《ニューズレター14号》

☆東日本大会参加記☆
  <時:2000年5月27日 所:東京女子大学>

自由論題報告1  
大橋英夫会員(専修大学)


 本セッションでは、本学会をはじめ、多方面で活躍されている2人の気鋭の中国人研究者、趙宏偉会員から省党委員会書記の役割、唐亮会員から人事制度を通した中央の地方統制について報告がなされた。趙報告では、歴代の江蘇省党委員会書記の回顧録や亡命した許家屯元書記へのインタビューをもとに、省級幹部が一般に考えられている以上に自主性・主導性を発揮できることが指摘された。これに対して唐報告では、省級幹部の異動パターンを詳細に検討したうえで、人事制度を通した中央の地方統制が極めて有効に機能してきたことが指摘された。いずれも中国政治の「永遠のテーマ」である中央・地方関係を扱ったオリジナリティの高い研究報告であり、中央・地方関係の鍵を握る省級リーダーシップのあり様を真正面から考察した意欲的な研究報告であった。 
 討論者として参加した筆者は、趙報告を演繹的アプローチ、唐報告を帰納的アプローチとして捉え、両報告の相違点を整理したうえで、趙報告で省党委員会書記の自主性・主導性が発揮された分野として経済活動が指摘されたこと、また唐報告で中央の強力な地方統制が機能する一方で地方の経済的エゴ主義が指摘されたことに着目して、あえて両報告の共通点についてコメントしてみた。 
 本セッションでは、討論者の力量不足と拙劣な問題提起にもかかわらず、両報告に対してフロアから数多くの質問や問題提起がなされた。その一方で、豊富な報告内容に比べて、報告時間の不足がやや気になった。時間的制約が存在する以上、報告の仕方にはもう少し工夫があってもよかったかもしれない。例えば、報告者からはフル・ペーパーが提出されていたが、本セッションでは、これが十分に活用されたわけではなかった。また中国政治における中央・地方関係という重大なテーマを扱った質の高い研究報告であっただけに、別途独立した部会として運営されてもよかったのではなかろうか。

自由論題報告2
菱田雅晴会員(静岡県立大学)


 中台ほぼ同時のWTO加盟実現により、中台両岸経済関係および中国の産業構造に如何なる変化が生まれるのかを検討した美野久志会員の「中国のWTO加盟」報告に対し、やや異なる角度からのコメントが付された。WTO加盟の本質とは、ルール依拠型社会の構築にあり、その意味では、"加盟"にも二つの相異なる位相があるのではと討論者が提起、加盟時のプロトコル(加盟議定書)を「フェーズ1」、加盟実現後の実施過程をいわば「フェーズ2」とするならば、現段階依然未到達の「フェーズ1」をいわば既確定内容とした美野シナリオの実現可能性に討論者は疑問を呈した。「フェーズ1」に至る各国間および各国内部におけるさまざまな利害対立構造は依然強固にして、「フェーズ2」以降にこそ、その利害対立がヨリ激化するのではないかという危惧から、本側面によって美野シナリオの円滑な実現は阻碍されるのではないか、「失敗のシナリオ」あるいは「停滞のシナリオ」もあり得るのではとの諸点をめぐって、フロアとの活発な討論が行われた。
 一方、スラッファー体系を援用し、中国の産業構造を解析した栗林純夫会員の報告に関しては、鐘非会員が主として技術的側面からの討論を提起し、同提起を中心に、分析結果の有用性を訴える報告者とそれにやや懐疑的な立場との討論が本セッションで展開された。ただ、セッション終了後、一部参加者からは、過度に数量分析的側面の議論に終始した感は拭えないとして、アジア政治経済学会という「場」を考慮するならば、報告のみならず議論に際しても、その計量結果の政治経済学的含意を丹念に提示して欲しかったとの声も聞かれた。
 本自由論題全体としてのテーマ/議論は前後半で、対照的ではあった。前半が中国のWTO加盟というテーマ設定から、単なる経済通商的側面のみならず、国際政治、国際法等の関心が惹起されたのに対し、後半は高度の専門性が前面に打ち出された結果、必ずしも広範な一般会員の討論参加が得られなかったようにも見受けられた。


