことは、論文を「読む」という静的な作業とはうってかわって、熾烈かつ緊張感のあるダイナミックな討論・議論の「場」を期待していた筆者にとって、いささか拍子抜けの感さえあった。司会者がタイム・キーピングに困惑している姿をまのあたりにして、やはり今後、企画、運営上の工夫が必要だと思えた。

その2 金子 肇
 大会当日はあいにくの雨模様。バスに揺られて立命館アジア太平洋大学に着くと、辺り一面が濃い霧におおわれ、最初は会場の建物を探すのに一苦労するほどであった。けれども、いったん会場内に入ると、施設は新しく清潔感にあふれ、また大会終了後の懇親会に至るまで運営にきめ細かな配慮が感じられて、大会そのものは極めて気持ちのよい環境のなかで進められた。企画・運営に当たられた立命館アジア太平洋大学の関係者各位に、まずは感謝の意を表しておきたい。
 さて、私が出席した第五分科会(歴史関係部会)では、あわせて5本の報告が行われた。報告の内容を振り返って気づくことは、5本全てが中国を対象としていること、そして時代別に見ると、海関統計を素材に19世紀末以降の華北経済を対象とした木越報告、19世紀末から1910年代までの上海日系雑工業について検討した許報告からはじまり、1928年に起きた奉天総商会の会董改選紛糾問題を扱った松重報告、1929〜30年にかけての河南村治学院の設立と解散の意味を問うた坂井田報告、そして日中戦争後から新中国建国期を対象に人民解放軍空軍建設に関与した日本人教官の帰趨を明らかにした水谷報告に至るまで、時代性に富んだ実に多彩な報告がなされたことである。
 時間の制約から十分に討論が煮詰められなかった憾みはあるものの、それでも限られた時間のなかで活発な質疑応答が交わされ、参加者の熱気を肌で感じることができた。ここでは個々の議論について紹介はできないが、とくに方法論に関わる問題として、討論者の一人であった曽田氏が、経済学的視点と歴史学的視点との違いを意識しつつ発言したことに注目しておきたい。歴史研究者が歴史学ならではの個性を発揮し、アジア研究全般にいかなる形で寄与していくのか、あるいは現代アジアの状況を視野に収めつつ、いかに問題を提起をしていくのか。当日の議論を聞きながら、アジア研究における歴史学の存在意義について改めて思いを致らされた次第である。

小島朋之前理事長の公開講演         駒見一善(立命館大学大学院)
講演は「東アジアと日本 地域協力の発展に向けて」というテーマで行われた。
文化・経済・留学生をはじめとする様々なレベルでのアジアと日本の関係が密接になってきている現状、またグローバライゼーションが叫ばれながらWTOの新ラウンド、京都議定書におけるアメリカの対応などその進展が進まない中、東アジア地域協力によってこれらの問題に対応しようという地域主義が台頭してきている。東アジア多国間協力に中国も積極的姿勢を示す中、経済協力から安全保障、東アジア共同体構想まで提起されている。以上のような現状の下、東アジアの地域協力枠組み作りの中で日本が果たすべき役割は拡大し、東アジア諸国からの期待も大きくなっている。
通貨金融危機対応の為、新宮沢構想で300億ドルを拠出した日本の貢献は、東アジア諸国からも高く評価されている。今年の通商白書においても「日本経済再生の機会をアジア経済の躍動の中で掴むべき」という認識もある。しかし、小泉内閣の所信表明においても日本は依然として「二国間」関係を中心とした外交戦略を持つに過ぎない。東アジア諸国の日本への期待が失望にならないよう、東アジア多国間協力の潮流をもっと重視しなければならない。以上が講演の要旨である。
小島朋之会員の講演は多くの示唆を含む豊富な内容で、特に中国指導者層の「東アジア多国間協力の模索」についての指摘は、中国と東アジア諸国との外交関係に強い関心を持つ筆者にとっては大変勉強になった。ただ中国外交政策の政府内におけるブレも無視できない問題であり、中国の「東アジア多国間協力の模索」も各論段階では未だ未知数だといえる。また「二国間」の経済協力での日本・シンガポールFTA構想は、地域全体の同意を待てない現状やこれまでのFTAの議論にはなかった若い有能な人材の交流まで含んだ内容で、二国間関係の発展が今後の地域協力を大きく広げる可能性をもっている。これらの点について講演時間の制約もあるが小島会員からの言及があれば、楽観的見解に見えがちな東アジア多国間協力の可能性をより具体的に理解できたと考える。
 


