☆アジア政経学会2000年度全国大会 参加記☆
<時:2000年5月27日 所:拓殖大学>
アジア政経学会2000年度(第54回)全国大会は去る2000年11月4日、5日の両日、拓殖大学国際開発学部にて開催されました。東京郊外の心地よい秋晴れのもと活発な討論が行なわれました。各セッションに参加した会員にお願いした参加記を掲載いたします。セッションによっては司会者自ら執筆いただきました。執筆いただきました会員には、深く御礼申し上げます。(広報担当 若林正丈)
11月4日(土)
自由論題1 木宮正史(東京大学)
中野会員の報告「ベトナムの対外開放と政治的民主化」は、ドイモイ外交の展開と、ベトナム政府が追求する「社会主義的民主化」との関係を解明しようとしたものである。結論的には、後者に対する前者の影響力は限定されたものであり、「上から の民主化」は、経済的自由化、権力分立、法の支配などは許容するが、政治的自由は許容しないという点で限界があることを指摘した。討論者の小笠原会員は、「上から の民主化」に対するベトナム政府の認識、中越関係など国際環境がベトナムの民主化に及ぼす具体的影響などに関する質問を提起した。それに対して、中野会員は、ベトナム政府内部で「上からの民主化」の帰結に対して合意が形成されているわけではないこと、また、民主化の構成要因によって国際環境の影響が異なることなどが指摘された。フロアからは、各主体が民主化をどのように考えているのか、およびアジア型発展モデルに対するベトナム政府の評価などを問う質問が提起された。
春木会員の報告「韓国の政治変動と市民運動」は、民主化以後の韓国において、従来の「民衆運動」とは異なる「市民運動」が登場し、一定の政治的影響力を確保するにいたったが、盧泰愚、金泳三、金大中という政権交代が、こうした市民運動の展開にどのような影響を及ぼしたのかを解明しようとしたものである。一方で、民主化以後、市民社会の自律性も相対的に高まり、また政権自体が、市民運動を積極的に支持基盤として利用しようとしたこともあり、市民運動の政治的影響力は相当なものになっていった。しかしながら、結果的には、市民運動が、一部の名望家エリートによる運動に限定されていたこと、部分的に政権によって包摂され、国家からの自律性を喪失していったことを指摘した。ただし、市民運動もこの点を自省し、新たな型の市民運動が登場しつつあることにも言及した。
討論者の木宮会員は、「民衆」「市民」など韓国のアカデミズムにおいて使用されている概念に対する吟味の必要性、韓国における既存研究とは異なる独自性の有無、市民運動が国家からの自律性を喪失する理由などについて質問を提起した。これに対して、春木会員は、韓国における研究の単なる紹介ではなく、独自の概念を開発し、独自性のある分析をおこなうことが今後の課題であると答えた。
20名余りの参加者があり、若手研究者による意欲的野心的な研究発表であり、地域研究の最先端をいくものであった。ただし、ともに、理論的な意味での分析の切り口という点で不十分さが残るという印象を受けた。また、韓国経済に関するセッションが同じ時間の他の教室に割り当てられていたために、韓国研究者の参加がそれほど多くはなかったのが残念であった。
自由論題2 水野光朗(大阪外国語大学大学院)
浅野亮会員の報告「ポスト冷戦期における中国の自己認識の変容-対外政策決定路線についての議論とその背景-」は、中国の対外政策の基本路線に関する論争を、国際環境、国力、役割の三つに分けて紹介し、分析をおこなった。中国を取り巻く多極化や「一超多強」、国力増大に対する評価、さらには中国の果たすべき役割にかんして、さまざまな見解が存在することが指摘され、中国自身についての自己認識も必ずしも整合的にまとまっていないことが強調された。そして、その背景には、感情的ナショナリズムの衝動があり、自己認識を不安定化させていると結論づけた。
このような明晰な分析に対して、討論者の小島朋之会員からは、世論の果たす役割をどう捉えるかという問題提起がなされた。
報告・討論ともに明晰かつ論理的であり、現代中国の対外政策に強い関心を持つ私にとって、大いに勉強になった。
大内穂会員の報告「援助国が被援助国に対し反腐敗を援助の条件につけることは内政干渉になるか」は、開発援助と国際法の観点からの分析であった。本報告では、腐敗を単純収賄、小規模政治腐敗、構造的腐敗、グローバルな腐敗の四つに類型化し、おもに日本の対外援助を具体例とした。その上で、援助国および被援助国がともに、反腐敗の条約に署名し、それを批准している場合には、内政干渉とはならない。その反面、援助そのものが内政干渉であるから、それに条件を付すことは、内政干渉といえる。と結論づけた。
本報告に対して、討論者の稲田十一会員は、国際法上、一般的には内政干渉には当たらないと指摘した。その上で、条件付けそれ自体、実質的な内政干渉ではないか。内政干渉の規範はどの程度強いのか。報告は条件付けの是非を問うのか、内政干渉に当たるのかを問うのかという三つの論点を提示した。
フロアーからは、分析視角が援助国に偏っており、腐敗の生じる被援助国の視点が欠如しているなどのコメントが出された。
