■西日本部会特集 第39回西日本大会開かれる
◆さる6月19日(土)に、福岡市の西南学院大学(大会責任者小川雄平)において、西日本大会が行なわれた。前半の部(午前9時から12時半;午後1時半から2時半)は、3つの分科会に分かれて自由報告を行ない、後半の部(午後2時半から5時半)は、「中国建国50周年を総括する」と題して「共通論題報告」を行なった。司会者上原一慶(京都大学)のもとに、基調報告を趙鳳彬(筑紫女学園大学)が行ない、関連する問題提起を佐々木信彰(大阪市立大学)、緒方康(愛知大学)が行なった。以下では、自由報告の3部会と共通論題の報告を、それぞれ出席者にまとめてもらった(西日本研究担当 北原)
第1分科会 中国政治・社会
-------- 報告 日野みどり(大阪外国語大学大学院生)
1 「改革・開放期中国の『外来人才』ー珠江デルタ一都市における社会的関係」:
報告:日野みどり(大阪外国語大学大学院生)
◆80年代より珠江デルタ地域に流入した工学歴者層である「外来人才」と地元住民との社会的関係を通じて、国家政策を通じて共有されるナショナリズムの可能性を考察した。知る限り手がける人の少ないテーマであるが、会場の諸先生から多くのご質問と激励をいただき、おおいに意を強くした次第である。
2「中国の環境政策ー排汚費徴収制度を中心に」:村上理映(九州大学大学院生)
汚染物質排出に対する経済的規制手段としての「排汚費徴収制度」の評価を検証した。時宜にかなったトピック。討論では、制度自体の検討に加えて、その実施を徹底させるための方策など、実態的側面にも視野に入れる必要性が指摘された。
3 「学校組織を通してみる現代中国の『国家』と『社会』ー上海の公私立中学校を事例に」: 阿古智子(香港大学大学院教育系)
◆上海の中学3校での参与観察調査を通じて、中国都市部の学校の組織行動、集団構造を明らかにし、現代中国の国家・社会関係に迫る試み。報告後、「国家と社会を媒介する公教育機関としての学校」という概念設定をめぐって議論がでた。報告者の説明から、個人的には、V.
Shue
による農村組織における国家政策への「反抗」「異化」論、つまり「蜂の巣政体論(
honeycomb polity)」に重なるように感じた。そうだとすれば、「媒介者」概念の本質は何なのか。今後さらなる展開を期待したい。
4 「50年代中国における対立構造ー梁漱溟と毛沢東の対立を手掛かりとして」:
余項科(京都大学大学院生)
◆近代儒教の父・梁漱溟と、毛沢東の1953年政治協商会議における対立をモチーフに、共産党政権下の50年代中国社会が抱える「一党主義下の多党合作体制・政治協商会議」と、「一党独裁体制」の対立構造を明らかにしようとする野心的試み。「人民民主独裁」原理に対する「儒教的公共性」という概念も刺激的な労作である。
◆各報告者の研究領域、題材、方法ともバラエティに富む分科会であり、学ぶところが多かった。座長の木幡伸二(福岡大学、報告1〜3)、西村成雄(大阪外国語大学、報告4)の両先生からは、各報告者への多くの有益な助言をいただいた。フロアからのコメントと併せ、お礼を申し上げたい。
第2分科会 中国経済・NIEs経済
-------- 報告 伊藤正一(関西学院大学経済学部)
第2分科会においては、中国経済に関する2報告と、台湾経済と韓国経済に関してそれぞれ1報告が行なわれた。
◆北波報告「戦後初期台湾における工業の再編ー特殊契約電力と公営企業」は、台湾の1940年代後半及び50年代における、台湾の工業化と電力との関係について論じている。本報告は、50年代における国民党政府の電源開発は、安価で豊富な電力供給を肥料製造業に与えることによって、肥料輸入外貨の節減、米肥料バーターによる糧食の確保、そして砂糖・米輸出による外貨獲得に、重要な役割を果たしたことを指摘した。本報告は、台湾の電力の需要の側面を詳細に説明し、40年代後半から50年代の電力の需要者としての公営企業の発展との関連付けに関して、説得力のある議論を展開した。