自由論題報告3
白石昌也会員(早稲田大学)


 遠藤聡氏による報告1「ベトナム労働党の外交闘争とテト攻勢」は、ベトナム側の公刊文献及びアメリカ側の文書館資料に依拠しつつ、1968年テト攻勢前後の米越折衝をフォローし、ベトナム労働党の対米外交政策を、3面闘争(軍事,政治,外交の3闘争の結合)の一環として解釈しようとするものであった。コメンテーターの白石や司会の古田元夫氏,そしてフロア−からは、この時期におけるベトナム労働党の対米交渉方針の変化をどのように解釈すべきかについて,質問や意見が出された。これに対して遠藤氏は,それを路線の転換ではなく戦術面での変化として捉えるべきだと回答した。また、テト攻勢をめぐるベトナム共産党の認識をめぐる質問に対して,同作戦の結果を「失敗」であるとみなす視点は,この当時の党にはなかったの見解を示した。さらに、共産党政治局内部における見解の相違を問うコメントに対しては、現時点ではそれを実証的に論ずるための資料に不足しており、今後の検討課題であるとの回答があった。
 大庭三枝氏の報告2「『アジア太平洋』地域概念の変遷:一事例としての『アジア太平洋地域協議体』構想とその挫折」は,労働党政権の首相ウィットラムが1973年に提唱した地域協議体構想を主題として、「境界国家」オーストラリアにとってのアジア太平洋地域概念の形成過程に検討を加えたものであった。コメンテーターの白石やフロア−からの質問,コメントに対して大庭氏は、国際政治の場における自国のアイデンティティーについて不安定性を認識したオーストラリア労働党政権が、とりわけ東南アジア諸国との間に地域的安全保障を話し合う場を求めたこと,またこの協議体構想には国際環境の変化に対応する側面とともに、国内政治力学の中で生まれたと言う側面も存在することを強調した。さらに、オーストラリアがアジア太平洋と言う地域を想定する場合,自国が果たすべき役割を、ヨーロッパとアジア,もしくは先進国と発展途上国との間の「架け橋」に擬する傾向が強いこと、またこの構想が日本などで提唱されはじめていた環太平洋構想などとは接点を持たないところで独自に形成されたものであること、などを質疑応答の中で指摘した。
 二つ報告とも、報告者が準備中の博士論文の一環であって、多くの資料を丹念に読み解く作業に基礎付けられたものであった。なお、会場には約30名の会員が出席した。 

共通論題「アジアにおける分離と統合――実態的側面から」
茂木敏夫(東京女子大学)