確かに国際法上、とくに腐敗取り締まりについての普遍的規範は存在しない。しかし、条約規定に基づく干渉についても自決権を侵害するという説があり、国家の人格や政治的・経済的・社会的体制の選択は、一貫して国内管轄事項とされてきているようである。私は国際法の専門家ではないが、援助そのものを内政干渉とすることは、国際法学の立場からみた場合、理解しにくいかもしれない。しかし、一つの問題提起と受けとめた。
自由論題3 塚本隆敏(中京大学/当セッション司会者)
この会場は中国経済を対象にした報告が二本出された。前半・銭永毅会員(桜美林大学大学院)[の報告「中国の工業化と郷鎮企業―農工間資源移動と市場形成過程の研究」]は自らの調査結果を踏まえながら、中国の工業化と郷鎮企業における農工間資源移動と市場形成過程を、オーソドックスな手法で分析されたことに、コメンテーター[清川雪彦会員(一橋大学)]もその点について評価されていた。特に、農工部門間関係と市場形成での郷鎮企業の発展と資源移動を、ルイス・モデルを援用しながら説明された。だが、コメントでも指摘されていたが、ルイス・モデルは農工間移動ということではなく、伝統から近代化モデルではないか、また、農工間移動も統計上と実際上のズレをみる必要があるのではないか。そして、インフォーマル市場からフォーマル市場でも、特に、フォーマル市場とは利子や賃金などを入れた分析をしたらどうかなど、多岐にわたってなされたが、その指摘は司会者も同感であった。その点、銭会員も、今後の研究に活かしたいと率直に認められていた。
後半・陳光輝会員(神戸大学)[の「改革開放後の中国の省間所得格差と収束仮説」]は改革開放後における中国の省間所得格差と収束仮説の理論に対して、30省市自治区の1978~98年までのデータを駆使して、たかだか20年間のデータでは所得収束仮説を展開するのは時期尚早であることを分析された。そして、逆に、沿海の一部の地域では今後成長も速くなり、所得格差は拡大するのではないかとの見解を主張された。司会者も、陳会員の見解に賛成である。コメンテーター[伊藤正一会員(関西学院大学)]も含めて、会場からいくつかの質問、例えば、定常を固定しない問題について、報告者は収束スピードが大きいので、考えていない。また、サンプル数を、省レベルではなく、市・県・町・村レベルにしたらどうなるかについて、陳会員はそれはデータ的に揃えば、それも一定の意味があるなど、新古典派成長モデルの所得収束仮説を、自らのデータ分析と照合しながら、自らの主張を展開された。
全体的に、会場一杯に会員が集まり、時間通りに進行し、学会報告と質疑応答も含めて成功したのではないか、と司会者は思っている。
自由論題4 服部民夫(同志社大学/当セッション司会者)
自由論題4では二つの報告があった。川端康治会員による「アジアにおける工業化の長期展望」と高龍秀会員による「韓国における経済システムの変容−財閥システムを中心に−」であった。
まず、川端会員の報告は開発経済学と経済成長論の統合を意識しつつ、アジアにおける工業化の進展を「資本蓄積と外部経済がどのような産業変化をもたらしたのか」という問題意識から、「資本集約度と労働生産性」、「重工業化」、「外資導入と輸出」、「域内リンケージの形成」という要素に分け、それがいずれも深化していること、またアジアではそれが継起的に起こり、したがって国際競争力の交代が見られ、それがまた域内リンケージを深化させた。このことは、後発諸国にアナウンス効果を持ち、それが結果を予測させることで「政府の失敗」「市場の失敗」を回避し、効果的な工業化に寄与したという。
コメントの中嶋航一会員は、川端報告を手際良くまとめた後、報告では事実関係は明らかにされたが、なぜこのような特徴が形成されたのかが明らかにされていないと批判した。また、報告は過去の工業化の過程は説明できるとしても「長期展望」としては、ITや電子工業のように技術的ジャンプが可能な工業をも説明できるのかどうかも示す必要が有ったとコメントした。またフロアからは東南アジアなどでは外生係数が大きく、内国的には政策が打ち出せず、各国が自立性を喪失するのではないか、といった質問が出た。
第二報告の高会員の報告は詳細なデータを示しながら、経済成長の過程で1970年代から1990年代に経済システムの大きな変化があり、それが97年危機の国内要因となったという。ことに財閥の巨大化と直接金融への拡大が、それへのモニターが効かない状態をもたらした。したがって、危機後の対応は企業経営の透明性の向上、財務構造の改善、革新部門への特化、経営責任の明確化などが要請され、経営改革とガバナンスの強化が求められた。政府はIMFとの関連もあり、アングロ・アメリカン的な改革を目指しているが、家族の所有・経営に対する支配権が強すぎ、出資関係が交錯し、金融機関のモニターが効かない中で政府の意図する改革が進むかどうかは不透明だが、さしあたり健全な機関投資家の育成が急務ではないかと主張した。
深川由紀子会員のコメントは、改革が現在進行形であること、企業の社会的公器としての成熟が必要と前提した上で、「システム」という用語には財閥と資金だけでは不足で、技術や労働という観点を含むものであるべきと指摘した後、外資の存在を有効にモニタリング機能として利用できるかいなか、機関投資家育成には賛成だが、同時に金融持株会社を認めた方が良いのではないか、といった意見が出された。ことに誰がモニターするのかに対して報告者とコメンテーターとの間で議論が交わされた。
分科会1 「伝統と革新―アジアの指導者像」