◆謝報告「中国における郷鎮企業の構造調整ー余剰労働力問題を中心として」は、郷鎮企業の構造調整と余剰労働力問題という2つの大きな問題を扱っている。筆者の感想としては、本報告は、一論文で多くのテーマを追いすぎている感が否めない。参考文献で、与えられた余剰労働力に関する数字の推計手続きが明確でない点や、郷鎮企業の構造調整及び対策に関するさまざまな説明のあいだに、一致性に欠ける面があり、今後克服されるべき点が多い。
◆于報告「中国の国境貿易について」は、1990年代に大きく変化してきた東北三省、内蒙古自治区、雲南省、新彊ウィグル自治区などの国境貿易の推移、特徴について論じている。本報告は、中国の国境貿易政策として、1950年代から96年までの国家政策と、各地個別政策について論じてから本題に入ったが、時間が残っておらず、興味があるはずの、1998年に中国各地で行なった現地調査結果や、国境貿易の課題と展望が十分に論じられなかった。
◆朴報告「金大中政権の経済改革と韓国経済の行方」は、「もし韓国経済が開発独裁の下であれば、財閥を救うことができたが、民主化を推し進めた金泳三政権は、政府と財閥の癒着にメスを入れたことが、経済危機の引き金を引いた」と主張し、韓国の経済危機は、開発独裁から民主化への移行過程でのできごとであると指摘した。本報告は、金大中政権の財閥改革をして、21世紀アジア経済の針路にひとつの方向性を与えるものと、高く評価している。
第3分科会 ASEAN・インド
-------- 報告 岸脇 誠(大阪市立大学大学院生)
◆分科会の第一報告として、私(岸脇)は「マレーシアの国民経済形成とエスニック問題ーブミプトラ政策への途」という論題で報告を行なった。本報告の課題は、マレー人と先住民優先という特色をもつブミプトラ政策が立案されるに至った背景を、経済開発と国民統合という2つの側面から明らかにすることである。1957年にイギリスから独立したマラヤ連邦は、脱植民地化を達成するために、国内の経済発展を推進する必要があったとともに、複数のエスニック・グループを統合し、一つの国民国家を建設するという難題にも直面していた。63年のマレーシア結成、65年のシンガポール分離独立という政治変動をへて、エスニック対立事件後にブミプトラ政策を立案するに至った道程は、マレーシアが経済開発と国民統合という2つの課題に、どのように取り組んだかを示す歴史でもある。複数のエスニック・グループから成るマレーシアが抱える苦悩と葛藤を、経済との関わりのなかで浮き彫りにしようというのが、本報告のねらいである。
◆報告では、独立後の国民経済形成期における所得分配の状況と、それを多分に反映したエスニック関係、階級(階層)間関係、そして両者の絡み合いに関して分析を行なった。私がこの報告を通じて申し上げたかったのは、経済学的にみて理想的な政策が必ずしも社会の安定をもたらすとは限らないということである。本報告が扱った独立初期の経済政策は、政府の強い介入を伴わない自由主義政策であった。かの有名なミルトン・フリードマンが絶賛したこの経済政策は、独立後の経済を高成長へと導いたが、他方で所得分配の不平等化をもたらし、それが最終的には、エスニック対立事件へとつながったのである。1997年の通貨危機以降、マレーシアの経済政策は、IMFや世界銀行が推奨する自由化路線とは方向性を異にしているが、こうした現代的な課題との関連も視野に入れた上で、今後の研究を進めていきたいと考えている。
◆現代的な課題という点で、ASEANの現状と問題点を分析された熊本県立大学の高埜健先生による報告は、大変興味深いものであった。先生は報告のなかで、ASEANの組織的拡大、指導者の世代交替にともなう変質について言及された上で、ASEANそのものが制度疲労に陥っているのではないかという問題提起をされた。私はこれまで基本的にマレーシアを中心にした一国研究を行なってきたが、ASEANのなかでのマレーシアの位置づけ、さらには「ASEAN対EU」といったグローバルな視点の必要性を感じた。