◆共通論題は若林正丈会員の司会のもと、まず報告とコメントとをセットにして、中国、インド、東ティモール−インドネシアについての事例が検討され、休憩後はフロアからの質疑も交えて討論が行なわれた。はじめに司会者から共通論題の趣旨説明と、この問題に関する中国・台湾関係に即した簡潔な整理が、経済的相互依存、ナショナリズム、政治体制、軍備競争の四つをキーワードとしてなされ、報告と討論への導入がはかられた。
◆丸川知雄会員「中国国内市場の統合と産業集積の発生」は、経済的側面からの報告で、1990年代、市場化の進行のなかで国内市場が統合され、産業集中が起きている現象を指摘するとともに、その現象は産業集積であったことを紹興や温州の例から明らかにしたうえで、産業集積の生ずる要因を分析し、それが中国において及ぼすインパクトを経済面、政治面から展望するものだった。
◆近藤光博会員「現代インドのヒンドゥー・ナショナリスト運動」は、まず「ヒンドゥー・ナショナリズムを、インドに古より居住してきた「ヒンドゥー」を再び団結強化し「ネイション」にまで育て上げること、そしてそれに基づいて「強く偉大なインド国民国家」を作り上げること」と定義し、そのイデオロギーの構成要素として、文化個別主義的排他主義、同化主義、ヒンドゥー至上主義、経済ナショナリズム、現実主義的で対決的な政治姿勢、非「非暴力」主義を挙げた。その運動はアヨードヤ運動以後に穏健化し、インド人民党(BJP)が第一党になった。しかしこの運動は新たな統合への可能性と契機を含みつつも、全インドの社会と政治を完全に覆い尽くすとは考えにくく、インドの歴史のなかで培われた潜在的な分離の要因も含んでいることを指摘した。
◆古沢希代子会員「東ティモール独立の教訓」は、国連暫定行政下において独立への道を歩み始めた東ティモールの、そこにいたる状況を考察するもので、行政ポストと経済権益を握るインドネシア国軍の「関与」と、政治的意思を欠き、インドネシアの国連合意違反に対処できないまま撤退した関係諸国の「関与者責任」が指摘され、そこから国際社会の人道的介入に関する教訓を汲み取ることが提唱された。
◆各報告には個別にコメントが付された。丸川報告に対して筆者は、中国では歴史上、分離と統合は必ずしも対立して機能するばかりではなかったことを指摘し、現代中国における分離と統合の実態と相互の関係を具体的に考えるために、報告が最後に指摘した「地域による分離傾向が現れる可能性」について、その実態を明示することを求めた。近藤報告には佐藤隆広会員が、BJPと財界や印僑との関係を問い、またBJPは70−80年代に所得水準を上げて台頭した貧困層に対する「反革命」的性格をもつこと、ヒンドゥー・ナショナリズムはグローバル化のなかでの新しい国民統合原理として浸透していることを指摘した。古沢報告には山本信人会員が、アメリカの東南アジア政策による「関与」の重要性や、国軍のなかには東ティモール住民もいた事実、さらにインドネシアが東ティモールのインドネシア化を進めれば進めるほど、住民の東ティモール意識が形成されていったメカニズムや、かつてポルトガルの植民地だった東ティモールのインドネシアにおける特殊性を指摘した。その他、フロアからも活発な質疑が出されたが、最後に天児慧会員が、中国では「統合か、分離か」ではなく「統合も、分離も」という様相が現出していることを指摘したうえで、本論題における実態的側面からの考察を理論的側面からの考察に結び付けていくうえで報告者、討論者はどう考えるか、と総括的な問題提起を行なった。
◆如上のコメントに対して、丸川会員は、もはや経済的統合の側から政治的な統合・分離を直接説明するのは不可能な時代ではないか、と経済と政治との乖離を指摘した。近藤会員は、経済界はいわゆる自由化を進める政党としてBJPの台頭を歓迎していること、印僑の遠隔地ナショナリズムを課題評価すべきではないこと、また分離と統合については、それぞれの統合の原理を明確にする作業の重要性、等を回答した。古沢会員は東ティモール・ナショナリズムの形成やアメリカの存在の大きさに関する指摘を諒としたうえで、住民の国軍への参加を国軍側の分断工作とし、アチェなど他地域においても同様に、政治的安定を担保する国軍という構図がつくられていることを指摘した。
◆以上はあくまでも筆者の関心に引きつけた紹介であるが、討論に参加したものとして、共通論題たる「分離と統合」に即して、それぞれの実態をつき合わせるまでには到らず、個別の地域における考察とその質疑に終始してしまったきらいがある点を反省している。最後に提起された総括的問題は、アジアのそれぞれの地域を「分離と統合」という構図で見ることによってなにが見えてくるのか、この構図がどこまで有効か、という問題提起とも考えられるが、「分離と統合」という分析視角からアジアの各地域の個性とそこに存在する共通性を考える試みは、ようやくここに出発点に立ったといえるかもしれない。

 

☆西日本大会参加記☆
  <時:2000年6月10日 所:広島経済大学>


自由論題第1分科会   
尹 明憲会員(北九州大学)