佐藤考一(桜美林大学)
分科会1のテーマは、「伝統と革新ーアジアの指導者像」であった。第二次世界大戦によってアジアの「隷従の時代」は終わり、「解放の時代」と「開発の時代」がやってきたが、アジアの指導者たちはその中で、政治的独立の達成、国民国家の建設、経済開発の進展、のために、様々の形で、各国各様の伝統社会を革新しようとしてきた。各国の指導者たちにとって、伝統とは何だったのか。また伝統を革新する力を、いかにして動員したのか。さらに、革新と伝統はいかなる緊張の関係にあり、いかなる妥協の関係にあったのか。本分科会の目的は、中国・台湾・韓国・インドを例に、これらを探ろうとするものであった(以上、「2000年全国大会報告要旨」より)。
第一報告は、山田辰雄会員の「中国ーえん世凱・孫文・登小平」であった。山田会員は、中国の伝統は専制王朝とそれを支える知的体系で、革新はそれを破壊・批判し共和制を目指すものだとした。だが、専制王朝の清を倒したえん世凱は行政権力強化の必要から帝制論に向かい、国民党の孫文は軍政・訓政・憲政の段階を経て革命は進むとしたが、20世紀初頭の中国を訓政:指導された民主主義の段階ととらえ、国民党独裁を正当化したし、共産党の登小平は天安門事件で学生デモを鎮圧し、上からの指導:代行主義の重要性を強調した。以上をふまえて山田会員は、中国の指導者たちの革新は常に独裁に向かう、伝統を引きずる共通の政治指導様式を持っているとし、これを20世紀中国の連続性と総括した。
第二報告は、若林正丈会員の「台湾」であった。若林会員は、400年しか歴史のない台湾で、伝統というものを考えるのは簡単でないと述べた上で、戦後台湾に国民党政権が移ってきたことで、山田会員の提起した中国の伝統が横から入力されたとした。そして、蒋介石・蒋経国・李登輝と指導者が変わる中で、政治体制の民主化(という革新)が行われ、至高の指導者となった李登輝が、政権の永続化を図らずに引退し、民主進歩党の陳水扁が総統に就任したことで、台湾における20世紀中国の連続性は消えたと主張した。
第三報告は、重村智計会員の「韓国におけるリーダーシップの伝統と革新」であった。重村会員は、朝鮮の伝統は儒教であり、それへの挑戦が革新だとし、韓国の指導者たちは儒教的伝統:君師父一体の影響から独裁に向かった例が多く、朴正きから金大中に至るまで、経済開発はなされても、(革新としての)真の民主化はなされていない、権力が政党を生むのでなく、政党が権力を生むような、政治の「制度」化が望まれると述べた。
第四報告は、長崎暢子会員の「インドの場合:ガンディー・ネルーからヴァジペーイーまで」であった。長崎会員は、伝統と革新を固定したものととらえない視点を提起した。それによれば、ガンディーにとっての伝統は西欧近代で、それを乗り越えた真の文明が革新であったが、ネルーは伝統をインド社会に見、西欧社会に革新を見て独立運動を指導した。そして、現在のヴァジペーイーは、強いインドを目指しながらも、ネルーを批判する立場からガンディーを利用、文化を重視しているので革新観が再び変化しつつあるという。
以上に要約した報告(括弧内は筆者補足)に加え、各報告への討論者のコメント、フロアからの質疑がなされた。筆者の関心に引きつけて、それらの幾つかを紹介すると、まず伝統と革新を語る際に日本の植民地統治をどう評価するのか、という指摘が朴一会員、伊尻秀憲会員からなされた。また、インドが東アジアと比べると異質なのは、近代病にかかったイギリスへの不信感があった点で、このためにガンディーは超近代を目指し、ネルーはソ連モデルによる工業化へ向かったとの指摘が絵所秀紀会員からなされた。そして、革新を近代化・国民国家化という面でとらえると、インドや中国のような前近代の帝国の版図に、それをつくれるかどうかは問題だ、との指摘が司会の岡部達味会員からなされた。
これらの他に、若干私見を述べるなら、まず、伝統と革新の内容について、主に政治面が議論されたが、経済や社会構造等について、もっと議論があってもよかったと思われる。
また、伝統については、国民国家との関わりに限定して論じるべきであった。そして、一点だけ不満を述べるなら、アジアの指導者像というテーマであるにも拘らず、日本や東南アジアの指導者が扱われなかったことがある。是非、今後の学会テーマの候補として頂きたい。全体としては、知的刺激に満ちた充実した分科会で、聞き応えがあった。実施に当たって、司会の岡部会員は関係者を集めて事前に打ち合わせをされたと言うが、それが効を奏したと言うべきである。発表者が、互いの蛸壺から出て来ないままの議論では意味がない。これからの学会でも、司会をされる会員は、この様な配慮をされることを望みたい。
分科会2「アジアにおける分離と統合」
加納啓良(東京大学/当セッション司会者)