新入会員自己紹介  (順不同)
 2001年度春に入会された方々の中から寄せられたご挨拶です。

初めまして                      山腰敏寛 
 徳島の山腰ともうします。田舎の高校の教員をしています。
 これまで高校の先生の趣味でやってきたこと。
*書いたもの:『清末民初文書読解辞典』1989年 1月 汲古書院『清末民初文書読解辞典・改訂増補版』1994年11月 汲古書院
*翻訳したもの:翻訳『モルモットをやめた中国人−米国人ジャーナリストが見た中華民国の建設−』1993年5月 東方書店 原著 Carl Crow, China Takes Her Place, Harper & Brothers Publishers,1944.
*論文:1 「陶鬻の「票法」の採用について」1992年3月 無窮会『東洋文化』
     2 「アメリカの対中宣伝活動と五四運動」1994年9月 無窮会『東洋文化』
     3 「五四運動與美国対於中国宣伝活動再論」1999年6月『五四運動八十週年学術研討会論文集』
*関心のあること:清朝と民国期の公文書、道光朝の経世官僚、カール=クロウ。
*尊敬する作家:クリント=イーストウッドと藤子・F・不二雄です。

ご挨拶   桾沢英雄(東京外国語大学大学院地域文化研究科博士前期課程)
 このたび入会させていただきました桾沢英雄と申します。
 研究対象国はインドネシアで、相互扶助(ゴトンロヨン)に関わる様々な問題に興味を抱いております。発展途上国としてのインドネシアの社会保障と相互扶助慣行の関わりの問題、インドネシア政治における相互扶助概念の在り様の問題等が関心領域であります。
 私は以前、保険会社に勤務し、保障マーケティングの面から消費者の意識調査(価値観調査等)を行い、マーケット動向の把握を試みたことがありました。また、インドネシアの保障マーケットについて資料調査を行ったこともありました。保障と相互扶助とは理念上切っても切れない関係があります。インドネシアの相互扶助概念には、住民の価値観が何らかの影響を及ぼしているようにも思えます。このような背景が、現在の私の関心領域設定に関与しているようです。
 アジア経済危機以後ここ数年、インドネシアは政治的にも経済的にも困難な状況にあります。今後何らかの形で自分の研究が、現地のお役に立てることがあればと思うと同時に、現地の事情から学ぶ事柄が何らかの形で私達の役に立つこともあれば幸いなことだと思っております。
 会員の諸先生、先輩方には、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。

元気のない日本企業のアジア事業展開    石井 昌司(共愛学園 前橋国際大学)
 この度入会を認めていただいた石井昌司です。どうぞよろしくお願いします。
 私は旧輸銀(現国際協力銀行)で長年投資金融を担当していたことから、日本企業の海外事業展開に興味を抱き、主としてヒアリングを通じてその調査研究を行っていましたが、91〜94年にバンコクに駐在したことを契機に日本企業のアジア事業展開に関心の重心を移しました。それ以来日本企業のアジア事業展開と並んで直接投資という観点からアジア経済も見つめています。
 近年アジアでは、欧米企業の積極的な進出や韓国、台湾、中国といったアジアの地場企業の活躍が目立ちますが、それに対して日本企業のアジア事業展開は元気さに欠けます。欧米企業はIT産業、化学産業、金融業などアジア諸国が望んでいる分野での企業進出が盛んですが、日本企業の場合には国際競争力を失ったものの移転が依然として主流を占めるなど後ろ向きの直接投資が目立っています。こういう現実を目にする時、日本企業のアジア事業展開だけを追っていても意味がないように思われてきて、欧米企業との比較において見る必要性を痛感しています。なぜ日本企業は先進的事業でアジアに進出しないのか、なぜ日系企業の利益率は欧米系企業より低いのか、なぜ日系企業では現地人の幹部登用があまり進まないのか、なぜ日系企業は現地の頭脳をうまく活用できないのか、などに最近興味を持っています。
 ご指導のほどよろしくお願いします。