 第1分科会では、マレーシア、シンガポール、環日本海圏、トルコと多様な地域について、テーマも開発財政、言語政策、国際交流、移民問題と多岐にわたる報告が行われた。
 以下各報告の内容を簡単に紹介すると、第1報告は、チュウ ジンエン氏(大阪市大院生)による「マレーシアの工業化と開発財政」という報告で、ASEAN諸国の中で対外債務の比重が低いマレーシアについて開発金融での財政資金の役割を、特に被雇用者年金や公企業の民営化などに着目して分析している。
 第2報告は、中村都氏(追手門学院大)による「資源としての言語−シンガポールの言語政策−」という報告で、他民族都市国家としてのシンガポールの言語政策が取り上げ、シンガポールでは英語を政治的・経済的資源として第一言語、民族母語を文化的資源として第二言語と見なす2言語政策が実力主義、実利主義を原則として政府によって展開されてきたが、人権(個人にとっての資源)としての言語という新しい視座が求められることが述べられた。
 第3報告は、坂田幹男(福井県立大)氏による「北東アジア・環日本海圏交流の成果と限界−21世紀への総括−」という報告で、1990年代に入って意識的に追求されてきた環日本海圏交流について具体例に基づいて、一方で5点にわたって成果が、他方で交流主体・交流方式などの限界が指摘され、それを踏まえてマルチラテラル交流の構築、産・官・学の支援体制づくり、学術・研究機関のネットワ−ク化と分業体制などが今後の課題として明らかにされた。
 第4報告は、山尾あおい(大阪外大院生)氏による「トルコ移民社会における複合アイデンティティーの形成」という報告で、ドイツの事例を取り上げ、まずドイツにおけるトルコ移民社会の形成過程が述べられ、現在複数世代が並存する中で世代間の相違を大きくなっている状況に言及され、過渡期にあるトルコ人移民の受入国社会におけるアイデンティティー形成について考察されている。

自由論題第2分科会
辻美代会員(流通科学大学)

 第2分科会は中国に関する4報告と討論が行われた。以下、各報告・討論について簡単に述べ、参加者としての感想をまとめてみた。
 第一の康報告(名古屋大学大学院)は、中国アパレル産業の発展に関するもので、これまでの丹念な現地調査を踏まえた独自の資料を提示しながら、日本企業の直接投資が中国アパレル産業の発展を促し、とりわけ、郷鎮アパレル集団企業が輸出を先導している、との論点を展開した。私(辻)は討論者として、アパレル産業における、国際分業・国際貿易・企業間関係等の視点の必要性に言及したものの、康氏独自の詳細な調査に大いに敬意を払いたい。
 次の堀口報告(大阪市立大学大学院)では、改革・開放前後の社隊企業から郷鎮企業への連続性に関する報告が行われた。堀口報告もまた、上海浦東地区における独自なフィールド調査に基き、工場長の特性から見ると技術者という「連続性」は維持されている、という研究報告であった。討論者の厳善平(桃山学院大学)氏からは、ミクロな経済学的アプローチの必要性等々が提起され、フィールド調査の面白みと困難さを感じた。
 第三報告は、四川省社会科学院農業経済研究所の頼?林氏が、西部貧困地域における農村・農業についての実態報告を行った。同地域における非常に厳しい農業経営条件が明らかにされ、これまでの農業主体、政府主導の貧困援助・環境保護プロジェクトに疑念が呈された。討論者の加藤弘之(神戸大学)氏から、西部大開発について補足説明が行われ、西部貧困地域の研究の必要性が改めて認識された。
 最後に、鈴木報告(大阪経済大学)が行われ、中国における日系企業の経営の現状が報告された。同報告は、1999年に実施された中国日系企業へのアンケート結果に基づき、前回1993年のものと比較対照しながら話が進められ、経営面でかなり厳しい状況にあることが紹介された。討論者の杉田俊明氏(甲南大学)からは、膨大なデーターの統計処理方法を巡って疑念が呈され、研究者としてデーターを分析する意味を考えさせられた。

共通論題 「ポスト李登輝の台湾」
松田吉郎会員(兵庫教育大学)