7月初めの常務理事会の席上、11月の全国大会で「アジアにおける分離と統合」という題の分科会を組織するよう突然仰せつかった。私が地域研究の対象としているインドネシアのいくつかの地域で、最近、分離・独立の動きが目立つため、適任と見なされたようである。事例として、インドネシアの他、中国とインドを取り上げるようにという条件つきであった。とりあえず、「グローバリゼーションの趨勢が、世界システムのなかでの国民国家の比重を軽減させつつあるなかで、これまでその陰に隠れていた少数民族、地域、宗教などのコミュニティの自己主張が強まり、分離・独立の動きが加速している」という問題意識のもとに、だがしかし、その根源は同時にもっと長い歴史的文脈の中でも捉えられねばならない、等々を記した趣意書を用意して発表者の人選にかかった。何人かの方々にお知恵を借りたり、紹介の労を取っていただいたりした結果、中国について神戸大学の王柯氏、インドについて明治学院大学の竹中千春氏、インドネシアについては拓殖大学の井上治氏に担当していただくことに決まった。また、早稲田大学の毛里和子氏に全体へのコメントをお願いし、司会の私も適宜発言してこれを補完することとした。
当日はほぼ40人前後の参加者があり、フロアからの発言も活発で、定刻の午後5時を少し過ぎるまで質疑応答が続いた。各氏の報告で触れられた論点の一部を、私のメモに残っている限りで紹介すると、次のようである。
王柯氏の報告では、まず、中国における分離主義の問題には台湾問題と(少数)民族題とがあり、両者の性質は大きく異なることが指摘された。チベットと新彊ウィグル族自治区における民族問題は、それが宗教問題と結びついていることによって深刻さを増している。中国政府の対応は、一方では分離運動の取り締まりであり、他方では開発による経済統合の推進である。北方民族に限って分離主義が問題になるのは、清朝の支配のしかたに遠因が、そして孫文以来現在までの国民国家の政府による伝統的生活圏の分断に近因がある。中華人民共和国は民族区域自治政策を採用して少数民族の独自性を強調したが、固有性の過度の強調が分離主義の根拠になり、かえって問題を難しくしたことも否めない。
竹中氏の報告ではまず、多民族の「新しいインド」への国民統合と同時に、「一人一票」の選挙による民主主義の護持を追及してきたことがインドのケースの独自性であることが指摘された。周期的に行なわれる選挙によって、いわば「日々の住民投票」が行なわれ、民族問題の解決がはかられてきたのである。だが、1990年代後半にヒンドゥー国家の強化を主張するインド人民党政権が登場して国民会議派の時代が終わり、古代以来の「一つのインド」を再興する運動が力を得たことによって、アイデンティティと統合をめぐる問題が、従来以上に難しさを増した。それは、1)国境・州境の引き方に関わる問題、2)「社会的なフロンティアと辺境」と性格づけられる問題、3)「緊張をはらむ市民社会」と表現しうる問題、の3つに分類できる。そのうえで、とくにカシミールとパンジャブの事例を引き合いに出しながら、3つが絡み合いながら紛争が展開する様相が指摘された。
井上氏の報告は、1945年のインドネシア独立宣言の際に旧蘭領インド全域を包括する単一共和国の政体が選択されたものの、副大統領となるハッタのように、連邦制をとりニューギニアは国土から除くべきだとした異論もあったことを紹介したうえで、最近スハルト政権の退陣後に分離を求めて地方の中央不信がいっきょに表面化した理由を分析した。1)民主化に伴う言論の自由化、2)国家統一を至上命題とする国軍の政治的影響力の低下、3)中央主導の開発政策への不満、4)世代交代による建国の感動への記憶喪失、の4つが指摘され、現在打ち出されている地方分権政策でもその解決は困難であり、地方への治安維持権の委譲と地方ごとの土着住民優遇策が大胆に打ち出される必要がある、と結んだ。
毛里氏は、旧ユーゴ連邦の解体や昨年来のインドネシアの動向に顕われた「国民国家の虚構性」に衝撃を受けたと述懐し、中国はどうなるのかを考える立場から、報告されたケースの4つの共通項(歴史の記憶による分離主義の増幅、国内植民地の形成、上からの国民統合の金属疲労、グローバリゼーションが生み出した新しい分離主義)を指摘して、次の3問題を提起された。1)民主化は民族問題の緩和をもたらすのか、それとも逆に増幅するのか。2)分離と統合の内因と外因をどう区別し総合するのか。3)大勢はどこへ向かうのか(国民国家崩壊か、成熟への過渡的混乱か、それとも超国民国家の形成か)。
この問題提起に3報告者が応答し、フロアからも発言が続いて論議が盛り上がったところで時間切れとなった。十分な交通整理ができなかったことを司会者として反省するとともに、問題の複雑さと難しさを改めて痛感した。
国際シンポジウム「北東アジアの安全保障をどうするか」
(New Security Situation in Asia)
(阪田恭代(神田外語大学)
本セッションでは、高木誠一郎氏(防衛研究所)の司会の下、スコット・スナイダー(Asia Foundation)、吉火正宇(Kil Jeong-woo)氏(韓国中央日報記者、東京財団主任研究員)、森本敏氏(拓殖大学)、三名の報告、饗庭孝典氏(杏林大学)、金栄作(Kim Young-jak氏(韓国・国民大学校)、二名の討論者からのコメント、そして質疑応答が行われ、約四時間にわたる英語によるシンポジウムが開催された。以下、簡単に内容を紹介する。
2000年の南北首脳会談や米朝関係改善の行方はまだ不透明であるが、南北和解のプロセスが進展すれば北東アジアにおいて新たな安全保障を模索する可能性が開かれる。その意味で現在は冷戦終結後の第二段階の調整過程、即ち「ポスト・ポスト冷戦」の段階に入っていると高木氏は評価した。本セッションでは朝鮮半島情勢を中心に議論され、さらに、それが北東アジア全般の安全保障にとっていかなるインプリケーションがあるかについて討論された。主な論点は以下の通りであった。