◆大阪学院大学の福井清一先生は、フィリピンにおける米管理政策に関する報告をされたが、ウルグアイ・ラウンド農業交渉、AFTA協定、WTOといったグローバルな枠組みが、フィリピンの政策と密接に関連しているということである。
◆また、大阪外国語大学の水野光朗先生による報告は、1962年の中印国境紛争に関するものであったが、ここでも中国、インドを取り巻く国際関係、例えば当時の米ソ関係などが深く関わっている。
◆私自身の不勉強もあり、他の先生方の報告を十分理解できたとはいえないが、たいへん有意義な一日を過ごすことができた。大会準備委員長の小川雄平先生、第3分科会座長の北原淳先生をはじめ、関係者の皆様に感謝の意を表したい。
中国半世紀間のあゆみと変化を如何に把握するか
共通論題「中国建国50周年を統括する」傍聴記
-------- 報告 金澤孝彰 和歌山大学
◆10年単位を一つの節目とみるならば、1998年末が改革・開放20周年であり、そして、6月には「6・4事件」から丸10年を数え、さらに秋には中華人民共和国成立50周
年を迎える中国にとって、99年は様々な節目の年であり、例年以上に中国を対象にした議論が此処彼処で展開されているものと想像できる。その一つとして、今般の本学会西日本部会の共通論題では、「中国建国50周年を総括する」というテーマの下、建国以来の自国の発展をつぶさに眺めてきた趙鳳彬会員(筑紫女学園大学;元・吉林大学教授。以下、趙氏)が、「私がみつめてきた現代中国50年」と題して基調報告をされた。
◆政治・経済・社会からみた中華人民共和国の半世紀のあゆみを、限られた時間内で総合的に要約する作業は容易なことではない。趙報告は、建国前に毛沢東によって提起された国家構想の建国初期における“変節”と、1956年の「社会主義改造」以降の急進的な政策転換の経緯、そして「社会主義初級段階」とも位置づけられる改革・開放下の現在と新民主主義社会との関連性などを柱としていたものと把握する。
◆まず建国当初の国家像に関して、建国直前の1949年9月の中国人民政治協商会議で採択された「共同綱領」には、「労働者階級が指導し、労農同盟を基礎とし、民主的諸階級と国内諸民族を結集した人民民主主義独裁」を行う、「新民主主義すなわち人民民主主義の国家」と規定されている。これは新民主主義革命が完了した後に、社会主義社会ではなくて新民主主義社会が到来するとした、1940年の毛沢東の『新民主主義論』をふまえたものであった。
◆しかし他方で、共和国成立以来すでに急速な工業化と農業、手工業、資本主義工商業の社会主義的改造である「過渡期」段階に入っていたとする、あるいは、1949年春の中共7期2中総の決議で、すでに「過渡期の総路線」について原則的な解決があったとする、毛沢東の1952年時点での見解は、『新民主主義論』で描いた国家像を、建国以前に毛自身がすでに否定していたことを暗示しており、それには7期2中総に先立って、ソ連のスターリンが毛沢東の真意を知るべく中国に派遣したミコヤンとの秘密会談で、毛が中国の行う人民民主主義独裁は、プロレタリア独裁で一党独裁である旨伝えたという背景があったと、趙氏は指摘する。つまり「共同綱領」においてプロレタリアート同様に、人民民主主義独裁の担い手であると規定されていたその他の階級が、すでにそれ以前にプロレタリアートと共産党の指導の下におかれるものと位置づけられた点で、趙氏は新民主主義社会が“流産”したものとみなすのである。
◆また「過渡期の総路線」では、社会主義改造は15年、あるいはそれ以上かかるものとされていたにもかかわらず、「社会主義の早産」と趙氏が表現するように、1956年にその基本的完了が宣言され、さらにその後の反右派闘争や大躍進運動にみる、イデオロギー面での統制強化による体制維持の動きが、党内部の階級闘争を引き起こし、それが文化大革命の遠因になったとすると、毛によって提起されながら、爾後彼自身によって否定されていく建国初期における一連の政策転換を、「歴史的に必然なもの」、あるいは「まったく正しいもの」とする、1981年の中共11期6中総でのいわゆる「歴史決議」の評価は再検討を要する、というのが趙氏の主張であった。さらにこの「歴史決議」が起草段階において登 小平の意見を多分に反映させていることから、登 小平には改革・開放の設計士としての側面以外に、毛沢東的な側面もあったと見ている。