 アジア政経学会西日本部会第40回大会に「ポスト李登輝の台湾」というテーマで討論会がもたれた。小生は座長という重い任を与えられ、司会役を勤めさせて戴いたが、スムースな運営ができず、ご迷惑をおかけしたことをお詫びしたい。
3報告及び各々に討論者、コメント、フロア−から意見があり、以下、概要をご紹介したい。
 第一報告は若林正丈氏が「2000年総統選挙とポスト李登輝の台湾政治」について報告された。李登輝政権は政治的民主化に対して成果と限界があった。主な成果は民主選挙の定着であるが、限界は「黒金」(暴力団とのつながり、金権)政治の改善がうまくいかなかったこと、国民党が民主正統として生まれ変われなかったことである。さらに台湾化政策が中国の反発をよんだことである。これらの要因が陳水扁政権の誕生につながり、同政権の今後が注目されるとの報告であった。
これに対し、討論者の吉田勝次氏は「ポスト李登輝」という表現は正確でなく、むしろ陳水扁政権は李登輝の影が強いこと、「台湾政治」には台湾島外の立て役者、北京、アメリカが与える影響を考えるべきであること、また陳水扁政権には過去との断絶の側面がある。例えば、中国h国民党との台湾のパイプがあったが、陳水扁との間にはないこと、さらに陳水扁政権には過去との継承性があること、すなわち、2・28時期以来の社会運動家らバトンタッチされているという指摘がなされた。また、フロア−から陳水扁政権は「早産」的性格もだされた。
若林氏は吉田氏の指摘は基本的に首肯するが、しかし、ポスト李登輝の政治構造は今後注目すべきであると述べられた。また「早産」の政権という点に関しては、陳水扁政権は人材が足りず、全民政権とならざるを得ず、また民進党は立法院では少数政党であること、さらに軍、外省人問題を如何に対応していくか、課題が山積みしていると述べられた。
 第2報告の石田浩氏は「2000年総統選挙と中台経済関係の展望」というテーマで報告された。今後の中台関係について政治的には中国側の「一国両制」提案、台湾側の独立或いは現状維持世論との対立があるが、経済的には両者は密接に結びついており、中台両政府の今後の対応に興味関心がもたれるとの報告であった。
 これに対し討論者の朝元照雄氏はWTO加盟以後の中台関係はどう展望されるのかという質問をだされた。
 石田氏は当面は「3通」(通商、通航、通郵)問題が焦点であろう。しかし、中台直接の「3通」の実現は難しく、中国金門島・馬祖島・澎湖諸島間の「小3通」を実施して様子を見るのではないかとの見通しを述べられた。
第3報告の今井孝司氏は「台湾における社会福祉の特質----国民党支配がもたらした構造」とうテーマで報告された。社会福祉を三民主義の「民生」政策の延長上でとらえるという基本的視座がだされた。戦後の社会保険制度の変遷を3期に区分され、第1期(1945〜97)の軍人対象保険時期、第2期(1980〜92)の全民保険まで半数に達した時期、第3期(1993〜)の全民保険期である。さらに1993年から65歳以上人口が7%を越え、「高齢化社会」に入り、デイケア、在宅ケアなど老人サービスも行われている。
 今後、高齢化社会が益々進行することが予想され、それに対する財源問題、sh回資本の整備を如何にするか、また、従来の家族形態が高齢化社会に如何に対応、変化していくのか、国民党政府は「三代同居」政策を出していたが、陳水扁政権ではどうするのかとうことが問題であると述べられた。
これに対し討論者のやまだあつし氏は80年代の福祉構造、「民生」主義の内容を明確にしてもらいたい、国民党政府の福祉政策アメリカ帰りに留学生から出た政策の影響はないのか、さらにポスト李登輝の福祉政策は社会資本に重点を移すのではないかというコメントをされた。さらに、フロア−から「三代同居」政策はフェミニズムちう観点から問題は無かったのか、台湾の全民健康保険制度は先進国型となっていくのかという質問が出された。
 「ポスト李登輝の台湾」というホットな問題を政治、経済、社会の3側面から充実した討論が行なわれた。ただ、時間的余裕が無かったので、フロアーからのご意見を十分に頂戴できたかった点が残念であった。