第一に、北朝鮮は南北首脳会談に応じ、西側に対して積極的な外交を展開しているが、北朝鮮は変化したのかという問いに対して、それは戦術的な変化であり、根本的な変革、即ち本格的な体制・経済の改革と開放を志向したものではないというのが概ねの意見であった。但し、北朝鮮が中国の改革モデルあるいは朴正熙のモデルに関心を示しているかもしれないという見解もあった。しかしその根本的な目的が真の和解や平和共存であるかについては報告者や討論者から疑問が提示された。
第二に、対北朝鮮政策は誰が主導しているか(Who's in the driver's seat ?)という問題である。今回は「包容政策」と呼ばれる金大中政権の対北関与政策の成果であり、朝鮮半島の平和に向けて、韓国の建設的な役割が評価された。その動きはペリー・プロセスと符号するものであるが、米国が再び主導権を握ろうとするか否かについて、スナイダー氏は、基本的には南北朝鮮が主導し、米国は補完的な役割にとどまるべきであるが、それは次期大統領の関心次第であると述べた。他方、対北関与がさらに進展すれば、その速度や内容について日米韓で意見の相違が生じ、政策協調は益々困難になるので、TCOG(三カ国間政策調整グループ)のような政策調整の場は一層重要になることが一致した見解であった。但し、TCOGをさらに定期化、制度化していくべきか、柔軟なままにしておくべきかについては意見の相違があった。またTCOGの議題に、ミサイル問題など当面の問題とともに、北朝鮮への経済支援、朝鮮の平和協定や平和機構など、南北和平を前提にした中長期的課題についても検討すべきであるという見解もあった。それに関連して、平和協定を協議する四者会談(米中、南北朝鮮)との整合性、中国、ロシアとの利害調整も課題となることが指摘された。
第三に、南北和平が進展した場合の朝鮮半島ならびに北東アジア全般の安全保障の問題である。和平が進展すれば、理論上、北朝鮮の脅威が緩和あるいは消滅し、北朝鮮の脅威を前提としている米韓同盟と在韓米軍の存在理由が問われる。よって今こそ、米韓同盟のマネージメントの重要性が高くなり、スナイダー氏は、米韓にも日米間のナイ・イニシアチヴのような「防衛ガイドライン」策定などの共同作業が必要であることを主張した。そして米韓同盟を「地域安定」志向の同盟に変えていくべきであるという意見もあった。他方、金栄作氏は、二国間同盟関係のみならず、地域の多国間安保枠組みも本格的に育成していくことが長期的には重要であると強調した。さらに、南北朝鮮の対立が緩和すれば、中国と台湾問題が改めて注目され、米中対立の可能性が懸念された。例えば、饗庭氏は、JOINT VISION 2000など、中国の脅威を強調した報告書を例にあげて、米国側の対応の問題を指摘した。
第四に、朝鮮半島ならびに北東アジアの安全保障における日本の役割の問題である。森本氏から日本の対北朝鮮政策に関する報告が行われたが、南北朝鮮の和平プロセスのなかで、日本の積極的な役割は期待されるが、「バスに乗り遅れるな」という発想で拙速に行動することは危険であり、政策目標を定めて、慎重に対応し、関与していくことが重要であるというのが一致した意見であった。吉氏は、現在、日本が最大の交渉材料、即ち経済復興資金という武器を有しているのであり、だからこそ、慎重かつ建設的な関与が必要であると強調した。森本氏は、日本は、例えばODAモデルで、コンソーシアム方式で対北朝鮮経済復興支援を行うことは可能であるが、ミサイル問題、日本人拉致問題、麻薬密輸などの問題の解決が重要であることを指摘した。とりわけ安全保障問題は最も重要であり、ミサイル問題では米国が重視しているテポドン長距離ミサイルのみならずノドン・中距離ミサイルの問題が指摘され、例えばミサイル規制の枠組みの形で対処していくことが必要であると主張された。また長期的な問題に対処するために中国、ロシアを含めた北東アジア対話機構の構築も森本氏は支持した。
朝鮮半島の新たな情勢を受けて、北東アジアの安全保障論議は再び活発になっている。現在の動きを見極めつつ、安全保障には現実的に対処しながら、南北朝鮮の和平への動きを生かすとすれば、中・長期的な視野で北東アジアの安全保障について本格的な検討を行うことが必要とされている。そのなかで、日本の役割はますます注目されている。とりわけその経済力をいかに利用すべきかを含め、北朝鮮ならびに朝鮮半島に対する確固たる戦略の構築が、この国際シンポジウムでも求められていたといえよう。
11月5日(日)
共通論題「グローバリゼーションの中のアジア−21世紀への課題」
足 立 文 彦 (金城学院大学)
第1報告「グローバリゼーションとナショナル・アイデンティティ」で、報告者の平野健一郎氏は、藤原帰一氏のグローバリゼーションの定義を引用し、それは、@西欧化・近代化、A覇権秩序、B市場統合と相互依存という、3つの意味を持つ現象であるとし、それに対する立場として、グローバリスト、反グローバリスト、非グローバリストの3つが
あるとする。非グローバリストとは、それらは何ら新しい現象ではないとする立場である。