◆次に、社会主義初級段階論と新民主主義社会との関係について、趙報告によれば、資本主義経済および私的経済部門の存続という共通点などから、前者のプロトタイプを後者に求める見解が、近年中国国内の学識者間(于光遠、龍育之、胡縄など)で共有されているとする。これは一度は“流産”した新民主主義が、社会主義初級段階というかたちで“復活”したとも解釈できるが、趙氏は時代的背景や思想的・理論的基礎など諸方面での相違点から、初級段階論が新民主主義社会の延長線上にあるとは必ずしも断言できないとしている。
◆また登 小平の功績に関して趙氏は、上述の二面性と関連して、1980年代に政治改革を重視しながら、1989年6月の天安門事件には強硬な態度をとったことなど負の側面は否めないものの、「南巡講話」などにみられる晩年の登 自身の軌道修正を評価している。ただし、国民が直接指導者を選ぶような直選制を含む政治改革や民主化を明言することなく世を去った点で、趙氏自身の登 小平評価は満点に至らないとも述べた。最後に、国有企業の民営化など、現在の市場経済化の動きに関しては、確かに市場化は旧来の社会主義計画経済に内在する諸問題を克服する有効な方途ではあるが、それ一本では中国が抱える諸問題すべてを解決できず、旧来のシステムを否定した上での新システム構築の必要性が、21世紀に向けての課題であると述べ、報告を締めくくった。
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以上の趙氏による基調報告に対して、佐々木信彰会員(大阪市立大学)および緒形康会員(愛知大学)から、それぞれ中国経済論と中国政治論・政治思想のスタンスからコメントが出された。断片的ながら問題提起の論点を整理すると、おおよそ以下の通りとなるだろう。
(1)中国共産党と毛沢東に対する評価基準は、旧中国が残した「負の遺産」の払拭と、正義の社会を求めるといった正当性にもとづくが、これらは時流の変化に左右されるものであろう。とくに、毛沢東時代から登 小平時代への移行は、閉鎖体系から開放体系へ、計画経済から市場経済へ、そして生産重視から消費重視へという3つのパラダイム転換から成り立っており、なかでも、後一者におけるよりよい生活をしたいという大衆願望が、前二者のパラダイム転換を突き動かす大きな作用因となってきている。そういう意味で、改革・開放は生産第一主義の桎梏からの脱却を目指すものと、位置づけることができる。
(2)国家と個人をつなぐ中間組織(公共領域)は、文革で破壊されたものの近年回復の動きがみられる。しかし、ソフトな形での国家権力領域の強化(メディアの活用など)と、生活領域の開放(民衆の力の強化)の両刃の剣的な対立も進行している。また、党がヘゲモニーを掌握した状態で、資本主義的発展の推進が見られるとしても、党以外の他者が、同様のことを行うことが認められていない点において、現時点を新民主主義社会の“復活”とする見解は不十分であると思われる。
(3)行企分離などで、もろもろの資源配分権限を行政官僚が独占している状態での市場経済化は、権力癒着型の腐敗を促す。党は市場経済の受益者として豊かになったことで、かつての前衛党としての役割および性格に変化が現れたことも、今後検討していく必要がある。
◆またフロアから出された質問で主だったものを整理しておくと、(イ)植民地被支配を終焉させた戦後の他のアジア諸国との対比で、中国がつくった国家は国民国家(nation's
state)なのかあるいはそうではないのか;(ロ)共産党があらゆる問題を処理し権限を集中させる党国家体制は変容しうるものなのかどうか、(ハ)党政形式に国民党政権時と共通点が見られるが、これに関する議論は中国で展開されているのか、などであった。