中国朝鮮族教育を探求して      出羽孝行(龍谷大学大学院)
 初めて外国へ行った先が北京と上海で、今から9年前のことになります。その後、韓国に留学する機会を得ることが出来ました。思えば、この時から自分と東アジア地域を結びつけるものがあったように思います。
 このたび、ご縁あって「アジア政経学会」に入会させていただき、ありがたく思います。私にとりまして初めての教育系以外の学会への加入となります。研究テーマは中国吉林省延辺朝鮮族自治州を中心とした地域の中国朝鮮族の民族教育についてです。1995年にこのテーマを学部の卒論研究にして以来6年になりますが、この間に中国朝鮮族も以前よりは注目されることが増えたように思います。狭い意味では中国国内の教育研究でありながら、文化的な面で朝鮮半島とも関わりをもって研究できる点が魅力と感じております。
 教育学的な視点のみにとらわれすぎることなく、他の社会科学分野のご専門の方々からも多くのことを学ばせていただきたく思いますので、どうかよろしくお願いいたします。

自己紹介  Woo Keng Yew
略歴:1947年マレーシア・クアラルンプール生まれ。1969年来日、日本語習得。1974
年近畿大学理工学部卒業。1975年ロンドン大学王立鉱山学部金属工学研究科中退後、1977年タイのアジア工科大学院(A. I. T.)環境工学修士。同年再来日、宝石輸入販売会社設立。宝石を産地より輸入ーー香港中継地利用ーー大陸の低コスト生産の合理化経営の為、1992年広東深せんにて工場開設。
 1993年大学院の研究復帰。1995年神戸大学国際協力研究科国際学修士。2001年
同研究科政治学博士。
研究テーマ:一国二制度、中国近現代思想、および政治・経済
著書および論文:『也談一国両制』高業企業有限公司;「中国の一国二制度と世界システム論」(博士論文)
 メッセージ:数百年ぶりの経済躍進は、いま中国全土に渡って展開されている。中国における政治・経済・法制の改革は、物事をその根本から考え直して見ることが大切である。特に、「一国の二制度」の対台湾売り込みは、より柔軟性が必要であろう。

「労働政治体制」分析を通じて開発独裁の研究深化を
 金元重(キム ウォンジュン) 新潟産業大学人文学部

 私は1951年東京で生まれ育った在日韓国人二世です。現代韓国の政治・経済を研究しています。私の研究の出発点は、大学院時代に本会の会員でもあられる絵所秀紀先生(法政大学)のもとで「開発の政治経済学批判」への眼を啓かれたことだったと思います。これまでの主たる研究テーマは、1960年代以降の韓国の工業化と経済開発体制の特徴を「開発独裁」概念を基軸に捉えることでした。最近の問題関心は、60年代以降、とりわけ1987年民主化宣言以降現在までの韓国労使関係の展開過程を、ダンロップの「労使関係」論的枠組によってではなく、国家-労働-資本の政治的・戦略的相互作用の枠組としての「労働政治体制」という分析概念で捉え返し、これを歴史具体的に研究することです。これにより開発独裁体制分析のなかに労働を位置付けることができるとともに、80〜90年代の開発独裁体制から民主化への韓国社会の動きを、構造的かつ政治的(運動史的)に把握できるのではないかと考えています。