さらに報告者は、「アジアにとってグローバリゼーションとは何か」と問い、グローバリズムは世界に拡がりつつあり、逆らえない現実であって、人々は市場主義を前に無力感に苛まれているという考え方を紹介した。これに対して、グローバリズムは一方で統合を促すと同時に、反統合、分解、再構成といった様々な動きを同時に内包するという考え方もあり、これを複合的グローバル化論と呼ぶ。グローバリゼーションを、ナショナル・アイデンティティと関係づけるためには、前者を「世界が凝縮し連結すること、自己の言動との関わりにおいて、常に世界を意識すること」と定義することが便利である。その上で、グローバリゼーションはナショナル・アイデンティティを分解するという見解と強めるという相反する2つの見解が提出された。
報告者は楽観的にグローバリズムのもたらす市場統合・相互依存を肯定する立場は、アジアの現状に相応しいものではなく、むしろアンチ・グローバリズムの2つの立場を紹介した。1つは、シビック・ナショナリズムの立場から、国民アイデンティティの復権を訴える佐伯の立場であり、もう1つは市民社会のグローバルな連帯により、資本主義の暴走を規制しようとする坂本の立場である。前者の立場に立てば、国益を再定義し、国家戦略を構築することが重要であり、反グローバリストの立場に近づく。後者は市民的公共性の課題として、市民社会の連帯を求め、その方向性はグローバリストのそれである。
グローバリゼーションがナショナル・アイデンティティの弱体化ないしは分解をもたらす例として、人の国際移動を考えてみよう。この時、国境をまたぐ人の移動によっても、ナショナル・アイデンティティがなくなることはなく、むしろ、人々を媒介として、エスニック、ローカル、ナショナル、リージョナル、グローバルといった多層のアイデンティティが生み出され、ナショナル・アイデンティティの多元化がおきる。
アジアにおけるグローバリゼーションの研究については、社会文化変容という分析枠組を用い、変化を実証的に分析することが重要である。
最後に、アジアにおいて、非西欧的社会集団の性格をどう捉えるかについて考えてみると、これは競争国家とリスク社会の出現のもとでのソーシャル・セーフティ・ネットの弱体化およびインフォーマルな互助的ネットワークの変容と捉えることができる。その変化の解明こそが地域研究者の課題である。
末廣昭氏の第2報告「アジア危機と企業ガバナンス」では、アジア通貨・経済危機の4つの原因に対応した4つの選択肢があるとして、それぞれについて説明がなされた。
まず、第1の原因は、国際短期資金要因説、もしくは「流動性危機説」であり、選択肢として国際金融協力の道が選ばれる。日本はエイシャン・マネタリー・ファンド(AMF)という形で対応策を提案したが、米中の反対で成立しなかった。しかし、実際には、大蔵省を中心とする日本主導のもとで、域内金融協力の強化が進められている。
第2は、アジアの危機の原因を、「アジア的価値・制度要因」と見る説であり、対策としてグローバルな制度のアメリカナイゼーションが必要であると考える。健全な資本主義は、健全な金融機関と健全な投資家によって支えられていると考え、企業のガバナンスの強化を主張する立場であり、日本政府の公式見解もこれに近い。
第3の原因は、「実体経済要因説」であって、製造業の競争力の低下がその原因と考える。対策としては、かつて日本が行ったような輸出産業へのテコ入れや、中小企業支援が有効であると考え、国民国家主導型の産業競争力の強化を図ろうとする。これは通産省の考え方である。
第4の原因は、「国際政治社会構造説」で、社会的な弱者に対するセーフティ・ネット構築のための支援を急務と考える。アジアの社会変革、および社会的なガバナンスの強化を図るためODAを見直して、新たな施策を講じようとする外務省の立場がこれに当たる。
タイを中心に企業ガバナンスについて、さらに詳しく見てみると、アジアの企業は自己資本に対する借入金の比率が高く、海外資本に対する依存度が高い。借入の中身は、銀行からの借入が多く、特に危機の直前には、短期資本への依存が高かった。改革の方向としては、間接金融から直接金融へ、また所有と経営の分離ということになるが、実際には、アジアの企業のみならず、ヨーロッパの企業の多くも家族経営が多く、その点ではむしろ、米・英・日が家族経営の少ない例外的な国であるとの興味深い指摘があった。
家族経営の改革のためには、BIS規制の強化及び貸し倒れ引当金の準備などと合せて、証券市場改革が必要とされ、独立の社外重役、監査委員会、情報開示など、アメリカ型の企業ガバナンスが奨励される。その結果、多くの企業が情報を開示し、社外重役を増加し、監査委員会を設けるなどしたが、同族メンバーと子飼いの社員を重役にするなどして、経営権をますます集中させているのが実態で、同族経営企業が守りにはいっているという。
以上の観察から、次の3点に注意する必要がある。第1に、世界銀行や証券取引所が考えるほど簡単にはファミリー・ビジネスの性格は変わらない。第2に、世界銀行の改革のターゲットは上場企業であるが、自動車、電機等の産業や日本から進出しているサポーティング・インダストリーは現地で上場しておらず、日本はこれらの企業を特別に支援している。第3に、証券市場改革だけでは不十分で、高成長する国では、投資資金獲得のための銀行借入が不可避であり、そのためのモニター制度、外銀への身売り、政府の介入強化が起こっており、自由化とは反対方向への動きをもたらしている。