これらの質問への報告者からの回答の中には、十分納得いかないものも一部あったように思われるが、趙報告での『新民主主義論』あるいは新民主主義社会の位置付け、およびフロアからの質問(ハ)などをみると、建国以前の中華民国時代との連続性あるいは断続性の検討も、必然的にともなうことになるだろうから、テーマに記されたような“50周年”という節目にこだわった現代中国史の考察には、自ずと限界が伴うのではなかろうか。その意味で、冒頭での表現をここで再び用いると、今年は中国にとって、近代と現代の分岐点と把握される「五四運動」から80年という節目の年でもある。
◆また当日の会員で、中国以外でのフィールドを専門にされている方が、どのように聴講されていたかにも、傍聴者の一人として関心(懸念?)がある。論点が総じて中国国内に集中していたため、若干“消化不良”を感じられていたのではなかろうか。
◆対外開放政策、華人ネットワーク、アジア地域経済圏の形成や、通貨人民元の方向性など、国際政治経済に関連する論点が加われば、議論はより活発になっていたかもしれない。如何せん、時間的制約ゆえに中途半端な議論で終っていたであろう危険性も否めず、これらの論点は、今秋の本学会全国大会に持ち越されて論じられていくことになるであろう。したがって今回はその“前哨戦”であったと位置づけられる。
西日本部会定例研究会
1998年12月4日 大阪市立大学文化交流センター
**以下の報告は本来、『ニューズレター11号』に掲載すべきものでしたが、諸般の事情で遅くなってしまいました。早くから寄稿していただいた梶谷氏にはお詫び申し上げます。
中国国有企業の所有権構造
-------- 報告 梶谷 懐(神戸大学大学院生)
◆中国の国有企業改革をめぐる問題は、インフレなどのマクロ的な経済環境が一応の安定をみせている現在において、中国経済最大の問題かつ関心事となった感があり、これまでになく多くの研究者が、さまざまな視点からこの問題を論じている。
◆とくに、1993年に「現代企業制度の確立」という形で国有企業改革の方向性が明確に打ち出され、さらに95年より次第に「抓大放小」(大をつかみ、小を放つ)というスローガンに象徴される、国有企業の「戦略的改組」が実行に移されるにつれて、議論の焦点はいわゆる「所有制改革」の是非に集中しつつある。
しかし、それら国有企業の「所有制改革」をめぐる議論のなかには、明確な理論や実証研究の裏付けを欠いたままなされているものも多く見られ、お互いに説得性を欠いた主張をぶつけ合うという、いささか混乱した状況も生じている。そこで本報告では、まず国有企業改革の方法論に関する議論を「組織の経済学」の枠組みを用いて整理し、それぞれの議論について問題点の指摘を行なった。それらの議論は大きく分けて、
・インセンティブシステムの改善のみで国有企業の抱える問題は解決可能だとする立場、
・「あいまいな所有権を明確にする」という形での所有制改革は必要だが、国家に所有権が帰属する体制については、変える必要がないという立場、
・国家以外の経済主体に所有権を移行させる意味での「所有権構造改革」が必要だとする立場、
以上の3つに分類される。そして、3番目の「所有権構造改革」に関する議論は、どのような経済主体が企業を所有するのが望ましいのかという点をめぐって、さらにいくつかの立場に分かれる。
◆さらに筆者は、それら既存の議論に欠けている視点として、国有企業の所有権(残余コントロール権、および残余請求権)の所在を考える際に、財政的な資金の流れ、とくに予算外資金といわれる「第二予算」の存在に注目した議論を行なう必要性を指摘した。そして、今後の中国企業に関する研究のとるべき新しい方向性として、郷鎮企業など他の所有形態の企業を含めた、地域経済システムのなかの一構成要素として国有企業を位置づけていく、という視点を提示した。
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