インドシナの華人  野澤 知弘(東京外国語大学大学院地域文化研究科博士前期課程)
私は大学卒業後、大手メーカーにて一貫して海外業務(中国)に従事して参りました。そして、中国人とのビジネス商談、頻繁な中国出張等の商務活動、現地滞在経験を通じて、専攻言語向上の付加価値的要素である現地人の思想や風俗習慣並びに生活様式等についてもある程度体得したつもりであります。
 社会人になって以降、ある人文地理学者が執筆した「東南アジアのチャイナタウン」という書籍を精読しましたが、これには非常に感化されました。我々は世界各地至る所でチャイナタウンを看取出来ますが、その繁栄には、実は当該国家の政治体制、外交施策と微妙に関連しており、当該国と中国との関係、当地の華僑・華人の商務活動、政治参与、アイデンティティなど様々な要素が凝縮された故に構築されているということを認識させら
れ、同時にこれら華僑・華人の商業活動が祖国(中国)に対しても経済的寄与をしているということも理解させられました。換言すれば、当該国家においても、華僑・華人によって、中国文化が形成され、またその伝統が墨守されているのであります。
 東南アジアのチャイナタウン及びそこでの華僑・華人の実態については、既に複数の学者により先行研究が成されていますが、一方のインドシナ地域は、外国との戦争、自国内戦が終結してまだ日が浅く、国家としてまだ未成熟であり、且つインフラ基盤も脆弱であるという面も起因して、華僑・華人社会に関する現況についてはなかなか掌握し難いのが
現状であります。
 私は、どちらかといえばマイナーな部類に属するこれらインドシナ地域の華僑・華人の生活に着眼し、そこでの中国文化がどのような過程を経て形成されたのか、そして如何様
にして今日に至っても堅持し続けられているのか、また本国(中国)への経済貢献の実情は如何様になっているのか、について深く掘り下げて考察したいという願望から、研究を志したものであります。
今後は諸先輩の先生方に御教示御鞭撻を賜ることが多いかと思いますが、何卒宜しくお願い申し上げます。

中国の現場から                諏訪 一幸
1986年の外務省入省以来、ほぼ一貫して中国畑を歩んでいます。東京の本省勤務を除くと、北京、台北、上海の各地を渡り歩いており、現在(7月末)、北京の大使館政治部に所属しています。
 皆様ご存じの通り、日中関係の現状は大波、小波の連発で、こと話題に欠きません。私の仕事の関係で申し上げますと、今年に入り、特に4月以降は教科書、李登輝氏訪日、そして靖国神社参拝など、中国政府の言葉を借りますと「目にしたくない」問題が続発しており、忙しい毎日が続いています。
 かように、オフィスワーク中心の日々ではありますが、アカデミックな世界との接点は常に保ちたいと思っていました。中国政治(中国共産党の権力構造。台湾をとりまく内外情勢)に関するエッセイを幾つか書いたこともあります。今回の入会を、中国問題に対する理解・研究を深める一つの良い機会にしたいと考えています。
 皆様からのご指導を賜りたく存じます。北京にお越しの際は是非お声がけ下さい。電話番号は、86-10-65322361(大使館代表)です。」
      
言論政策と憲政実施―戦後中国(1945―1949)の自由と秩序―
中村元哉(東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻D2)

従来の戦後中国史研究は、内戦(敗北)・混乱・腐敗・・・等の言葉をキータームに当該時期のダークなイメージを強調し、戦後の憲政実施に対して否定的な評価を下してきた。だが、民主化の一つの指標となる「言論の自由化」に注目して当該時期を再分析すると、戦後国民党政権が戦後初期(45年〜47年)に言論統制を解除し、「党国体制」の再編(宣伝部職権の内政部への移管)に着手していたことが分かる。事実、戦後初期という短期間ではあったが、戦後の言論界も復興・発展段階にあった。本研究は、憲政実施を目指した戦後国民党政権が、厳しい軍事・経済情勢の中で全体の秩序維持を図りながら、言論の自由化をどの程度実現していたかについて、大陸(第二歴史档案館、南京図書館特蔵部、上海図書館、重慶図書館)・台湾(国史館、党史館[=旧党史会])に現存する一次史料を駆使しながら解明していく。そして、従来の非民主的なイメージで塗り固められてきた戦後国民党政権像を再検討し、台湾撤退以後の政治体制との関連性を考えてみたい。

ご挨拶               大平 剛 (名古屋大学大学院国際開発研究科)
 この度入会を認めていただきました大平と申します。私は開発援助、特に国連の開発援助戦略を研究しておりますが、国連の本部レベルで議論されている援助戦略が、途上国の現場で実際にどのように運用されているのかに関心を持っております。特に、貧困削減問題に対して、ガヴァナンスの改善等の戦略がうたわれておりますが、政策の実体がいかなるものなのかについては不透明なことも多く、その点を解明していきたいと考えております。そこで、ドイモイ政策による著しい発展の一方で、貧富格差の拡大や少数民族問題を抱えているヴェトナムをフィールドとして、検証作業を始めだしたところです。もともとヴェトナム研究者ではない私にとって、彼の地での調査は苦労の連続ですが、訪れるたびに人々の暖かと逞しさに触れ、単に研究の対象としてではなく、これからも彼の地がどのように発展していくのかを見続けていきたいと思っております。今後とも諸先生方からのご助言を賜りましたら幸甚でございます。よろしくお願い申し上げます。