世界銀行はもっぱらアメリカナイゼーションの道にしか関心がないのに対し、アジア経済社会の4つの選択肢は相互補完的であって、実際にはそれらを総合的に加味したプロジェクトが必要である。日本政府は、既に10兆円もの資金をつぎ込みながら、求められるビジョンを提起していない。
第3報告は、倉田秀也氏の「朝鮮半島と日・米・中・露」−問題の「グローバル化」と地域的取り決め−であった。倉田氏はグローバル化の国際政治学的な意味を、相互依存論の延長で、しかも冷戦終結を背景としたアメリカ型規範の国際的展開過程であると考える。その意味でグローバル化は、不可避であると同時に、その展開には地域ごとの濃淡があり、相互依存の中で地域主義が並行して起こっている。その際に、アジアにおける地域秩序を考えると、冷戦後の米国の影響力の低下を前提として、ASEAN地域フォーラム(ARF)が、多国間安全保障体制として構築され、既存の枠組みの中で中国に対処しようとする姿勢が明らかになった。朝鮮半島を見ると、金泳三前政権が対応しようとしたグローバル化は、タイに始まった通貨危機によって当初意図しない形で実現された。すなわちIMF体制のもとで、徹底した自由化、グローバル化を求めざるを得なかったのである。
これに対して、国際経済から隔絶した位置にあった北朝鮮は、通貨金融危機から全く無傷であった。南北首脳会談は米国主導のものではない。しかし、このことは朝鮮半島がグローバリズムとは無縁であること意味しない。半島部では大量破壊兵器の拡散が問題となっており、北はアメリカと非拡散条約の協議に入っている。北は、協議を自分たちに有利に展開しようとしているのである。また条約のグローバルな次元に対して、北朝鮮はKEDOというリージョナルな枠組みの中にある。
安全保障の視点から見れば、半島全体に米国の覇権が及んでいるわけではなく、北は米朝基軸の地域秩序を求めつつ、米国主導の体制保全への寄与を求めている。米国はその政策対象としての北朝鮮を、あるがままの北朝鮮と見ており、交渉に当たって、人権や改革開放などの条件は付けず、グローバル・スタンダードとは異なるスタンダードで北を支えている。
結論的には、半島全体にグローバリゼーションは及んでおらず、北は米朝を基軸とし地域秩序の構築を望んでおり、これは韓国の望むものとは異なる。基本的には、関係諸国が集団的に北の体制保障をしていることになる。
第4報告「グローバリゼーションは中国に何をもたらすか」で、報告者の丸山伸郎氏は、改革開放途上の中国についての議論は、仮説ないし推測の領域を出ないものが多いと断った上で報告を行った。
報告者は、グローバリゼーションを、
1)ボーダレス・エコノミーのもとでの多国籍企業の最適地生産、
2)技術進歩によるコンピュータ、半導体、情報通信等の進歩、
3)市場経済原理の貫徹、特にアメリカン・スタンダードのもとでの新自由主義と人権・民主化などを柱として定義している。
中国のグローバル化への対応についてみると、まず冷戦終結後、中国は世界大戦の回避が可能であるという前提のもとで、改革開放を一層推し進めた。
歴史的には1986年に趙紫陽首相のもとで「大いに輸入して大いに輸出する」という委託加工型の国際分業への参入が図られた。その後、1989年の天安門事件を経て、1992年には登小平が南方視察の際、改革開放の促進、成長の加速を唱い、外資法を改正した後、外資の中国への流入が急増した。
グローバリゼーションが中国に及ぼした影響として、報告者は、
1)貿易・直接投資を通じての受益国としての中国、
2)ハイテク産業における生産基地としての中国、
3)産業構造調整を強いられる中国、といった3つの側面を指摘し、さらにWTO加盟国に関わる議論を補足した。中国のWTO加盟によって予想される影響としては、短期的には輸入が増大し、貿易収支の黒字が減少することが考えられるが、中長期的には産業構造変化、外資の動向等、予測困難な側面が大きいとする。一般的に中国は、名目関税率は高いが、実効関税率は低いといわれており、地方ごとに異なる許認可体制や特別枠輸入、密輸などがその一因である。概して、市場メカニズムの力は、中国政府の思慮を上回っているという。
中国は、政治文化としてはナショナル・アイデンティティ、つまり愛国主義、民族主義を唱えているが、経済的にはすでに自力更正を放棄しており、グローバリゼーションの波の中に組み込まれ、格差も拡大している。今後、10年程後に政治と経済の矛盾が表面化する事態が生ずる恐れがある。
討論者の発言要旨は次の通り。
1)松本健一
グローバリゼーションの定義との関係で、冷戦終結後、米国一極集中が起こったとは考えない。例えば、湾岸戦争に際し、米国は国連ルールの下で多国籍軍を組織し、コソボや東ティモール問題にも直接手を出していない。朝鮮半島でも南北2国間協議の結果を米国が追認している。冷戦後は自分の国は自分で守るという国民国家が台頭して、歴史の回帰現象が目立っており、「自分の国とは何か」が改めて問われている。その中で、軍事力や経済力よりも文化にアイデンティティを求め、歴史を再認識する動きが強まった。これはグローバリゼーションに触発されたナショナル・アイデンティティの再構築であり、世界は文化力を競う時代に入ったといえる。
2)奥田英信
一般には「グローバリゼーションによって経済は発展するが政治的にはどうか」と問われるのに対して、経済学の立場からは「はたしてグローバリゼーションは経済的に良いことばかりか」という問題がたてられる。