ご挨拶         張 済国 
 この度、アジア政経学会の新入会員になり、非常に嬉しく存じます。
 私は、小さいごろには韓国で、青年期になってからは米国で育ちました。大学と大学院はワシントンDC所在のジョージ・ワシントン大学で国際政治学を、ニューヨーク州にあるシラキュース大学ロー・スクールでは法律を研究し、米国の弁護士資格を取得しました。その後、伊藤忠商事株式会社の東京本社で勤務することになり、日本に来るようになりました。現在は、日本所在のある米国系会社の東北アジア地域の監査役として務めています。
1997年には慶応義塾大学の博士後期過程に入学し、小此木政夫先生の下で米国の北朝鮮政策を研究し、今年7月初、提出していた博士論文が審査委員会を通過したという連絡を受けたばかりです。
主要研究テーマは、米国の北朝鮮政策、米国の対外政策決定過程、韓国政治、北朝鮮
の国内事情などです。今後ともよろしくお願いいたします。

ご挨拶       内藤二郎(神戸商科大学大学院経済学研究科博士後期課程)
このたびアジア政経学会に入会させていただきました。内藤と申します。現在神戸商科大学大学院博士課程に在籍しております。中国経済を研究対象とし、特に財政問題を中心に研究しております。「計画から市場へ」そして「中央から地方へ」という中国の政治経済体制改革の「二重の分権化」過程に関心があり、中でも政府間関係(中央と地方)および政府と企業の関係に焦点を当てて、中国の現状分析を続けております。現在は政治体制改革と分権化問題(財政を中心に)、市場化過程における中央・地方政府の役割、中国における二重の分権化の根拠などをテーマに研究を進めております。中国研究を進める際には、中国の実態を把握することが重要であることは言うまでもありません。特に歴史的、政治的側面を含めた中国の特徴について理解を深めることが重要であると強く感じます。しかし同時に、中国経済の国際社会におけるパフォーマンスが益々高まるなかで、経済学の理論的枠組によって中国を見た場合どのように位置付けることができるか、或いは国際的な視点から中国の現状はどのように説明できるかなど、可能な限り一般的な視点で中国経済を分析することも必要であると感じており、私自身の大きな課題であり目標でもあると考えております。いずれにせよ、私自身まだまだ微力であり課題は山積みですが、少しずつでも着実に成果を挙げるよう努力して参りたいと考えております。今後は、学会やその他多くの場面で皆様方のお世話になる機会があると存じますが、どうぞ宜しくご指導、ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。

ご挨拶            李為(京都大学大学院経済学研究科博士課程後期)
新入会員の李為驍ニ申します。三年前台湾から参りました。現在、『戦後台湾における中央銀行の復業−台湾銀行との関係を中心に』というテーマを勉強しております。
1949年末に、中央銀行は国民党政府に従って台湾に移転されたが、ただちに業務が復活した訳ではなく、各業務は引き継いで台湾銀行に委託しました。1961年中央銀行の業務が復活した後も、例えば通貨発行などの業務は引き続き台湾銀行に委託されており、中央政府と台湾省政府の政治上の二重機構を反映した金融制度上の二重構造が鮮明に見てとれます。そして、経済発展の過程の中で、例えば外貨為替制度、銀行に対する参入規制などの各種類の制限が設けられており、それゆえに社会資源の再配分が歪む可能性もあります。私は以上のような台湾の金融制度及びそれに対する制限または規制という問題を考えていきたいと思います。会員の先生、先輩方には、ご指導ご鞭撻の程をお願い致します。

自らの新しい認識構築を目指して
小林真生(早稲田大学大学院アジア太平洋研究科 国際関係学専攻)

 私の研究テーマは「日本人の対外国人感情」である。今後、アジア、及び日本はより多くの人口の移動や異文化流入を経験するであろう事を考えれば、そのテーマを深めていく事は異文化を持つ他者との相互理解、及び相互の友好関係構築を進めていく上で一定の価値があるのではないかと思う。そこで私が重要視しなければならないものの一つとしてアジア各国の情勢に対する認識が挙げられよう。何故なら、人間の感情に政治、もしくは経済が与える影響は非常に大きいためである。その観点から考えると、自らの大学院生活はもちろん、「アジア政経学会」という団体に所属し、その会報に触れ、また会合などを通
じた会員同士の交流などによる知的刺激を常に受け続ける事は将来的にも、研究を深めていく上でも必要であろうと思われる。その中で自らの研究における新しい認識を構築する手がかりをより多くこの学会から得られるよう日々学んでいきたい。

九年振りの帰国で感じる『失われた十年』  曽根 康雄(野村アセットマネジメント)
この度、アジア政経学会に入会させていただきました曽根康雄です。これまで多くの会員の皆様にお世話になり、有り難うございました。
私は、中国を中心とするアジアの政治経済動向の調査・研究を続けてきました。91年から98年まで野村総合研究所(香港)に駐在し、中国の改革開放政策の展開と中国への主権返還に向かって進む香港情勢を観察してきました。そして、アジア通貨危機の余波が残っていた98〜99年に北京の清華大学に客員研究員として1年弱滞在し、99年末に約9年振りに帰国いたしました。
現在は、出向先でアジア各国の政治経済情勢の調査を担当しております。90年代の殆どを香港・中国で過ごしていたために、日本の「失われた十年」を体験せずに来てしまいましたが、帰国以来日本の政治・経済・社会の置かれた厳しい状況をひしひしと感じております。
一方、中国は悲願であったWTO加盟が確実となり、8年前の屈辱を晴らす形で北京オリンピックも決まりました。中国の改革開放路線にとって新たな時代の幕開けでありますが、漸進主義的改革のなかで蓄積されてきた様々な歪みを如何に処理していくのかという点に強い関心をもっております。今後とも、ご指導ご鞭撻の程、宜しくお願い申し上げます。
改革開放初期の中国での日本映画公開について
玉腰辰己(早稲田大学大学院アジア太平洋研究科修士課程)
 この度、入会させていただきました玉腰辰己と申します。早稲田大学大学院アジア太平洋研究科の修士課程に在籍し、国際関係論を専攻しております。
 主な関心は「越境する大衆文化」にあります。とくに、中国において、改革開放政策開始と同時におこなわれた日本映画の一般公開について、中国側、日本側双方の事情を明らかにしたいと考えています。こうした研究によって、非政府アクターの国際関係への関与や、その背後にある日本人の中国認識などについて、一端が明らかになるのではと思っています。
 また、90年代以降、日本製エンタテイメントコンテンツの国際的な影響力について関心が高まっています。そうした関心に対しても、ひとつの歴史的実証例を提供できるのではないかと考えております。
 微力ながら精一杯勉強いたしております。本学会を通じて、皆様のご教示をいただければと願っております。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

<編集後記> 
  •  東・西日本大会を特集しました。アジアの多様性を反映した多様な報告と十分な討論、新人への機会提供と充実した議論、時宜を得たテーマ設定とベーシックな問題の探求、などなど、学会のアレンジメントもさまざまなバランスを考えなければなりませんが、なりよりも大切なのは、多くの学者が集い意見交換できる場を堅持していくことでしょう。
  •  その意味で、財政困難への対応は重要です。会員諸子のご理解・ご協力をよろしくお願いします。(若林記)

アジア政経学会今期業務担当理事一覧
理事長 天児慧(青山学院大学)研究担当(全国・東日本)石井明(東京大学);研究担当(西日本)佐々木信彰(大阪市立大学);国際交流担当 国分良成(慶応義塾大学);編集担当 古田元夫(東京大学);広報担当 若林正丈(東京大学);財務担当 加藤弘之(神戸大学);総務担当 末廣昭(東京大学)

アジア政経学会ニュースレターNO.16 2001年9月5日発行
発行人 天児慧
編集人 若林正丈
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