奥田は末廣報告を念頭に、グローバリゼーションという言葉は、アジア経済危機をきっかけにネガティブなひびきをもつ言葉として使われはじめたとする。アメリカン・スタンダードの押し付けに対する反発が強まり、市場を極端に細分化して、そこから利益を吸収しようとするアメリカ企業のやり方に懐疑が強まっている。
それにもかかわらず世界がそのようなスタンダードを受容する理由は、それが勝者のやり方であり、システムとしてわかり易いということがある。この視点からみると、アジア経済危機までのグローバリゼーションは日本の製造業にとって有利であって、その後の展開が米国型のスタンダードの受容を迫るものに変わったのである。
3)野副伸一
グローバリゼーションを大国の影響とみなす場合、南北朝鮮は長年にわたって大国の影響とたたかい、これを利用しようとしてきた。
北朝鮮経済は、90年代のソ連・東欧の崩壊以来漂流状態にある。日本のバブル崩壊による送金の激減がこれに追い打ちをかけた。自力厚生路線の内実とはこのようなものであった。他方、金泳三が唱えた「世界化」はレームダックにならないためのリーダーシップの回復策であった。
4)橋英夫
グローバリゼーションを覇権国原理の世界的波及と考え、その内実として「市場化」を考えるとき、その象徴的な例として、マイクロソフト・ウィンドウズのデファクト・スタンダード化をあげることができる。
そのようなグローバル化の中で、アジアの国民経済はソフト・ウェアや周辺機器のサプライヤーとしてサード・パーティーの役割を果たしている。
グローバリズムを支えるIT革命と、それによって生じたサイバースペースでは経済学の教科書で教える完全競争に近い条件が成立する。また、そのようなサイバースペースは市場活動を促進したり、デジタル・ディバイドを拡げたり、現実の市場に負のインパクトをもたらすといったことが考えられる。
このような状況の下でグローバル化とアジアの経済発展を考える際には、改めて、保護貿易とか幼稚産業保護の名の下で行われている成長産業の保護について考えてみる必要がある。これを中国のケースにあてはめると、法体系は行き当たりバッタリで合理性がなく、傾斜関税によって有効保護率を高く保とうとしている。例えば、WTO加盟にあたって中国の産業政策、保護政策はどうなるのか、狭いナショナリズムを脱却できるのだろうか。
フロアをまじえた討論は以下の通り。
平野報告に対して、グローバリゼーションを波及する米国は、国境を越えて移動する人々を最も受け入れやすい社会システムの国でもあり、これがグローバリゼーション=アメリカナイゼーションの一因ではないかとする盲点を突いた鋭い指摘があった。これに関連して、「国境を越える人々の移動」によって創生される新たな文化やアイデンティティについて、報告者はグローバリズムに抗して文化の多様性を保持することの意義を強調した。
末廣は奥田のコメントに対して、会計制度一つにしても、米国流の財務会計と日本のコスト管理会計は目的が異なっており、それらについて状況適合的な制度の選択が必要であるとした。次に末廣が提起した四つのシナリオと所轄官庁の関係について、最近の『通商白書』や『ファイナンス』といった政府刊行物には若手官僚の問題意識が直截に述べられているとの回答があった。
日本がアジアに発すべきメッセージについては、地方自治体や市民組織のアジアへの関与に注目すべきであるとの指摘がなされた。
金融問題については、日本の民間銀行には、アジアの地場企業を審査する能力はなく、地場銀行の審査に依存することになるが、その際に、モニター機能として日本型の担保主義ではなく、米国型のキャッシュフロー・アプローチへのシフトが起こっているとみる。
経済危機への対応策としてのソシアル・セーフティ・ネットについては、報告者はタイで内務省が社会政策のリーダーシップをとって巻き返しを図りつつあるという実情と、自ら社会保障制度の国際比較に着手したという回答があった。
倉田報告に対しては、北朝鮮に対する一切の援助を断って体制崩壊をまつシナリオの是非が問われたが、その場合のコストの計算が実は容易でないこと、日本はそもそも国益にかなった朝鮮半島政策の青写真を欠いているとの指摘があった。
野副のコメントに対して、北の体制危機が深まれば深まるほど、対米依存が不可避となること、南北首脳会談によって対米依存が変わるかどうかは疑問であり、むしろ北の変化を測るリトマス試験紙は、北が米国と平和協定を結ぶかどうかであり、北の対米傾斜が続く限り、米・中・ロ・日を含む安定した地域秩序の誕生はないとみる。
丸山は中国を社会主義市場経済と呼ぶとき、社会主義は政治的形容詞で経済的には意味がないのではないかとの問いに対し、所得の向上と消費の多様化によって社会主義は変わりつつあり、国家が保有する株を売却することによって社会主義の鍵となる所有制も大きく変わりつつあるとの認識を示した。
また、経済的なグローバリゼーションが中国にもたらす政治変容として、民主化および多様な利害を調整する議会政治は不可避であるが、そこに至る短期的過程は複雑で紆余曲折があるとみる。WTO加盟後も幼稚産業保護を維持できるかどうかは、中国が発展途上国としての地位を確保できるかどうかにかかっている。
(以上)
総務担当理事 末廣 昭 作成
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